2019年04月06日
今週ゲストにお迎えしたのは、先週に引き続き、コメディアンの小松政夫さんです。
1942年、福岡県博多市の出身。19歳のとき、役者を目指して上京。
俳優座を受験し合格するも入学金が払えず断念し
その後、横浜トヨペットでトップセールスマンとなりますが
1964年、植木等さんの付き人を経て、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」でテレビデビュー。
以降、数え切れないほど、テレビ、映画、舞台にご出演され、
「笑って!笑って!!60分」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」では、伊東四朗さんとのコンビで一世を風靡。
2011年には、日本喜劇人協会、第10代会長に選出され、現在も、ご活躍中でいらっしゃいます。
そんな、小松政夫さんにお話を伺いました。
──運命のような出会い
茂木:当時「シャボン玉ホリデー」ってすごい人気だったじゃないですか。一気にも知名度も上がっちゃって大変だったんじゃないですか?
小松:そうですね。番組が始まる時から知ってますけど、初めは生放送だったんです。
で、「お呼びでない?こりゃまた失礼しました!」っていうのがあるんですよ。
茂木:植木等さんの往年のギャグですね。
あれは、小松さんがきっかけだという風に伺ったんですけど……。
小松:私がきっかけじゃあないと思いますって(植木さんに)言おうと思ったんですけど、結局言えないでお別れすることになっちゃいましたね。
ある番組で、なぜあれは出来たんですか? ってアナウンサーの方が聞いたら、
植木さんが「あれはね、私が何も知らないで次の出番待ってたら、小松が『何してるんですか! 出番ですよ! 行かなきゃ行かなきゃ!!』って言うもんだから台本を見ないで飛び出したら、”なんで出てきたの?”って顔をみんながしてるんです。生放送だから、その空気を感じて咄嗟に、
『お呼びでない? お呼びでない? こりゃまた失礼しました!』って言ったのが始まりで、あれは小松がいなかったら出来なかった」って言うけど、あれはきっとそういうエピソードを残してやろうと思って言ってくれた、植木さんの優しさだったと思うんです。
茂木:当時、クレイジーキャッツも大人気で、皆さんすごい技術を持ったミュージシャンじゃないですか。でも、小松さんも音楽的な感覚がある感じがするんですけど。
小松:私はハーモニカだけしか吹けないですよ(笑)。
茂木:リズムとか間とか……。
小松:そういう意味ですね。私の場合はよく言われました。リズムアンドギャグっていうことをあるディレクターに言われた事があるんですけど、
リフレインするというか、「もうイヤこんな生活!」とか「わりーねわりーね」とか、「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」なんていうのもありましたね(笑)。あれは中学の先生が言ったんですよ。
茂木:「もうイヤこんな生活!」とかは、元々小松さんが作ったギャグだってこと知らないで、語呂がいいので一般の方が使ってしまっているぐらいですよね。
やっぱり、クレイジーキャッツとの出会いって運命みたいなもんですよね。
小松:そうですね。ですから、つい忘れてしまってるんですけど、ハナ肇とクレージーキャッツって言ったら、ハナさんはバンドリーダーという風でいるわけですね。
私が初めてクレイジーキャッツの皆さんと顔合わせをすることになって、日劇の稽古に行ったんです。
そしたら、ハナさんはまるで少年のように面白い人でしたね。
植木が「ハナちゃん、これは俺んとこに来たお付きだよ。運転手してもらってるんだ」って言ったら、ちょっとこっち来いって言われて。
「お前、植木のところの付き人かもしんないけどな、植木を束ねてるのは、この俺だ」って(笑)。そんなこと言わなくてもいいのにねぇ(笑)。
よく分かっておりますって言ったんですけど、その代わりグループでやるときはハナさんの確固たる威厳でビシッと統制が取れてましたからね。
だから、クレイジーキャッツショーなんかをやるときは、「ここは小松だ。お前にいい役をやるからな」って言って、最初の頃はハナさんが全部役を決めてくれて、デビュー盤がどれだかわからないぐらい、いっぱいやりましたね。
そういう意味では、ハナさんも恩人の一人なんです。
谷啓さんはトロンボーン奏者としては超一流と言われた人ですけど、そういう一流が全部集まってたんですね。
そんな人たちが集まったコミックバンドですから、これはやっぱりすごかったなあと思います。
──平成という時代における「笑い」の存在
茂木:平成という時代がちょうど終わろうとしてるんですけど、小松政夫さんはずっとコメディの最前線で活躍されてきて。最近の日本のコメディ、笑い、どのように感じてらっしゃいますか?
小松:もうこの歳になってしまいましたし、私は喜劇人協会っていう立場もありますから、あまり言わないようにしようと思ったんですけど、
やっぱり団体で突っかかってくるような番組が多すぎるんじゃないかなと思うんですよね。
茂木:ひな壇というやつでしょうか。
小松:あそこにみんないて、喋ったもん勝ちというか、喋らなかった人は置いてかれるっていうような状況だと、我も我もという風に喋りたがる。
喋った人はそれだけピックアップされる。そして、今日の喋りはまずかったから、私は次から出番がないな、とか平気でそういうことを言うような状況ですよね。
私たちはちょっと違うな、という気がするんです。喋ったもん勝ちってのは、力があっても大人しい奴は置いてかれますよね。
だから、稽古っていうのがないっていうのが驚きますね。今は稽古なんかやってられませんよって言われますからね。
茂木:そうなんですか!
小松:伊東四朗さんとやっていたときは、徹底的に稽古でしたからね。そういう時間がないって言われたら今のやり方で仕方ないんでしょうけど、やっぱり稽古をして、それをどういう具合にアドリブで補うか、ということですね。
徹底的に稽古しないとやっぱりつまんないと思うんですが、稽古をしなくてすむ番組が多いっていうことでしょうかね。
●ひょうげもん ― コメディアン奮戦! / 小松政夫 (著)
(Amazon)
来週は、今、10代の若者を中心に、
絶大な人気を誇るカリスマクリエイター・kemioさんをお迎えしてお送りいたします。
お楽しみに!
1942年、福岡県博多市の出身。19歳のとき、役者を目指して上京。
俳優座を受験し合格するも入学金が払えず断念し
その後、横浜トヨペットでトップセールスマンとなりますが
1964年、植木等さんの付き人を経て、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」でテレビデビュー。
以降、数え切れないほど、テレビ、映画、舞台にご出演され、
「笑って!笑って!!60分」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」では、伊東四朗さんとのコンビで一世を風靡。
2011年には、日本喜劇人協会、第10代会長に選出され、現在も、ご活躍中でいらっしゃいます。
そんな、小松政夫さんにお話を伺いました。
──運命のような出会い
茂木:当時「シャボン玉ホリデー」ってすごい人気だったじゃないですか。一気にも知名度も上がっちゃって大変だったんじゃないですか?
小松:そうですね。番組が始まる時から知ってますけど、初めは生放送だったんです。
で、「お呼びでない?こりゃまた失礼しました!」っていうのがあるんですよ。
茂木:植木等さんの往年のギャグですね。
あれは、小松さんがきっかけだという風に伺ったんですけど……。
小松:私がきっかけじゃあないと思いますって(植木さんに)言おうと思ったんですけど、結局言えないでお別れすることになっちゃいましたね。
ある番組で、なぜあれは出来たんですか? ってアナウンサーの方が聞いたら、
植木さんが「あれはね、私が何も知らないで次の出番待ってたら、小松が『何してるんですか! 出番ですよ! 行かなきゃ行かなきゃ!!』って言うもんだから台本を見ないで飛び出したら、”なんで出てきたの?”って顔をみんながしてるんです。生放送だから、その空気を感じて咄嗟に、
『お呼びでない? お呼びでない? こりゃまた失礼しました!』って言ったのが始まりで、あれは小松がいなかったら出来なかった」って言うけど、あれはきっとそういうエピソードを残してやろうと思って言ってくれた、植木さんの優しさだったと思うんです。
茂木:当時、クレイジーキャッツも大人気で、皆さんすごい技術を持ったミュージシャンじゃないですか。でも、小松さんも音楽的な感覚がある感じがするんですけど。
小松:私はハーモニカだけしか吹けないですよ(笑)。
茂木:リズムとか間とか……。
小松:そういう意味ですね。私の場合はよく言われました。リズムアンドギャグっていうことをあるディレクターに言われた事があるんですけど、
リフレインするというか、「もうイヤこんな生活!」とか「わりーねわりーね」とか、「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」なんていうのもありましたね(笑)。あれは中学の先生が言ったんですよ。
茂木:「もうイヤこんな生活!」とかは、元々小松さんが作ったギャグだってこと知らないで、語呂がいいので一般の方が使ってしまっているぐらいですよね。
やっぱり、クレイジーキャッツとの出会いって運命みたいなもんですよね。
小松:そうですね。ですから、つい忘れてしまってるんですけど、ハナ肇とクレージーキャッツって言ったら、ハナさんはバンドリーダーという風でいるわけですね。
私が初めてクレイジーキャッツの皆さんと顔合わせをすることになって、日劇の稽古に行ったんです。
そしたら、ハナさんはまるで少年のように面白い人でしたね。
植木が「ハナちゃん、これは俺んとこに来たお付きだよ。運転手してもらってるんだ」って言ったら、ちょっとこっち来いって言われて。
「お前、植木のところの付き人かもしんないけどな、植木を束ねてるのは、この俺だ」って(笑)。そんなこと言わなくてもいいのにねぇ(笑)。
よく分かっておりますって言ったんですけど、その代わりグループでやるときはハナさんの確固たる威厳でビシッと統制が取れてましたからね。
だから、クレイジーキャッツショーなんかをやるときは、「ここは小松だ。お前にいい役をやるからな」って言って、最初の頃はハナさんが全部役を決めてくれて、デビュー盤がどれだかわからないぐらい、いっぱいやりましたね。
そういう意味では、ハナさんも恩人の一人なんです。
谷啓さんはトロンボーン奏者としては超一流と言われた人ですけど、そういう一流が全部集まってたんですね。
そんな人たちが集まったコミックバンドですから、これはやっぱりすごかったなあと思います。
──平成という時代における「笑い」の存在
茂木:平成という時代がちょうど終わろうとしてるんですけど、小松政夫さんはずっとコメディの最前線で活躍されてきて。最近の日本のコメディ、笑い、どのように感じてらっしゃいますか?
小松:もうこの歳になってしまいましたし、私は喜劇人協会っていう立場もありますから、あまり言わないようにしようと思ったんですけど、
やっぱり団体で突っかかってくるような番組が多すぎるんじゃないかなと思うんですよね。
茂木:ひな壇というやつでしょうか。
小松:あそこにみんないて、喋ったもん勝ちというか、喋らなかった人は置いてかれるっていうような状況だと、我も我もという風に喋りたがる。
喋った人はそれだけピックアップされる。そして、今日の喋りはまずかったから、私は次から出番がないな、とか平気でそういうことを言うような状況ですよね。
私たちはちょっと違うな、という気がするんです。喋ったもん勝ちってのは、力があっても大人しい奴は置いてかれますよね。
だから、稽古っていうのがないっていうのが驚きますね。今は稽古なんかやってられませんよって言われますからね。
茂木:そうなんですか!
小松:伊東四朗さんとやっていたときは、徹底的に稽古でしたからね。そういう時間がないって言われたら今のやり方で仕方ないんでしょうけど、やっぱり稽古をして、それをどういう具合にアドリブで補うか、ということですね。
徹底的に稽古しないとやっぱりつまんないと思うんですが、稽古をしなくてすむ番組が多いっていうことでしょうかね。
●ひょうげもん ― コメディアン奮戦! / 小松政夫 (著)
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来週は、今、10代の若者を中心に、
絶大な人気を誇るカリスマクリエイター・kemioさんをお迎えしてお送りいたします。
お楽しみに!