2019年03月09日
今週ゲストにお迎えしたのは、先週に引き続き「ピコ太郎」プロデューサーの古坂大魔王さんです。
1973年、青森県生まれ。
高校卒業後、お笑い芸人を目指して上京し、お笑いトリオ「底抜けAIR-LINE」としてデビュー。
現在は、古坂大魔王として、バラエティ番組に出演し、コメンテーターとしてもご活躍中です。
また、音楽活動も行っていて、メジャーアーティストとのコラボや、楽曲提供を手がけていらっしゃいます。
そして、世界的シンガーソングライター、「ピコ太郎」のプロデューサーとして
活躍の場を国内外へ広げていらっしゃいます。
今週は、古坂大魔王さんのこれまでの人生について、お話を伺いました。
──カッコいい男になるために
茂木:古坂さんは学校に行くという設定で東京に出てこられたんですよね。
古坂大魔王:そうなんです。うちのお母さんがもう厳しくて。小学校3年生からお笑いをやりたかったんですけど、ずっとお母さんにダメって言われていたんです。
たまたま、ウッチャンナンチャンさんが出た日本映画学校にお笑いの授業があったので、僕は確信犯的に入ってすぐ辞めようと思ってたんです。で、2週間で辞めました(笑)。
茂木:でも、お笑い芸人の世界ってすごい競争じゃないですか。
古坂大魔王:今とまた少し違いますよね。芸人の数は今の方が多いんですけど、今はアウトプットの場がたくさんあるので。
当時はテレビかお笑いライブの2つくらいしかなかったんです。そこに、今で言えばくりぃむしちゅー、ネプチューン、先輩では爆笑問題っていっぱいいて。その中で、この先輩たちに勝たないとテレビに出られなかったんですよ。
吉本の方にはさらに倍近い数の芸人がいて、僕らもほぼ素人みたいなものなので、素人の人間の一発芸も面白いので、そことも勝負しなくちゃいけない。月に20本ぐらいオーディションがありましたね。
茂木:20本!? でも、途中でボキャブラ天国とかも出ていましたよね。
古坂大魔王:正直、バイトしていたのは2年間でした。でも、僕たちは当時20歳で、他の人たちは24・25歳くらいで。力の差があまりにもあったんですよね。
僕たちは勢いでいったので、何か言えば現場は盛り上がるんですけど、テレビの人はみんな大人なので、”こいつらは勢いだな”っていう感じでテレビに使われるのはやっぱり、くりぃむしちゅーだったりネプチューンだったり爆笑問題だったり…。僕らはダメだったんです。
でも、まあそれなりにご飯は食べれていました。その次は、NHKのオンエアバトル。
そこで、PPAPの元ネタであるテクノ体操というネタをやって、立川談志師匠に気に入っていただきまして。
茂木:談志師匠が気に入ったというのがすごいですよね!
古坂大魔王:僕はあの人がなんでそんなに偉いのかって全くわかっていなくて、”なんだこの人は?”って最初は思っていたんです。
で、オンエアバトルでテクノ体操をやって600点中160点しかもらえなくてダントツビリで。
そのときの優勝はDonDokoDonだったんですけど、サプライズで談志さんが「あそこのお兄ちゃん。変なやつやった。あれね、意味わかんねんだけどね、イリュージョンだからいいや。あげる」って特別賞をくれたんです。
それがすごい盛り上がって、そこから何度か談志師匠には飲みに連れてもらったりとか色々しましたね。
茂木:底抜けAIR-LINEの頃から音芸をやろうっていう意識あったんですか?
古坂大魔王:いえ、芸人始めて4年目のときですね。今はエイベックスに所属しているんですけど、その前はホリプロコム、その前はエムツーカンパニーという事務所で、
さらにその前は「なべや」という渡辺正行さんの個人事務所にいて、そこで吉本、太田プロ、ナベプロと勝負したんです。
そうするとライブでは勝つんですけど、そこから次はテレビとなると、お呼びがかからないんです。どうしようと思って、メンバーそれぞれで仕事につながるような趣味や知識を何個か持つことにしたんです。
例えば、喋り・歌・格闘技・雑学とか…そういうのを覚えようと思って、君はアニメ。君は映画。僕は音楽をやりますっていって、
ボキャブラのときの金があったので、僕は全額700万円をパソコン機材に使ったんです。
茂木:700万円も機材に投入したんですか!
古坂大魔王:他の芸人は車を買ったりしていたんですけど、免許もなかったので。
パソコンを買って覚えて、当時は自分で曲作ってレコーディングして…っていう芸人っていなかったので、これはイケると思ってやったんですね。
茂木:そこで、テクノユニット・ノーボトムを結成するんですね。
お笑いやりつつ音楽というのは、非常にユニークなキャリアですよね。
古坂大魔王:これは先週も言っていた、天邪鬼。隙間を埋めるってやつですね。
僕の子供の時はとんねるずさん、ドリフターズさんが歌とお笑いの両方やっていて、カッコよかったんですね!
芸人なのにパッとタップダンスやったり、歌ったりトランペットを吹けたり…。僕は男前じゃない分、カッコいい男になりたかったんですね。カッコいい人は音楽だと思ったので。
あと、あざとく考えたのは、バブルガム・ブラザーズの『WON'T BE LONG』があったんですよ。トムさんとブラザー・コーンさんって、もともと芸人さんで。
でも曲ってやっぱりすごいので、ガンと行くと横から横入りできるんですね。売れてる人達よりもグンと上に行けるんですよ。
茂木:なるほど!
古坂大魔王:正直、5万人お客さんがいた場合、お笑いのパワーって音楽に負けるんですね。音楽は音が大きいので。どんなに売れてる人間も曲に負けるんです。それを手に入れたかったんですよ。
──世界にピコ太郎を
茂木:そして、番組テーマでもある夢についてお聞きしたいんですけど…。
古坂大魔王:紅白出場、サマソニに出るという夢は全部叶えることができたので、新たに夢を作らなきゃいけなくなって。
やっぱり恩人・ジャスティンビーバーとコラボもしたいんですけど、東京オリンピックの開会式で絶対歌いたいんです!
茂木:これは歌うでしょう!
古坂大魔王:歌いたいんですけどね〜!まだピコ太郎に話がきてないと思うんですよね。
茂木:ピコ太郎のところで話が止まっちゃってるってことはないですか?
古坂大魔王:あの人は全スルーなので(笑)。なんとか東京オリンピックで歌いたいですね。
なぜかと言うと、やっぱり全世界から観に来るはずなので、全世界の人が知ってる人が歌った方が良いと思っているんです。
茂木:そしたら、ピコ太郎でしょうね。
古坂大魔王:これは自信ありますね。あとは、コラボレーションですね。有名な人ともそうですけど、この2年ぐらいで30地域くらい行ったので、危なくないかぎり全世界を回って、しかもきちんと呼んでいただいて行きたいです。
呼んでいただいて行ったという人が日本ではあまりいなかったはずなので、このラッキー中に行かないとダメだなって思っていて。
今は全世界、全国、全大陸を回ろうと思っています。しかもそれは、呼ばれて行きたいんです。
ウガンダも国連もスペインも、今までは全部呼んでいただいたので、ちゃんと呼ばれた上で行きたいなと。
そのためにはまだまだ頑張らないといけないですね。行くとすごく打ち解けれるんですよ。やっぱり一番いいのは会うことだなと思ったんですね。
茂木:うんうん。
古坂大魔王:実際に会って日本の文化について話すとすごく優しくなってくれるし、
やっぱり知ってくれてる人がいるうちは世界をいっぱい回って、いろんな子供達や大人達と何かやりたいなって思っています。
茂木:ピコ太郎はもう、アンバサダーですね!
●古坂大魔王 公式サイト
●ピコ太郎(PIKOTARO)オフィシャルサイト
●ピコ太郎のつくりかた (NewsPicks Book) / 古坂 大魔王 (著)
(Amazon)
1973年、青森県生まれ。
高校卒業後、お笑い芸人を目指して上京し、お笑いトリオ「底抜けAIR-LINE」としてデビュー。
現在は、古坂大魔王として、バラエティ番組に出演し、コメンテーターとしてもご活躍中です。
また、音楽活動も行っていて、メジャーアーティストとのコラボや、楽曲提供を手がけていらっしゃいます。
そして、世界的シンガーソングライター、「ピコ太郎」のプロデューサーとして
活躍の場を国内外へ広げていらっしゃいます。
今週は、古坂大魔王さんのこれまでの人生について、お話を伺いました。
──カッコいい男になるために
茂木:古坂さんは学校に行くという設定で東京に出てこられたんですよね。
古坂大魔王:そうなんです。うちのお母さんがもう厳しくて。小学校3年生からお笑いをやりたかったんですけど、ずっとお母さんにダメって言われていたんです。
たまたま、ウッチャンナンチャンさんが出た日本映画学校にお笑いの授業があったので、僕は確信犯的に入ってすぐ辞めようと思ってたんです。で、2週間で辞めました(笑)。
茂木:でも、お笑い芸人の世界ってすごい競争じゃないですか。
古坂大魔王:今とまた少し違いますよね。芸人の数は今の方が多いんですけど、今はアウトプットの場がたくさんあるので。
当時はテレビかお笑いライブの2つくらいしかなかったんです。そこに、今で言えばくりぃむしちゅー、ネプチューン、先輩では爆笑問題っていっぱいいて。その中で、この先輩たちに勝たないとテレビに出られなかったんですよ。
吉本の方にはさらに倍近い数の芸人がいて、僕らもほぼ素人みたいなものなので、素人の人間の一発芸も面白いので、そことも勝負しなくちゃいけない。月に20本ぐらいオーディションがありましたね。
茂木:20本!? でも、途中でボキャブラ天国とかも出ていましたよね。
古坂大魔王:正直、バイトしていたのは2年間でした。でも、僕たちは当時20歳で、他の人たちは24・25歳くらいで。力の差があまりにもあったんですよね。
僕たちは勢いでいったので、何か言えば現場は盛り上がるんですけど、テレビの人はみんな大人なので、”こいつらは勢いだな”っていう感じでテレビに使われるのはやっぱり、くりぃむしちゅーだったりネプチューンだったり爆笑問題だったり…。僕らはダメだったんです。
でも、まあそれなりにご飯は食べれていました。その次は、NHKのオンエアバトル。
そこで、PPAPの元ネタであるテクノ体操というネタをやって、立川談志師匠に気に入っていただきまして。
茂木:談志師匠が気に入ったというのがすごいですよね!
古坂大魔王:僕はあの人がなんでそんなに偉いのかって全くわかっていなくて、”なんだこの人は?”って最初は思っていたんです。
で、オンエアバトルでテクノ体操をやって600点中160点しかもらえなくてダントツビリで。
そのときの優勝はDonDokoDonだったんですけど、サプライズで談志さんが「あそこのお兄ちゃん。変なやつやった。あれね、意味わかんねんだけどね、イリュージョンだからいいや。あげる」って特別賞をくれたんです。
それがすごい盛り上がって、そこから何度か談志師匠には飲みに連れてもらったりとか色々しましたね。
茂木:底抜けAIR-LINEの頃から音芸をやろうっていう意識あったんですか?
古坂大魔王:いえ、芸人始めて4年目のときですね。今はエイベックスに所属しているんですけど、その前はホリプロコム、その前はエムツーカンパニーという事務所で、
さらにその前は「なべや」という渡辺正行さんの個人事務所にいて、そこで吉本、太田プロ、ナベプロと勝負したんです。
そうするとライブでは勝つんですけど、そこから次はテレビとなると、お呼びがかからないんです。どうしようと思って、メンバーそれぞれで仕事につながるような趣味や知識を何個か持つことにしたんです。
例えば、喋り・歌・格闘技・雑学とか…そういうのを覚えようと思って、君はアニメ。君は映画。僕は音楽をやりますっていって、
ボキャブラのときの金があったので、僕は全額700万円をパソコン機材に使ったんです。
茂木:700万円も機材に投入したんですか!
古坂大魔王:他の芸人は車を買ったりしていたんですけど、免許もなかったので。
パソコンを買って覚えて、当時は自分で曲作ってレコーディングして…っていう芸人っていなかったので、これはイケると思ってやったんですね。
茂木:そこで、テクノユニット・ノーボトムを結成するんですね。
お笑いやりつつ音楽というのは、非常にユニークなキャリアですよね。
古坂大魔王:これは先週も言っていた、天邪鬼。隙間を埋めるってやつですね。
僕の子供の時はとんねるずさん、ドリフターズさんが歌とお笑いの両方やっていて、カッコよかったんですね!
芸人なのにパッとタップダンスやったり、歌ったりトランペットを吹けたり…。僕は男前じゃない分、カッコいい男になりたかったんですね。カッコいい人は音楽だと思ったので。
あと、あざとく考えたのは、バブルガム・ブラザーズの『WON'T BE LONG』があったんですよ。トムさんとブラザー・コーンさんって、もともと芸人さんで。
でも曲ってやっぱりすごいので、ガンと行くと横から横入りできるんですね。売れてる人達よりもグンと上に行けるんですよ。
茂木:なるほど!
古坂大魔王:正直、5万人お客さんがいた場合、お笑いのパワーって音楽に負けるんですね。音楽は音が大きいので。どんなに売れてる人間も曲に負けるんです。それを手に入れたかったんですよ。
──世界にピコ太郎を
茂木:そして、番組テーマでもある夢についてお聞きしたいんですけど…。
古坂大魔王:紅白出場、サマソニに出るという夢は全部叶えることができたので、新たに夢を作らなきゃいけなくなって。
やっぱり恩人・ジャスティンビーバーとコラボもしたいんですけど、東京オリンピックの開会式で絶対歌いたいんです!
茂木:これは歌うでしょう!
古坂大魔王:歌いたいんですけどね〜!まだピコ太郎に話がきてないと思うんですよね。
茂木:ピコ太郎のところで話が止まっちゃってるってことはないですか?
古坂大魔王:あの人は全スルーなので(笑)。なんとか東京オリンピックで歌いたいですね。
なぜかと言うと、やっぱり全世界から観に来るはずなので、全世界の人が知ってる人が歌った方が良いと思っているんです。
茂木:そしたら、ピコ太郎でしょうね。
古坂大魔王:これは自信ありますね。あとは、コラボレーションですね。有名な人ともそうですけど、この2年ぐらいで30地域くらい行ったので、危なくないかぎり全世界を回って、しかもきちんと呼んでいただいて行きたいです。
呼んでいただいて行ったという人が日本ではあまりいなかったはずなので、このラッキー中に行かないとダメだなって思っていて。
今は全世界、全国、全大陸を回ろうと思っています。しかもそれは、呼ばれて行きたいんです。
ウガンダも国連もスペインも、今までは全部呼んでいただいたので、ちゃんと呼ばれた上で行きたいなと。
そのためにはまだまだ頑張らないといけないですね。行くとすごく打ち解けれるんですよ。やっぱり一番いいのは会うことだなと思ったんですね。
茂木:うんうん。
古坂大魔王:実際に会って日本の文化について話すとすごく優しくなってくれるし、
やっぱり知ってくれてる人がいるうちは世界をいっぱい回って、いろんな子供達や大人達と何かやりたいなって思っています。
茂木:ピコ太郎はもう、アンバサダーですね!
●古坂大魔王 公式サイト
●ピコ太郎(PIKOTARO)オフィシャルサイト
●ピコ太郎のつくりかた (NewsPicks Book) / 古坂 大魔王 (著)
(Amazon)