2018年07月14日
今週ゲストにお迎えしたのは、政治学者の白井聡さんです。
白井さんは、1977年、東京都のご出身。
早稲田大学 政治経済学部 政治学科卒業後、一橋大学大学院 社会学研究科 博士課程単位取得退学。
2010年、一橋大学博士(社会学)の学位を取得。
専門は社会思想、政治学で、主にロシア革命の指導者である、レーニンの政治思想をテーマとした研究を手掛けられていましたが、
3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論――戦後日本の核心』で、第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞されていらっしゃいます。
近年は現代日本政治史の分野でも活躍中で、京都精華大学人文学部の専任講師を務めていらっしゃいます。
先日、集英社新書から「国体論 菊と星条旗」を刊行されました。
そんな白井さんに、お話を伺いました。
──国体の歴史
茂木:今回の「国体論 菊と星条旗」についてお伺いしたいんですけど、「国体」とはどういう意味なんでしょうか?
白井:現代では死語になっているわけですけど。この言葉というのは戦前ある意味力を持った言葉なんですね。
日本国の独特の国のあり方というものを指す言葉だったわけですけれども。
茂木:はい。
白井:単にそういう意味を持っただけじゃなくて、それに反するような考えというのはいけない考えだっていうのが、1945年までの日本の常識だったわけですよね。1945年にポツダム宣言を受諾して、第二次世界大戦、日本は敗北に終わるわけですよね。
周知のように、そこから民主主義改革というものがされて今日まで民主主義社会になったんだとういことになっているわけで。
民主主義改革をやっていく過程で、「国体」というのは廃止されなければいけないという対象にされました。
茂木:はい。
白井:戦前の日本社会は民主主義が不十分だと捉えられたわけですけども、不十分性の表れが国体の概念だったということで、戦後において国体というのは廃止されたということになっていたんですね。
ここ数年の日本社会の動き、日本国家のあり方を見てみると、私が思うには国体は言葉としては一見死んだように見えるけど、実は死んでいないんじゃないかっていうことを考えるようになって。そこから「国体論」という、それをタイトルにした本を書くに至ったということなんです。
茂木:一般の考えでは戦前と戦後の日本は違うと思われがちだけど、今回繋がっているものに注目すると、より日本の置かれた状況が理解できるようになると。
白井:微妙な言い方になって難しいところなんですけど、繋がっているという面もあれば、断絶してる面もあるんですね。
そこで工夫として考えてみたのが、戦前の歴史も、戦後の歴史も、どっちも「国体の歴史」っていう風に総括できるんじゃないかと考えたんですね。
茂木:うんうん。
白井:明治維新を1868年にやるわけですけど、そこから国体なるものが明治政府の主導によって形成されていくわけです。
天皇を中心にした国家のあり方ということですけど。日本を近代化していく際に非常に大きな役割を果たすわけですね。
だから明治日本の発展というのは、同時に国体の発展でもあったと言えるわけなんです。
大正時代に、大正デモクラシーの時代と大正時代はよく言われますけども、国家的な統制がゆるんだ時代が訪れるわけなんですね。
茂木:はいはい。
白井:文化的にも思想的にも自由主義的なものが流行するようになりますね。
これは明治時代の国家中心の社会からは一味違った社会になったんだと。でも長くは続かなかったんですね。関東大震災あたりから急速に世相が悪くなっていって、経済的にも恐慌が相次ぎますし、留めを刺したのが世界大恐慌の波っていうのが日本にも及んでくる。そこで日本国家はどうしたかというと、いわゆる15年戦争を始めてしまうんですね。
茂木:そうですね。
白井:その際に国体概念が猛威を振るう時代になっていくわけですね。1930年代後半ですけど、「国体の本義」というパンフレットを文部省が作成しておりますけど。
茂木:はい。
白井:その中では日本国民というのは天皇を大いなる父としていただく家族国家なんだと、こういう公式見解を出して、それに異を唱えることは許されないっていう状況を作っていく。その挙句に破滅的な戦争を続けていって、45年に敗戦して国家体制を変えざるを得ないっていうところに。
つまりは戦前の歴史っていうのは国体が一回生まれて発展して、そして一旦ゆるんだ後にむちゃくちゃ厳しくなって崩壊するっていうのが戦前の国体の歴史だったと。
じゃあ戦後の歴史って何なんだろう?と、僕は戦後に「国体」というものが生き残っちゃったんだという。
茂木:今回の本の非常にオリジナルのポイントですね。
白井:はい。それはどういう形で生き残ったんだろうかと、戦前、戦中の天皇制ファシズムなんていうのはないわけなんですよね。
じゃあどういう意味で生き残っているのかというと、僕はそこでアメリカの存在に目をつけたんですね。
茂木:なるほど。
白井:ここは本の中で詳しく論じていることなんですけど、戦後、国体は再編成されたと、もちろん無傷でいられるわけないんですね。
あれだけの大戦争をやってしまって負けたわけですから。じゃあ、どうなったかというとフルモデルチェンジであると、そのフルモデルチェンジされた国体の頂点にはかつての天皇の代わりにアメリカが座っているという形で。
茂木:アメリカがね。
白井:じゃあ戦後はどうやって始まったかというと、まさにアメリカの占領によって日本の戦後っていうのは始まるわけですから。
そこが戦後の「国体」の始まりなんですよね。目覚ましい復興、経済発展を日本は遂げていくわけですね。その絶頂期が80年代だったと今から振り返れば言えると思いますけど。
あの時代って日本はバブル景気に湧いて、日本の地価が高騰したせいで日本の土地でもって全部アメリカが二回買えちゃうぞということまで言われたわけですね。
茂木:そういう時代ありましたね。
白井:つまりこれって、アメリカに支配されている日本ではないんだという、ある種の雰囲気っていうのがあったと思うんですね。
茂木:はい。
白井:ところがその後どうなったかと、いわゆる“失われた20年”と言われてきましたけど。
最近はあんまり失われたって言われなくなってきましたけど、じゃあ失われた時代で止まったんだろうかというと止まってないんですね。
実は失われた30年になってるだけだと思うんです。
茂木:うんうん。
白井:その30年のあいだ何が進行してきたかというと、戦後日本の対米従属っていうのは最初は占領で始まり、そのあと世界的な東西対立、冷戦構造の中で自由主義陣営の中にいて、アメリカにくっついてることのメリットが大きかったからそれを選択した。それによって発展に成功したという側面があるわけですね。
ところが1989年から90年くらいにかけて、冷戦構造っていうのが崩壊するわけですね。
そうすると実は、アメリカに追随してる理由が薄くなってくるんですね。ところが、この30年間どうなってきたでしょうかと、例えば日米同盟という言葉とか…ここ数年で多用されるようになってきましたね。
つまり、アメリカと日本っていうのは一心同体なんだっていう観念がますます高まっている。
茂木:はい。
白井:実は逆に一心同体でなくなってるというのが客観的な構造のはずなのに。なぜか雰囲気としてはますます一体化しているし、しなきゃならんということになっているわけなんですね。
私はある種、戦後の国体の崩壊過程なんだろうなと見てるわけです。つまりこういう形で戦前の国体の歴史と、戦後の国体の歴史がパラレルな形で並行してると見えてくるんですね。
茂木:これから日本はどういう方向にいくといいんですかね?
白井:このままいくとですね、戦前の国体ってたくさんの人が非業の死を遂げて、破滅的な形で戦前の国体は崩壊をしたわけですけども。
このままいくと戦後の国体の終わりというのも、そういう形になりかねない。
茂木:ハードランディングになるということですね。
ソフトランディングするにはどうしたらいいんですかね?
白井:これは国民がしっかりするしかないっていうところだと思うんですね。
国民にしっかりしようとっていうことを呼びかけるために、そういった意図を持って書かれてるわけなんですけどね。
茂木:本当に素晴らしい本で、みなさんぜひお読みいただきたいと思いますね。
(Amazon)
●『国体論 菊と星条旗』 集英社新書
来週も引き続き、政治学者の白井聡さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
白井さんは、1977年、東京都のご出身。
早稲田大学 政治経済学部 政治学科卒業後、一橋大学大学院 社会学研究科 博士課程単位取得退学。
2010年、一橋大学博士(社会学)の学位を取得。
専門は社会思想、政治学で、主にロシア革命の指導者である、レーニンの政治思想をテーマとした研究を手掛けられていましたが、
3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論――戦後日本の核心』で、第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞されていらっしゃいます。
近年は現代日本政治史の分野でも活躍中で、京都精華大学人文学部の専任講師を務めていらっしゃいます。
先日、集英社新書から「国体論 菊と星条旗」を刊行されました。
そんな白井さんに、お話を伺いました。
──国体の歴史
茂木:今回の「国体論 菊と星条旗」についてお伺いしたいんですけど、「国体」とはどういう意味なんでしょうか?
白井:現代では死語になっているわけですけど。この言葉というのは戦前ある意味力を持った言葉なんですね。
日本国の独特の国のあり方というものを指す言葉だったわけですけれども。
茂木:はい。
白井:単にそういう意味を持っただけじゃなくて、それに反するような考えというのはいけない考えだっていうのが、1945年までの日本の常識だったわけですよね。1945年にポツダム宣言を受諾して、第二次世界大戦、日本は敗北に終わるわけですよね。
周知のように、そこから民主主義改革というものがされて今日まで民主主義社会になったんだとういことになっているわけで。
民主主義改革をやっていく過程で、「国体」というのは廃止されなければいけないという対象にされました。
茂木:はい。
白井:戦前の日本社会は民主主義が不十分だと捉えられたわけですけども、不十分性の表れが国体の概念だったということで、戦後において国体というのは廃止されたということになっていたんですね。
ここ数年の日本社会の動き、日本国家のあり方を見てみると、私が思うには国体は言葉としては一見死んだように見えるけど、実は死んでいないんじゃないかっていうことを考えるようになって。そこから「国体論」という、それをタイトルにした本を書くに至ったということなんです。
茂木:一般の考えでは戦前と戦後の日本は違うと思われがちだけど、今回繋がっているものに注目すると、より日本の置かれた状況が理解できるようになると。
白井:微妙な言い方になって難しいところなんですけど、繋がっているという面もあれば、断絶してる面もあるんですね。
そこで工夫として考えてみたのが、戦前の歴史も、戦後の歴史も、どっちも「国体の歴史」っていう風に総括できるんじゃないかと考えたんですね。
茂木:うんうん。
白井:明治維新を1868年にやるわけですけど、そこから国体なるものが明治政府の主導によって形成されていくわけです。
天皇を中心にした国家のあり方ということですけど。日本を近代化していく際に非常に大きな役割を果たすわけですね。
だから明治日本の発展というのは、同時に国体の発展でもあったと言えるわけなんです。
大正時代に、大正デモクラシーの時代と大正時代はよく言われますけども、国家的な統制がゆるんだ時代が訪れるわけなんですね。
茂木:はいはい。
白井:文化的にも思想的にも自由主義的なものが流行するようになりますね。
これは明治時代の国家中心の社会からは一味違った社会になったんだと。でも長くは続かなかったんですね。関東大震災あたりから急速に世相が悪くなっていって、経済的にも恐慌が相次ぎますし、留めを刺したのが世界大恐慌の波っていうのが日本にも及んでくる。そこで日本国家はどうしたかというと、いわゆる15年戦争を始めてしまうんですね。
茂木:そうですね。
白井:その際に国体概念が猛威を振るう時代になっていくわけですね。1930年代後半ですけど、「国体の本義」というパンフレットを文部省が作成しておりますけど。
茂木:はい。
白井:その中では日本国民というのは天皇を大いなる父としていただく家族国家なんだと、こういう公式見解を出して、それに異を唱えることは許されないっていう状況を作っていく。その挙句に破滅的な戦争を続けていって、45年に敗戦して国家体制を変えざるを得ないっていうところに。
つまりは戦前の歴史っていうのは国体が一回生まれて発展して、そして一旦ゆるんだ後にむちゃくちゃ厳しくなって崩壊するっていうのが戦前の国体の歴史だったと。
じゃあ戦後の歴史って何なんだろう?と、僕は戦後に「国体」というものが生き残っちゃったんだという。
茂木:今回の本の非常にオリジナルのポイントですね。
白井:はい。それはどういう形で生き残ったんだろうかと、戦前、戦中の天皇制ファシズムなんていうのはないわけなんですよね。
じゃあどういう意味で生き残っているのかというと、僕はそこでアメリカの存在に目をつけたんですね。
茂木:なるほど。
白井:ここは本の中で詳しく論じていることなんですけど、戦後、国体は再編成されたと、もちろん無傷でいられるわけないんですね。
あれだけの大戦争をやってしまって負けたわけですから。じゃあ、どうなったかというとフルモデルチェンジであると、そのフルモデルチェンジされた国体の頂点にはかつての天皇の代わりにアメリカが座っているという形で。
茂木:アメリカがね。
白井:じゃあ戦後はどうやって始まったかというと、まさにアメリカの占領によって日本の戦後っていうのは始まるわけですから。
そこが戦後の「国体」の始まりなんですよね。目覚ましい復興、経済発展を日本は遂げていくわけですね。その絶頂期が80年代だったと今から振り返れば言えると思いますけど。
あの時代って日本はバブル景気に湧いて、日本の地価が高騰したせいで日本の土地でもって全部アメリカが二回買えちゃうぞということまで言われたわけですね。
茂木:そういう時代ありましたね。
白井:つまりこれって、アメリカに支配されている日本ではないんだという、ある種の雰囲気っていうのがあったと思うんですね。
茂木:はい。
白井:ところがその後どうなったかと、いわゆる“失われた20年”と言われてきましたけど。
最近はあんまり失われたって言われなくなってきましたけど、じゃあ失われた時代で止まったんだろうかというと止まってないんですね。
実は失われた30年になってるだけだと思うんです。
茂木:うんうん。
白井:その30年のあいだ何が進行してきたかというと、戦後日本の対米従属っていうのは最初は占領で始まり、そのあと世界的な東西対立、冷戦構造の中で自由主義陣営の中にいて、アメリカにくっついてることのメリットが大きかったからそれを選択した。それによって発展に成功したという側面があるわけですね。
ところが1989年から90年くらいにかけて、冷戦構造っていうのが崩壊するわけですね。
そうすると実は、アメリカに追随してる理由が薄くなってくるんですね。ところが、この30年間どうなってきたでしょうかと、例えば日米同盟という言葉とか…ここ数年で多用されるようになってきましたね。
つまり、アメリカと日本っていうのは一心同体なんだっていう観念がますます高まっている。
茂木:はい。
白井:実は逆に一心同体でなくなってるというのが客観的な構造のはずなのに。なぜか雰囲気としてはますます一体化しているし、しなきゃならんということになっているわけなんですね。
私はある種、戦後の国体の崩壊過程なんだろうなと見てるわけです。つまりこういう形で戦前の国体の歴史と、戦後の国体の歴史がパラレルな形で並行してると見えてくるんですね。
茂木:これから日本はどういう方向にいくといいんですかね?
白井:このままいくとですね、戦前の国体ってたくさんの人が非業の死を遂げて、破滅的な形で戦前の国体は崩壊をしたわけですけども。
このままいくと戦後の国体の終わりというのも、そういう形になりかねない。
茂木:ハードランディングになるということですね。
ソフトランディングするにはどうしたらいいんですかね?
白井:これは国民がしっかりするしかないっていうところだと思うんですね。
国民にしっかりしようとっていうことを呼びかけるために、そういった意図を持って書かれてるわけなんですけどね。
茂木:本当に素晴らしい本で、みなさんぜひお読みいただきたいと思いますね。
(Amazon)
●『国体論 菊と星条旗』 集英社新書
来週も引き続き、政治学者の白井聡さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。