Dream Heart(ドリームハート)

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REPORT 最新のオンエアレポート

Dream HEART vol.308 東京バレエ団芸術監督 斎藤友佳理さん

2019年02月23日

今週ゲストにお迎えしたのは、東京バレエ団の芸術監督、斎藤友佳理さんです。

1967年、横浜市生まれ。
6歳でバレエを始め、15歳からロシアへ短期留学を繰り返し
1987年、東京バレエ団に入団。

詩情あふれる典雅な踊りとドラマティックな表現力で人気を集め、
1992年のロシア公演「ラ・シルフィード」をボリショイ劇場、マリインスキー劇場などで踊り、大絶賛されます。

2005年に芸術選奨 文部科学大臣賞を、また、2012年に『オネーギン』を演じ、これまでの芸術への功績に対し紫綬褒章を受章されました。

その後、バレエ教師の資格を取得するため、在学していた、
ロシア国立舞踊大学院のバレエマスターと教師科を首席で卒業し、東京バレエ団の公演の指導、演出を行い、高い評価を得ていらっしゃいます。

そして、2015年8月に東京バレエ団芸術監督に就任され、ご活躍中でいらっしゃいます。

そんな斎藤友佳理さんに、お話を伺いました。


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──七転び八起き

茂木:お母様が、バレエの先生をやってらしたということなんですけど。
家の中に、常にクラシックとかバレエとかそういうものがある雰囲気だったんですか?

斎藤:そうですね。本棚にはいつもバレエのアルバムがあり…っていう中で育ちました。

茂木:東京バレエ団にも素晴らしいダンサーの方が何人もいらっしゃると思うんですけど、やはり小さな時から始めた方がいいんですか?

斎藤:小さすぎても良くないと思うんですよ、理解することができなかったりということもあるので。
でも、体を使って体操的なことは早いうちからやった方がいいと思います。バレエは5歳、6歳ぐらいから始めるのが一番いいんじゃないかと、私は思っているんですが。

茂木:うんうん。

斎藤:今は、3歳から始めたりする人が多いですよね。だんだん年齢が下がってきていますよね。

茂木:斉藤さんのキャリアの中ですごいのが、15歳からロシアに留学されたということで、思いきりましたね。

斎藤:私が行った頃は今のように自由に行き来できる時代じゃなくて、ソ連邦の鉄のカーテンがバリバリの頃ですね。

茂木:え! まだソ連邦の頃ですか、これは大変だ。

斎藤:今とは全く違う国に行ってました。外国人は隔離されて自由な行動っていうのが……。

茂木:じゃあ、いつも誰か見張っているみたいな?

斎藤:らしいですね、後から知ってゾっとしたんですけど(笑)。
その時代だったからこそ、こんなチャンスはないと思って。

茂木:東京バレエ団に入団されたのは18歳の時なんですね、その後も東京とロシアは行ったり来たり?

斎藤:行ったり来たりしていましたね。

茂木:ボリショイ・バレエ団のプリンシパルだったニコライ・フョードロフさん、こちらの方とペアで踊っていて、色々教えて頂いてたんですよね?
これも、ある意味では雲の上の人ですよね?

斎藤:そう、雲の上の人でした。

茂木:ところが、劇的なことがあったんですよね?

斎藤:はい(笑)。

茂木:ニコライさんとご結婚されるんですけど、突然のプロポーズがあって、これはどういう形でプロポーズされたんですか?

斎藤:彼の先生と私の先生が同じだったり、私と彼が出会う前から母と彼は知り合いだったんですね。
だから、家族みたいな感じだったんですけど。

茂木:じゃあ、小さい頃から知っていたんですか?

斎藤:私はボリショイ劇場が来日した時に、彼の踊りを見ていたり、小さい時に楽屋に連れて行ってもらったりしていて。

茂木:その時は向こうはスターですもんね。それがなんと、ニコライさんの方から言ってきたんでしょ? どういう感じだったんですか?

斎藤:私には何も言わずに、私のパパとママに「パパ、ママ、僕は友佳理と結婚する」って言ったんですよ。

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茂木:すごいプロポーズですね(笑)。
そしてご結婚されたということで、今、お子さんは何歳になられたんですか?

斎藤:24歳になりました。

茂木:やっぱりバレエ関係に?

斎藤:全然違います、映画関係で、ロシア国立映画大学の撮影科を卒業して、今は映画を撮ってます。

茂木:じゃあ監督ですね。

斎藤:映画監督っていうより、撮影監督の方ですね。

茂木:やっぱり、芸術一家なんですね。

斎藤:それはどうか分からないですけど(笑)。
とにかく小さい時から撮ることが好きで映画を撮ってましたから、自分が好きな道に進んだんだなと思っています。

茂木:バレエ公演中の靭帯断裂というお怪我をされて、「ジゼル」で復帰、指導者の資格を取るために、またロシアに留学するというドラマチックな人生ですよね。

斎藤:私の時代には、ロシアでちゃんとバレエの勉強をしたいと思ってもする術がなかったんですよね。
今だからこそ、バレエ学校に留学したり、自由に行き来できたりっていうのが可能になってきましたけど。その時にはどんなに勉強したくても、できなかったんです。
だから、いつも自分の中で、“自分は舞台で踊っているけど、ちゃんと基礎からきちっと勉強してこなかった”って、いつかきちんと勉強したいっていう気持ちがずっとずっとあったので。

茂木:振り返ると、斎藤さんは日本人があまり行ってなかった時にロシアに15歳から留学されていたと。
そして、ご結婚されてお子さんをお産みになった後も舞台にいたと、そして、怪我をされても怪我を乗り越えて復帰された、そしてロシアで今度……。

斎藤:そう、七転び八起きみたいな(笑)。

茂木:振り返ってみると、誰もやっていないことをやってきたんですよね。
こんな優しい雰囲気で、本当は芯が強いんですか?

斎藤:どうでしょうか(笑)。ただひとつ、当時「オネーギン」を踊るということが叶えられていなかったんですよ。
一番最初に、モーリス・ベジャールさんが、佐々木さんに“私にオネーギンのタチアナを踊らせるべきだ”って言ってくださったことが、何度か実現しようとしたんですけど、実現しないでそのままずっと来ちゃっていたんです。
それで、必ずそれをを踊るまではやめられないっていう気持ちが、くじけそうになった時に支えてくれてたんじゃないかなっていう気はしますけどね。

茂木:そのオネーギンを踊られたわけですよね。

斎藤:最後の舞台が「オネーギン」だったんですけど、絶対、中途半端でやり残したままやめてしまうっていうのは、性格的に好きじゃないことだったので。

茂木:やっぱり芯が強いんだ(笑)。

東京バレエ団公演「海賊」公式サイト

●「ユカリューシャ―奇跡の復活を果たしたバレリーナ」 / 斎藤 友佳理

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来週は、世界中にブームを巻き起こしたアーティスト「ピコ太郎」のプロデューサー、古坂大魔王さんをお迎えしてお送りいたします。
お楽しみに!