2016年10月30日
今夜お迎えしたのは、指揮者の井上道義さんをお迎えしました。
井上さんは、東京生まれ。
桐朋学園大学にて、指揮者になるため、齋藤秀雄さんに師事。
1971年、ミラノ・スカラ座主催のグィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して以来、
一躍、内外の注目を集め、世界的な活躍を開始されます。
その後、1976年に、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビュー。
これまでに、ニュージーランド 国立交響楽団首席客演指揮者、新日本フィル音楽監督、
京都市交響楽団音楽監督を務めました。
現在は、大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者、
そして、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、ラ・フォル・ジュルネ金沢を含む
多くの実験的企画に携わっていらっしゃいます。
今夜は、井上道義さんに”指揮者の魅力”について伺いました。
──マエストロの資格
茂木:「東燃ゼネラル音楽賞」洋楽部門を受賞されたということで、おめでとうございます。
この賞は、歴代の受賞者を見ると小澤征爾さん、若杉弘さん、名指揮者が受賞されていますけど。
井上:すごい、ちゃんとしてるんですよね(笑)。
茂木:すごくお忙しいですよね、大阪フィルハーモニーをやられたり、N響(NHK交響楽団)をやられていたり。
井上:病気をして、半年はまったく仕事ができなかったんだけど。その年の11月あたりから戻って、N響でブルックナーの「シンフォニー」を、なんとか振れたんですね。
茂木:復帰して、いきなりブルックナーですか(笑)。
井上:10キロぐらい減っていたから、終わった時は本当にヘロヘロでしたね(笑)。
だけど、そのあと仕事をどんどん出来る体になってきて、休んだ時にお断りしたオーケストラが待ってくれていたんですよ。
すごく嬉しい状態で、逆に忙しくなっちゃって…病気の前より忙しいくらいです(笑)。
茂木:井上さんは引く手数多のマエストロなんですけど、そもそも指揮者を志されたのが14歳のときで、これはどういうきっかけだったんですか?
井上:非常に子供っぽくない理由ですね(笑)。子供だったら、飛行機の操縦士になりたいとか、オリンピックで金メダルをとりたいとか…僕の場合はそういう憧れで入ったんじゃないんですね。
”自分にはこれしか出来ないんじゃないか”という、消去法で入ったんですよ。
茂木:世間で考えられているのは、指揮者は才能がないと難しいと思われていると思うんですけど。
井上:これは僕の性格とか、14歳だったので、それまで何を勉強しているかとか考えて…”自分に向いているかもな〜”と思ったんですよ。そのときは間違っていたと思います(笑)。
茂木:音楽教育は受けられていたんですか?
井上:ピアノをやっていました。それからバレエをやっていて、演劇が好きで中学校の頃は演劇部に入っていました、舞台が好きだったんですよ。
普通の家族の関係とか人間関係が大嫌いだった。だから、普通の人間社会が信じられなくて、それで舞台だったら信じられると思ったんです。舞台と言っても、僕はハーフみたいな顔をしてるから、役者になったら何でもできるような役者にはなれないと思ったんです。
踊りは、僕は身体が硬いんですよ。
茂木:そうなんですね。
井上:本当だったら、熊川さんみたいにやりたかったけど身体が硬くてできない、ピアノもずっと座ってることができないんですよ。それで探し当てたのが指揮者です。
──尊敬する師
茂木:桐朋学園大学に進学されて、齋藤秀雄さんに師事をされたんですね。
井上:こういう先生がいるという事も知っていて、僕は14歳なのにずる賢く…(笑)。日本でもちゃんとした指揮が勉強できるんだと思って始めたんですよ。
茂木:じゃあ、ちゃんと情報を集めたんですね。齋藤先生はどういう方でしたか?
井上:小澤征爾さんは齋藤先生を尊敬して立てているんですけど、僕は性格が悪くて…先生って、やっぱり人間なんだな〜と思って。
茂木:どういうことでしょうか?
井上:嫌いな部分が70%で、好きな部分が30%でした(笑)。
茂木:どういうところが嫌いだったんですか?
井上:言ってることと、やってる事が違う事ですね。先生というのは壁のように、偉そうに僕らの前にいるんですけど、先生に指揮をさせると下手なんですよ。
茂木:そうなんですか!(笑)
井上:ただ、言ってる事は全部正しいんですよ。でも、自分がやっていることをやれないんです、そういうところが僕には耐えられなかったんですよ。
茂木:いいところの30%というのは?
井上:言ってることが正しいところですね。
本当に楯突いてばかりいたんですよ「そうじゃないやり方もあるでしょ?」と言って、「そうじゃない。お前はここに習いに来てるんだから、俺のやり方でやれ」と言われたことがあります。
茂木:齋藤秀雄先生といえば、伝説的な指導者で「サイトウ・キネン・オーケストラ」という形でもずっとやってらっしゃいましたよね。
井上:僕も先生と一緒にオーケストラをやっていましたね。
茂木:当時、齋藤門下の若者っていうのはどうでしたか?
井上:みんな先生になられていました。何が素晴らしいって、学校に4つもオーケストラがあったんですよ。
だから、実際にどんどん勉強できるんですよ。
茂木:振る機会があったということなんですね。
井上:1週間に3つも、4つも振れるんですよ。
素晴らしい、そんなのは世界中に無かったですね。そういう時に僕はいれて良かったですよ。
茂木:ロケットスタートと言いますか…。
井上:分かっていたのか、分かっていなかったのか、僕自身の態度はすごく生意気で申し訳ないと思っています。
茂木:齋藤先生は、どんな風に言っていましたか?
井上:いつも怒っていましたね。いまから考えれば、本当によくしていただいたと思います。
●「指揮者 井上道義 オフィシャルウェブサイト」
「東燃ゼネラル児童文化賞・音楽賞について」
来週も引き続き、指揮者の井上道義さんをお迎えして、お話をうかがっていきます。
どうぞお楽しみに。
井上さんは、東京生まれ。
桐朋学園大学にて、指揮者になるため、齋藤秀雄さんに師事。
1971年、ミラノ・スカラ座主催のグィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝して以来、
一躍、内外の注目を集め、世界的な活躍を開始されます。
その後、1976年に、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で日本デビュー。
これまでに、ニュージーランド 国立交響楽団首席客演指揮者、新日本フィル音楽監督、
京都市交響楽団音楽監督を務めました。
現在は、大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者、
そして、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、ラ・フォル・ジュルネ金沢を含む
多くの実験的企画に携わっていらっしゃいます。
今夜は、井上道義さんに”指揮者の魅力”について伺いました。
──マエストロの資格
茂木:「東燃ゼネラル音楽賞」洋楽部門を受賞されたということで、おめでとうございます。
この賞は、歴代の受賞者を見ると小澤征爾さん、若杉弘さん、名指揮者が受賞されていますけど。
井上:すごい、ちゃんとしてるんですよね(笑)。
茂木:すごくお忙しいですよね、大阪フィルハーモニーをやられたり、N響(NHK交響楽団)をやられていたり。
井上:病気をして、半年はまったく仕事ができなかったんだけど。その年の11月あたりから戻って、N響でブルックナーの「シンフォニー」を、なんとか振れたんですね。
茂木:復帰して、いきなりブルックナーですか(笑)。
井上:10キロぐらい減っていたから、終わった時は本当にヘロヘロでしたね(笑)。
だけど、そのあと仕事をどんどん出来る体になってきて、休んだ時にお断りしたオーケストラが待ってくれていたんですよ。
すごく嬉しい状態で、逆に忙しくなっちゃって…病気の前より忙しいくらいです(笑)。
茂木:井上さんは引く手数多のマエストロなんですけど、そもそも指揮者を志されたのが14歳のときで、これはどういうきっかけだったんですか?
井上:非常に子供っぽくない理由ですね(笑)。子供だったら、飛行機の操縦士になりたいとか、オリンピックで金メダルをとりたいとか…僕の場合はそういう憧れで入ったんじゃないんですね。
”自分にはこれしか出来ないんじゃないか”という、消去法で入ったんですよ。
茂木:世間で考えられているのは、指揮者は才能がないと難しいと思われていると思うんですけど。
井上:これは僕の性格とか、14歳だったので、それまで何を勉強しているかとか考えて…”自分に向いているかもな〜”と思ったんですよ。そのときは間違っていたと思います(笑)。
茂木:音楽教育は受けられていたんですか?
井上:ピアノをやっていました。それからバレエをやっていて、演劇が好きで中学校の頃は演劇部に入っていました、舞台が好きだったんですよ。
普通の家族の関係とか人間関係が大嫌いだった。だから、普通の人間社会が信じられなくて、それで舞台だったら信じられると思ったんです。舞台と言っても、僕はハーフみたいな顔をしてるから、役者になったら何でもできるような役者にはなれないと思ったんです。
踊りは、僕は身体が硬いんですよ。
茂木:そうなんですね。
井上:本当だったら、熊川さんみたいにやりたかったけど身体が硬くてできない、ピアノもずっと座ってることができないんですよ。それで探し当てたのが指揮者です。
──尊敬する師
茂木:桐朋学園大学に進学されて、齋藤秀雄さんに師事をされたんですね。
井上:こういう先生がいるという事も知っていて、僕は14歳なのにずる賢く…(笑)。日本でもちゃんとした指揮が勉強できるんだと思って始めたんですよ。
茂木:じゃあ、ちゃんと情報を集めたんですね。齋藤先生はどういう方でしたか?
井上:小澤征爾さんは齋藤先生を尊敬して立てているんですけど、僕は性格が悪くて…先生って、やっぱり人間なんだな〜と思って。
茂木:どういうことでしょうか?
井上:嫌いな部分が70%で、好きな部分が30%でした(笑)。
茂木:どういうところが嫌いだったんですか?
井上:言ってることと、やってる事が違う事ですね。先生というのは壁のように、偉そうに僕らの前にいるんですけど、先生に指揮をさせると下手なんですよ。
茂木:そうなんですか!(笑)
井上:ただ、言ってる事は全部正しいんですよ。でも、自分がやっていることをやれないんです、そういうところが僕には耐えられなかったんですよ。
茂木:いいところの30%というのは?
井上:言ってることが正しいところですね。
本当に楯突いてばかりいたんですよ「そうじゃないやり方もあるでしょ?」と言って、「そうじゃない。お前はここに習いに来てるんだから、俺のやり方でやれ」と言われたことがあります。
茂木:齋藤秀雄先生といえば、伝説的な指導者で「サイトウ・キネン・オーケストラ」という形でもずっとやってらっしゃいましたよね。
井上:僕も先生と一緒にオーケストラをやっていましたね。
茂木:当時、齋藤門下の若者っていうのはどうでしたか?
井上:みんな先生になられていました。何が素晴らしいって、学校に4つもオーケストラがあったんですよ。
だから、実際にどんどん勉強できるんですよ。
茂木:振る機会があったということなんですね。
井上:1週間に3つも、4つも振れるんですよ。
素晴らしい、そんなのは世界中に無かったですね。そういう時に僕はいれて良かったですよ。
茂木:ロケットスタートと言いますか…。
井上:分かっていたのか、分かっていなかったのか、僕自身の態度はすごく生意気で申し訳ないと思っています。
茂木:齋藤先生は、どんな風に言っていましたか?
井上:いつも怒っていましたね。いまから考えれば、本当によくしていただいたと思います。
●「指揮者 井上道義 オフィシャルウェブサイト」
「東燃ゼネラル児童文化賞・音楽賞について」
来週も引き続き、指揮者の井上道義さんをお迎えして、お話をうかがっていきます。
どうぞお楽しみに。