2017年07月08日
今週お迎えするのは、先週に引き続き、フランス・パリ出身の世界的なバレエダンサー、マニュエル・ルグリさんです。
ルグリさんは、1964年生まれで、現在52歳。
5歳でダンスを始め、12歳でパリ・オペラ座のバレエ学校に入学。
16歳でバレエ団に入団という、生粋のオペラ座育ち。
その後、一流のバレエダンサーとして活躍し、2009年にバレエ団を引退。
引退後は、ウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任し、現在に至ります。
ルグリさんは、バレエ界の最高峰に位置する、パリ・オペラ座のエトワールの中でも、
23年にわたりトップを走り続け、その芸術性、確かな技術でクラシック、コンテンポラリー、
どちらの作品においても、数々の名舞台を残した、世界で最も優れた男性ダンサーとして、未だに世界のバレエ界に絶大な影響力をもつ方です。
今週は、バレエと出会ったきっかけや、芸術監督という仕事についてお話を伺いました。
──キャリアを続けていく上で大事なもの
茂木:ルグリさんは異例の速さでエトワールになられて、その後ずっとエトワールをやられたんですけど、そもそもバレエと出会ったきっかけはなんなんでしょう?
ルグリ:私は4歳でバレエをしたいなと思ったんですけど、それは個人的にバレエに対する興味があったので、それを両親に話す時には「男の子がバレエをするなんて」と、びっくりされました。
それでも両親は私の希望を聞き入れてくれまして、パリの小さなバレエ学校に通わせてくれました。そこで出会った先生が、私に才能があるということでパリのオペラ座のバレエ学校を受けてみたらどうか?と勧めてくれたんです。
そして、私は試験を受けて11歳でオペラ座のバレエ学校に入学する事が出来たんです。そこで4年間勉強しまして、16歳でオペラ座のダンサーの一員となる事が出来ました。
その後、5年間コール・ド・バレエにいたのですが、そこで色々なテクニックを学びまして、その後色々な試験を受けてエトワールになったというわけです。これがバレエとの出会いになります。
茂木:実は、日本でもバレエがすごく好きで、子供の頃からレッスンしている人がたくさんいるんですけど、バレエの才能とはどういうものなんでしょう?
何が自分の才能としてキャリアを助けてくれたと思いますか?
ルグリ:まず、一番大事なのは熱意だと思います。長いキャリアを続けていく上で熱意がないと出来ませんし、親に言われたからといって始めたのではダメです。心からバレエがやりたいと思ってやるっていう事が大事だと思います。
それから、振り付けをすぐに覚えないといけないので音楽性や頭の良さも必要になって来ますね。古典やコンテンポラリーなダンスなど、とにかくたくさんの情報を処理しなければいけませんから。
でも、何よりも大事なのは、それをやりたいという熱意に尽きると思います。
茂木:そして、ルグリさんは23年間エトワールを続けられて、これはオペラ座史上最長ということなんですけど、これだけ長い間第一線であり続けられるのは、継続力が必要だと思うのですが、どんなことに気を遣われたんですか?
ルグリ:23年と一口に言っても、仕事をしている間は本当に短く感じました。私がこの23年間で得たものは素晴らしい人々と仕事をする機会に恵まれたということで、とても早かったと思います。
そして、私はそのトップに立つために自分が持てる最大限のことをすることと、いつも機嫌よく、いつもみんなのために気を遣う、これを心がけて来たと思います。
茂木:その輝けるキャリアが、2009年5月15日オペラ座・ガルニエ宮における『オネーギン』の舞台の終了後、聴衆が30分に渡るスタンディングオベーションをして、その場でフランス芸術最高勲章であるコマンドールを受けられたということなんですけど、やはり今思い返してもこの日は特別な夜だったんでしょうか?
ルグリ:確かに、エトワールを引退する1ヶ月前はマニュエル・ルグリの舞台を観るのは最後だということで皆さん悲しまれたと思うんですけど、私としては悲しいというよりも3幕を元気に踊るということに集中していまして、悲しいというよりはお祭りのような思いがありましたね。
──芸術監督として心がけていること
茂木:伝説の引退をされた後、現在はウィーン国立バレエ団の芸術監督をされているということで、その仕事はいかがでしょう?
ルグリ:ダンスを辞めた後は、ちょっと悲しい気持ちになったりするかと思うんですけど、芸術監督の仕事が来たということは、辞めた後の新しい出発という風に私にとって位置付けておりまして、芸術監督になったことで新しいダンサー、新しい人、新しい観客に出会うことができたので非常に嬉しく思っています。
茂木:芸術監督の仕事も、演目やダンサー、色々な要素を決めたりすることで責任が大きいと思うんですけど、どのようなことを考えてお仕事をされていらっしゃいますか?
ルグリ:芸術監督として色々考えなくてはいけないことがあるんですけれど、まず最初に考えなければいけないのは、公演する場所なんです。パリのオペラ座で公演をするとなると、ウィーンとは公演が別のものになると思います。
2番目に、観客の皆さんの好みというものも関係して来ます。観客の方が何を期待しているのか、そして、常に新しいものを発見できるような公演にしなくてはいけません。
さらに、ダンサーにはどんな振り付けをさせるのか、どのような方と一緒に組ませると伸びるのか、とかも考えなくてはいけないですし、私はクラシック出身でクラシックを多く踊って来ましたけど、現代的な演目も少しずつ取り入れながら全体のバランスを考えながら公演を決めていますね。
茂木:ルグリさんはまだまだ肉体的にも若いですが、何歳まで踊り続ける予定ですか?
ルグリ:私は現在、ダンサーというよりも芸術監督という立ち位置の方が多くなって来ています。やはり引退をした後はダンサーの仕事に多少は別れを告げるようなことになるんですけれど、今現在も踊れているというのは、ボーナスのようなもので、私のキャリアの延長のようなものなんです。
ですので、この部分というのは楽しみのためであり、おまけのようなものなんですね。ただ、年齢のことも考えますとこれが最後だとも言えないところでありまして、その辺りは決めかねているところです。
●ルグリ・ガラ 〜運命のバレエダンサー〜 <オフィシャルサイト>
来週は、OSK日本歌劇団のトップスター・高世麻央さんをお迎えしてお話をうかがっていきます。 どうぞお楽しみに。
ルグリさんは、1964年生まれで、現在52歳。
5歳でダンスを始め、12歳でパリ・オペラ座のバレエ学校に入学。
16歳でバレエ団に入団という、生粋のオペラ座育ち。
その後、一流のバレエダンサーとして活躍し、2009年にバレエ団を引退。
引退後は、ウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任し、現在に至ります。
ルグリさんは、バレエ界の最高峰に位置する、パリ・オペラ座のエトワールの中でも、
23年にわたりトップを走り続け、その芸術性、確かな技術でクラシック、コンテンポラリー、
どちらの作品においても、数々の名舞台を残した、世界で最も優れた男性ダンサーとして、未だに世界のバレエ界に絶大な影響力をもつ方です。
今週は、バレエと出会ったきっかけや、芸術監督という仕事についてお話を伺いました。
──キャリアを続けていく上で大事なもの
茂木:ルグリさんは異例の速さでエトワールになられて、その後ずっとエトワールをやられたんですけど、そもそもバレエと出会ったきっかけはなんなんでしょう?
ルグリ:私は4歳でバレエをしたいなと思ったんですけど、それは個人的にバレエに対する興味があったので、それを両親に話す時には「男の子がバレエをするなんて」と、びっくりされました。
それでも両親は私の希望を聞き入れてくれまして、パリの小さなバレエ学校に通わせてくれました。そこで出会った先生が、私に才能があるということでパリのオペラ座のバレエ学校を受けてみたらどうか?と勧めてくれたんです。
そして、私は試験を受けて11歳でオペラ座のバレエ学校に入学する事が出来たんです。そこで4年間勉強しまして、16歳でオペラ座のダンサーの一員となる事が出来ました。
その後、5年間コール・ド・バレエにいたのですが、そこで色々なテクニックを学びまして、その後色々な試験を受けてエトワールになったというわけです。これがバレエとの出会いになります。
茂木:実は、日本でもバレエがすごく好きで、子供の頃からレッスンしている人がたくさんいるんですけど、バレエの才能とはどういうものなんでしょう?
何が自分の才能としてキャリアを助けてくれたと思いますか?
ルグリ:まず、一番大事なのは熱意だと思います。長いキャリアを続けていく上で熱意がないと出来ませんし、親に言われたからといって始めたのではダメです。心からバレエがやりたいと思ってやるっていう事が大事だと思います。
それから、振り付けをすぐに覚えないといけないので音楽性や頭の良さも必要になって来ますね。古典やコンテンポラリーなダンスなど、とにかくたくさんの情報を処理しなければいけませんから。
でも、何よりも大事なのは、それをやりたいという熱意に尽きると思います。
茂木:そして、ルグリさんは23年間エトワールを続けられて、これはオペラ座史上最長ということなんですけど、これだけ長い間第一線であり続けられるのは、継続力が必要だと思うのですが、どんなことに気を遣われたんですか?
ルグリ:23年と一口に言っても、仕事をしている間は本当に短く感じました。私がこの23年間で得たものは素晴らしい人々と仕事をする機会に恵まれたということで、とても早かったと思います。
そして、私はそのトップに立つために自分が持てる最大限のことをすることと、いつも機嫌よく、いつもみんなのために気を遣う、これを心がけて来たと思います。
茂木:その輝けるキャリアが、2009年5月15日オペラ座・ガルニエ宮における『オネーギン』の舞台の終了後、聴衆が30分に渡るスタンディングオベーションをして、その場でフランス芸術最高勲章であるコマンドールを受けられたということなんですけど、やはり今思い返してもこの日は特別な夜だったんでしょうか?
ルグリ:確かに、エトワールを引退する1ヶ月前はマニュエル・ルグリの舞台を観るのは最後だということで皆さん悲しまれたと思うんですけど、私としては悲しいというよりも3幕を元気に踊るということに集中していまして、悲しいというよりはお祭りのような思いがありましたね。
──芸術監督として心がけていること
茂木:伝説の引退をされた後、現在はウィーン国立バレエ団の芸術監督をされているということで、その仕事はいかがでしょう?
ルグリ:ダンスを辞めた後は、ちょっと悲しい気持ちになったりするかと思うんですけど、芸術監督の仕事が来たということは、辞めた後の新しい出発という風に私にとって位置付けておりまして、芸術監督になったことで新しいダンサー、新しい人、新しい観客に出会うことができたので非常に嬉しく思っています。
茂木:芸術監督の仕事も、演目やダンサー、色々な要素を決めたりすることで責任が大きいと思うんですけど、どのようなことを考えてお仕事をされていらっしゃいますか?
ルグリ:芸術監督として色々考えなくてはいけないことがあるんですけれど、まず最初に考えなければいけないのは、公演する場所なんです。パリのオペラ座で公演をするとなると、ウィーンとは公演が別のものになると思います。
2番目に、観客の皆さんの好みというものも関係して来ます。観客の方が何を期待しているのか、そして、常に新しいものを発見できるような公演にしなくてはいけません。
さらに、ダンサーにはどんな振り付けをさせるのか、どのような方と一緒に組ませると伸びるのか、とかも考えなくてはいけないですし、私はクラシック出身でクラシックを多く踊って来ましたけど、現代的な演目も少しずつ取り入れながら全体のバランスを考えながら公演を決めていますね。
茂木:ルグリさんはまだまだ肉体的にも若いですが、何歳まで踊り続ける予定ですか?
ルグリ:私は現在、ダンサーというよりも芸術監督という立ち位置の方が多くなって来ています。やはり引退をした後はダンサーの仕事に多少は別れを告げるようなことになるんですけれど、今現在も踊れているというのは、ボーナスのようなもので、私のキャリアの延長のようなものなんです。
ですので、この部分というのは楽しみのためであり、おまけのようなものなんですね。ただ、年齢のことも考えますとこれが最後だとも言えないところでありまして、その辺りは決めかねているところです。
●ルグリ・ガラ 〜運命のバレエダンサー〜 <オフィシャルサイト>
来週は、OSK日本歌劇団のトップスター・高世麻央さんをお迎えしてお話をうかがっていきます。 どうぞお楽しみに。