2018年06月02日
今週ゲストにお迎えしたのは、先週に引き続き、ジャズ・ピアニスト、大西順子さんです。
大西さんは、京都府生まれ、その後、東京で育つ。
1989 年、バークリー音楽大学を卒業後、NYでプロ活動を開始。
1993年、デビューアルバム「ワウ WOW」が大ベストセラーに。
翌年、NYの名門ジャズクラブ「ビレッジ・バンガード」に
日本人で初めてリーダー公演を行う。
また、1995 年のスイングジャーナル誌読者投票では、4部門を受賞するなど、
人気実力ともにトップに昇りつめた中、2000年 3月に長期休養宣言。
そして 2007 年に活動を再開し、2009年、アルバム『楽興の時』、
ついで翌年「バロック」を発売し、各国から高い評価を得るも、2012年に引退。
その後、2015 年に、活動を再開され、
この度、復帰後初となる、セルフ・プロデュースで、
アルバム『Glamorous Life』と『Very Special』を同時リリース。
現在、コンサートで全国を回っていらっしゃいます。
今週は、大西さんを形作る様々なルーツについて、お話しを伺っていきたいと思います。
──ジャズの世界に飛び込むために
茂木:大西さんは、子供の頃はずっとクラシックのピアノをやられていて、その結果としてバークリー音楽大学に入られたのですが、いつ頃ジャズに目覚められたんですか?
大西:ジャズに目覚める前に、まず洋楽なんですよね。
洋楽も、ちょっとマセてたというか…。小学校の時にジェームス・ブラウンを聴いていたんです。
昔、FEN(現在のAFN)っていうラジオ局があったんですけど、子供向け雑誌の付録に小さいラジオがついていたんですよ。
茂木:ありましたね!
大西:それを手にしたのがもう嬉しくて、自分でガチャガチャやっていたら偶然FENが入って。
ウルフマン・ジャック・ショーとか、アメリカン”トップ40フォーティとか、ああいうのから洋楽がガンガン聴こえてきて、中でも、ジェームス・ブラウンがすごく好きで。
ブルースブラザーズを見た時とリンクしたのか、ちょっとその辺りは定かではないんですけど…。
茂木:小学生でブルースブラザーズ見てたんですか!?
大西:たまたま見てました。そこでジェームス・ブラウンが出てきて、あの時は神父さんの役でしたけど、私的にも神が降りたんですね(笑)。
茂木:ジェームス・ブラウンは強烈ですもんね!
大西:それまでやっていたピアノはクラシックといっても子供が弾く練習曲ばかりなので、そういうものからすると、本当に音楽が降りてきた!という感覚になったんです。
茂木:普通だったら日本の音大に行ってクラシックを学んでいたんでしょうけど、そこで人生がガラリと変わってしまったんですね。
ニューヨークで活動を開始された時はどんな感じでしたか?
大西:その時が一番、世間の冷たい風をビンビンと感じましたね。
茂木:だって、いきなりデビューといっても、どうやって活動していけばいいのか…という感じですもんね。
大西:そこが本当に難しいところで、もう口コミしかないんですよ。
しかも、ジャズなので当時は今よりも黒人同士の繋がりがタイトだったんですね。
90年代のアメリカってちょっと暗かったんですよ。経済もダメで、イラク戦争の1回目が始まったりして…。
その時でさえもまだベトナムの傷みたいなのがニューヨークに行くとよく見える時期で、そういう中でジャズという全然売れない音楽の中で少ない椅子取り競争をするわけじゃないですか。そこでなかなか日本人の女の子は入れないんですけど…。
茂木:どうやって入っていったんですか?
大西:逆に、一回ピアノを弾いているのを聴いてもらうと、ギャップに驚いてもらえますよね。
ちょうどその頃はイエローキャブなんて言葉が流行った頃で、日本人の女の子は本気でやってる人に見えないわけですよ。
自称シンガーと言いつつ、本当は追っかけだったり、そういう感じが多かった中、実際に弾いているのを見せると、真剣にやってるのは分かるわけじゃないですか。
そうすると存在がユニークだと捉えられるわけですね。
ミュージシャンによってはフェミニズムを考えるミュージシャンもいて、わざと私みたいなのを雇おうとしてくれる人も増えてきて。そんな感じでジャズシーンにブレークインした感じですね。
茂木:チャンスがあれば、音楽はちゃんと聴いてくれるって事ですよね。
大西:そこに振り向かせるまでが大変でしたね!
──プロになったきっかけと出会い
茂木:ニューヨークにいる時はどこで練習していたんですか?
大西:本当は学生はアルバイトしちゃいけないんだけど、バークリー時代はピアノ科の先生が週末にホテルギグなんて言ってラウンジとかで演奏するアルバイトしているんですけど、自分の都合がつかない時とか生徒に回すんですよ。
週末は大体それが入っていて、それを貯金して半年分ぐらいはギリギリ何もしないでもニューヨークで暮らせるだけ貯金してたんですね。
ブルックリンの安い所に住んで、ピアノはアップライトピアノを借りてました。月20ドルでレンタルしてたので、ひどいピアノでしたけど(笑)。
茂木:月20ドル!?それで練習してたんですか?
大西:そうですね。で、夜になると電車に乗ってライブハウスに行くんですけど、ジャムセッションとかをやってる時間帯があるんですよ。
なかなか弾かせてもらえなかったりするんですけど、人の演奏を聴いているだけでも勉強になるし、やっぱりバークリーとは全然違ってプロの演奏も聴けるし、すごく刺激にはなりましたね。
茂木:ジャムセッションってことは、飛び入りで参加ってこともあるんですか?
大西:結構多いですよ。それがきっかけでプロになったんですけどね。
茂木:僕、コメディクラブも時々行くんですけど、オープンマイクって言って誰でも舞台に上がれちゃうじゃないですか。あれと同じシステムがジャズにもあるんですか?
大西:そうです。リストが置かれてるので自分の名前と楽器を書いておくと呼ばれるんですよ。でも、飛ばされたりするんですよね(笑)。
ジャムセッションとは言いつつ、レベル落としたくないっていうのがあるので、パッと見「こいつ、絶対に弾けないな」って思われて飛ばされたりするんですよね。
茂木:でも、そういうシステムを見るとアメリカはすごい国ですね!逆を言うと実力が問われちゃうってことですから。
そして、チャンスを掴んだメモリアルなジャムセッションもあるんですか?
大西:もちろん!それが全てのきっかけなんですけど、半年経ってそろそろ貯金も尽きてきたので、帰ろうかな、って思って安いチケットを予約したんです。
最後に、全員若手ばかりで評判になってるバンドがハーレムの方でライブやってるってことで、それを見てから帰ろうかな、と思って見に行ったんですよ。
大西:そしたら、たまたまそのバンドのリーダーとピアノの子が喧嘩しててピアノの子がどこかいなくなっちゃって。
誰かピアニストいない?ってリーダーが言った時に、たまたまピアニストが私しかいなかったんですよ!
茂木:やった!
大西:チャンス!と思って、はい!って手をあげたら嫌な顔せずにいれてくれたんです。
そしたら、すごいウケちゃったんですよね。で、その日からそのバンドに私が入ることになっちゃったんです。
茂木:すごい!!
大西:飛行機のチケットはキャンセルして、その日からそのバンドに入ったんですけど、話題になってるから若い子をハントするために色んな大御所が見に来るんですよ。
それで私も色んな人から仕事もらえるようになって、気がついたら普通に生活が出来るようになって、何年か経ってましたね。
茂木:大西さんの人生のお話って、こちらが想定している話を超えてきますね!
大西:漫画っぽいでしょ?最近そう思うんです(笑)。
茂木:映画みたいですよ!面白すぎますね!
(Amazon)
●大西順子 Official Web Site
7/6(金)に有楽町朝日ホールで開催される、
「大西順子 Very Glamorous Tour Final」については、公式サイトでご確認ください。
来週は、作家、辻村深月さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
大西さんは、京都府生まれ、その後、東京で育つ。
1989 年、バークリー音楽大学を卒業後、NYでプロ活動を開始。
1993年、デビューアルバム「ワウ WOW」が大ベストセラーに。
翌年、NYの名門ジャズクラブ「ビレッジ・バンガード」に
日本人で初めてリーダー公演を行う。
また、1995 年のスイングジャーナル誌読者投票では、4部門を受賞するなど、
人気実力ともにトップに昇りつめた中、2000年 3月に長期休養宣言。
そして 2007 年に活動を再開し、2009年、アルバム『楽興の時』、
ついで翌年「バロック」を発売し、各国から高い評価を得るも、2012年に引退。
その後、2015 年に、活動を再開され、
この度、復帰後初となる、セルフ・プロデュースで、
アルバム『Glamorous Life』と『Very Special』を同時リリース。
現在、コンサートで全国を回っていらっしゃいます。
今週は、大西さんを形作る様々なルーツについて、お話しを伺っていきたいと思います。
──ジャズの世界に飛び込むために
茂木:大西さんは、子供の頃はずっとクラシックのピアノをやられていて、その結果としてバークリー音楽大学に入られたのですが、いつ頃ジャズに目覚められたんですか?
大西:ジャズに目覚める前に、まず洋楽なんですよね。
洋楽も、ちょっとマセてたというか…。小学校の時にジェームス・ブラウンを聴いていたんです。
昔、FEN(現在のAFN)っていうラジオ局があったんですけど、子供向け雑誌の付録に小さいラジオがついていたんですよ。
茂木:ありましたね!
大西:それを手にしたのがもう嬉しくて、自分でガチャガチャやっていたら偶然FENが入って。
ウルフマン・ジャック・ショーとか、アメリカン”トップ40フォーティとか、ああいうのから洋楽がガンガン聴こえてきて、中でも、ジェームス・ブラウンがすごく好きで。
ブルースブラザーズを見た時とリンクしたのか、ちょっとその辺りは定かではないんですけど…。
茂木:小学生でブルースブラザーズ見てたんですか!?
大西:たまたま見てました。そこでジェームス・ブラウンが出てきて、あの時は神父さんの役でしたけど、私的にも神が降りたんですね(笑)。
茂木:ジェームス・ブラウンは強烈ですもんね!
大西:それまでやっていたピアノはクラシックといっても子供が弾く練習曲ばかりなので、そういうものからすると、本当に音楽が降りてきた!という感覚になったんです。
茂木:普通だったら日本の音大に行ってクラシックを学んでいたんでしょうけど、そこで人生がガラリと変わってしまったんですね。
ニューヨークで活動を開始された時はどんな感じでしたか?
大西:その時が一番、世間の冷たい風をビンビンと感じましたね。
茂木:だって、いきなりデビューといっても、どうやって活動していけばいいのか…という感じですもんね。
大西:そこが本当に難しいところで、もう口コミしかないんですよ。
しかも、ジャズなので当時は今よりも黒人同士の繋がりがタイトだったんですね。
90年代のアメリカってちょっと暗かったんですよ。経済もダメで、イラク戦争の1回目が始まったりして…。
その時でさえもまだベトナムの傷みたいなのがニューヨークに行くとよく見える時期で、そういう中でジャズという全然売れない音楽の中で少ない椅子取り競争をするわけじゃないですか。そこでなかなか日本人の女の子は入れないんですけど…。
茂木:どうやって入っていったんですか?
大西:逆に、一回ピアノを弾いているのを聴いてもらうと、ギャップに驚いてもらえますよね。
ちょうどその頃はイエローキャブなんて言葉が流行った頃で、日本人の女の子は本気でやってる人に見えないわけですよ。
自称シンガーと言いつつ、本当は追っかけだったり、そういう感じが多かった中、実際に弾いているのを見せると、真剣にやってるのは分かるわけじゃないですか。
そうすると存在がユニークだと捉えられるわけですね。
ミュージシャンによってはフェミニズムを考えるミュージシャンもいて、わざと私みたいなのを雇おうとしてくれる人も増えてきて。そんな感じでジャズシーンにブレークインした感じですね。
茂木:チャンスがあれば、音楽はちゃんと聴いてくれるって事ですよね。
大西:そこに振り向かせるまでが大変でしたね!
──プロになったきっかけと出会い
茂木:ニューヨークにいる時はどこで練習していたんですか?
大西:本当は学生はアルバイトしちゃいけないんだけど、バークリー時代はピアノ科の先生が週末にホテルギグなんて言ってラウンジとかで演奏するアルバイトしているんですけど、自分の都合がつかない時とか生徒に回すんですよ。
週末は大体それが入っていて、それを貯金して半年分ぐらいはギリギリ何もしないでもニューヨークで暮らせるだけ貯金してたんですね。
ブルックリンの安い所に住んで、ピアノはアップライトピアノを借りてました。月20ドルでレンタルしてたので、ひどいピアノでしたけど(笑)。
茂木:月20ドル!?それで練習してたんですか?
大西:そうですね。で、夜になると電車に乗ってライブハウスに行くんですけど、ジャムセッションとかをやってる時間帯があるんですよ。
なかなか弾かせてもらえなかったりするんですけど、人の演奏を聴いているだけでも勉強になるし、やっぱりバークリーとは全然違ってプロの演奏も聴けるし、すごく刺激にはなりましたね。
茂木:ジャムセッションってことは、飛び入りで参加ってこともあるんですか?
大西:結構多いですよ。それがきっかけでプロになったんですけどね。
茂木:僕、コメディクラブも時々行くんですけど、オープンマイクって言って誰でも舞台に上がれちゃうじゃないですか。あれと同じシステムがジャズにもあるんですか?
大西:そうです。リストが置かれてるので自分の名前と楽器を書いておくと呼ばれるんですよ。でも、飛ばされたりするんですよね(笑)。
ジャムセッションとは言いつつ、レベル落としたくないっていうのがあるので、パッと見「こいつ、絶対に弾けないな」って思われて飛ばされたりするんですよね。
茂木:でも、そういうシステムを見るとアメリカはすごい国ですね!逆を言うと実力が問われちゃうってことですから。
そして、チャンスを掴んだメモリアルなジャムセッションもあるんですか?
大西:もちろん!それが全てのきっかけなんですけど、半年経ってそろそろ貯金も尽きてきたので、帰ろうかな、って思って安いチケットを予約したんです。
最後に、全員若手ばかりで評判になってるバンドがハーレムの方でライブやってるってことで、それを見てから帰ろうかな、と思って見に行ったんですよ。
大西:そしたら、たまたまそのバンドのリーダーとピアノの子が喧嘩しててピアノの子がどこかいなくなっちゃって。
誰かピアニストいない?ってリーダーが言った時に、たまたまピアニストが私しかいなかったんですよ!
茂木:やった!
大西:チャンス!と思って、はい!って手をあげたら嫌な顔せずにいれてくれたんです。
そしたら、すごいウケちゃったんですよね。で、その日からそのバンドに私が入ることになっちゃったんです。
茂木:すごい!!
大西:飛行機のチケットはキャンセルして、その日からそのバンドに入ったんですけど、話題になってるから若い子をハントするために色んな大御所が見に来るんですよ。
それで私も色んな人から仕事もらえるようになって、気がついたら普通に生活が出来るようになって、何年か経ってましたね。
茂木:大西さんの人生のお話って、こちらが想定している話を超えてきますね!
大西:漫画っぽいでしょ?最近そう思うんです(笑)。
茂木:映画みたいですよ!面白すぎますね!
(Amazon)
●大西順子 Official Web Site
7/6(金)に有楽町朝日ホールで開催される、
「大西順子 Very Glamorous Tour Final」については、公式サイトでご確認ください。
来週は、作家、辻村深月さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。