2018年11月17日
今週ゲストにお迎えしたのは、作家の川内有緒さんです。
1972年、東京都生まれ。
日本大学芸術学部卒業後、アメリカのジョージタウン大学で、中南米地域研究学で修士号を取得。
その後、アメリカ企業、日本のシンクタンク、フランス・パリの国連機関などに勤務し、国際協力分野で12年間勤務後、2010年フリーのライターに転身。
2013年には、バングラデシュの吟遊詩人たちを追った、『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で、第33回新田次郎文学賞を受賞。
そして、今年の7月、現代美術のスーパースター蔡國強(ツァイ・グオチャン)と
福島県いわき市で会社を経営されている、志賀忠重の、およそ30年にわたる交流を追い、アートの「力」で起こした奇跡に迫った、
「空をゆく巨人」で、第16回開高健ノンフィクション賞を受賞されました。
──海を渡って
茂木:川内さんは、今もう波に乗ってますね。
川内:全然そんなことないですよ(笑)。
茂木:日大芸術学部を卒業後、アメリカのジョージタウン大学で中南米地域研究学を専攻されていますけど
アメリカで勉強しようと思われたのはなぜですか?
川内:ただアメリカに行きたかったんですよ。大学卒業したら日本で就職するみたいのが全然ピンと来なくて。
どこかの国に住んでぶらぶらしたいっていう気持ちが強くって、それでアメリカに渡って。
茂木:でも、修士号って大変でしょ?
川内:大変ですね、入ったのはアメリカに行って9ヶ月後ぐらい。そのあいだはちょっとぶらぶらして、そのままアメリカに居続けるには何か身になることをしなければいけないだろうと思ってジョージタウン大学に入りました。
茂木:そして、なぜ中南米地域研究学だったんですか?
川内:外交学部っていう学部なんですけど、いろんな地域が選べて、せっかくだから日本から一番遠そうな、日本で勉強できなさそうなところを選ぼうかなと思って(笑)。
茂木:なるほど〜。そして、アメリカの企業、日本のシンクタンク、フランスパリにある国連機関ユネスコに勤務されて、国際協力分野で12年間働いていらっしゃったのですが…辞めてしまって2010年にフリーのライターに転身ということですが、国連職員は給料も高いし、ずっと勤めていれば年金もつくし、安定してるじゃないですか?
川内:安定感は半端ないですね(笑)。
茂木:なんでそんな恵まれた環境を辞めちゃったんですか?
川内:自分の方向とどんどんずれてきた感じがあって、官僚組織で働くのは自分には向かないなっていうのもはっきり分かったので、意外と未練はなかったです。
茂木:そして2013年、バングラデシュの吟遊詩人たちを追った「バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌」
こちらで第33回新田次郎文学賞を受賞されたということで、このバウルっていう吟遊詩人は探すのが本当に大変だったみたいですね。
川内:常に移動生活をしている自由な人たちなので、思った以上に難しくて、それを探していく旅ですね。
茂木:そして今年の7月、現代美術のスーパースター蔡國強さんと、福島県いわき市で会社を経営されている、志賀忠重さんのおよそ30年にわたる交流を追い、アートの「力」で起こした奇跡に迫った、「空をゆく巨人」で、第16回開高健ノンフィクション賞を受賞されました。
今までの人生、波乱万丈ですね(笑)。
川内:感覚だけで生きてきてしてしまったので(笑)。
茂木:今回の「空をゆく巨人」この志賀忠重さん、蔡國強さんも面白いんですけど。著者がさらに面白いっていうね(笑)。
川内:どうでしょう(笑)。この人たちは本当にすごいです。
茂木:「空をゆく巨人」の登場人物たちの破天荒ぶりって、信じられないですよね。
川内:本当に、嘘なんじゃないかって思ってる時期もあって。本当にこんなことあるのかな?みたいな(笑)。
茂木:でも、事実だったわけですからね。取材してて、“こんなことあるはずないでしょ!?”みたいな(笑)。
川内:だって、そういうことが起こるじゃないですか(笑)。
●川内有緒さん オフィシャルウェブサイト
●川内有緒 (@ArioKawauchi) | Twitter
●川内有緒 |note
●河出書房新社 公式サイト
空をゆく巨人 / 川内有緒
(Amazon)
来週も引き続き、作家の川内有緒さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
1972年、東京都生まれ。
日本大学芸術学部卒業後、アメリカのジョージタウン大学で、中南米地域研究学で修士号を取得。
その後、アメリカ企業、日本のシンクタンク、フランス・パリの国連機関などに勤務し、国際協力分野で12年間勤務後、2010年フリーのライターに転身。
2013年には、バングラデシュの吟遊詩人たちを追った、『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で、第33回新田次郎文学賞を受賞。
そして、今年の7月、現代美術のスーパースター蔡國強(ツァイ・グオチャン)と
福島県いわき市で会社を経営されている、志賀忠重の、およそ30年にわたる交流を追い、アートの「力」で起こした奇跡に迫った、
「空をゆく巨人」で、第16回開高健ノンフィクション賞を受賞されました。
──海を渡って
茂木:川内さんは、今もう波に乗ってますね。
川内:全然そんなことないですよ(笑)。
茂木:日大芸術学部を卒業後、アメリカのジョージタウン大学で中南米地域研究学を専攻されていますけど
アメリカで勉強しようと思われたのはなぜですか?
川内:ただアメリカに行きたかったんですよ。大学卒業したら日本で就職するみたいのが全然ピンと来なくて。
どこかの国に住んでぶらぶらしたいっていう気持ちが強くって、それでアメリカに渡って。
茂木:でも、修士号って大変でしょ?
川内:大変ですね、入ったのはアメリカに行って9ヶ月後ぐらい。そのあいだはちょっとぶらぶらして、そのままアメリカに居続けるには何か身になることをしなければいけないだろうと思ってジョージタウン大学に入りました。
茂木:そして、なぜ中南米地域研究学だったんですか?
川内:外交学部っていう学部なんですけど、いろんな地域が選べて、せっかくだから日本から一番遠そうな、日本で勉強できなさそうなところを選ぼうかなと思って(笑)。
茂木:なるほど〜。そして、アメリカの企業、日本のシンクタンク、フランスパリにある国連機関ユネスコに勤務されて、国際協力分野で12年間働いていらっしゃったのですが…辞めてしまって2010年にフリーのライターに転身ということですが、国連職員は給料も高いし、ずっと勤めていれば年金もつくし、安定してるじゃないですか?
川内:安定感は半端ないですね(笑)。
茂木:なんでそんな恵まれた環境を辞めちゃったんですか?
川内:自分の方向とどんどんずれてきた感じがあって、官僚組織で働くのは自分には向かないなっていうのもはっきり分かったので、意外と未練はなかったです。
茂木:そして2013年、バングラデシュの吟遊詩人たちを追った「バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌」
こちらで第33回新田次郎文学賞を受賞されたということで、このバウルっていう吟遊詩人は探すのが本当に大変だったみたいですね。
川内:常に移動生活をしている自由な人たちなので、思った以上に難しくて、それを探していく旅ですね。
茂木:そして今年の7月、現代美術のスーパースター蔡國強さんと、福島県いわき市で会社を経営されている、志賀忠重さんのおよそ30年にわたる交流を追い、アートの「力」で起こした奇跡に迫った、「空をゆく巨人」で、第16回開高健ノンフィクション賞を受賞されました。
今までの人生、波乱万丈ですね(笑)。
川内:感覚だけで生きてきてしてしまったので(笑)。
茂木:今回の「空をゆく巨人」この志賀忠重さん、蔡國強さんも面白いんですけど。著者がさらに面白いっていうね(笑)。
川内:どうでしょう(笑)。この人たちは本当にすごいです。
茂木:「空をゆく巨人」の登場人物たちの破天荒ぶりって、信じられないですよね。
川内:本当に、嘘なんじゃないかって思ってる時期もあって。本当にこんなことあるのかな?みたいな(笑)。
茂木:でも、事実だったわけですからね。取材してて、“こんなことあるはずないでしょ!?”みたいな(笑)。
川内:だって、そういうことが起こるじゃないですか(笑)。
●川内有緒さん オフィシャルウェブサイト
●川内有緒 (@ArioKawauchi) | Twitter
●川内有緒 |note
●河出書房新社 公式サイト
空をゆく巨人 / 川内有緒
(Amazon)
来週も引き続き、作家の川内有緒さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。