2016年08月28日
今夜お迎えしたのは、漫才コンビ キングコングの西野亮廣さんです。
西野さんは、兵庫県生まれ。
1999年に梶原雄太さんと、「キングコング」を結成。
現在は芸人活動だけでなく、3冊の絵本執筆、ソロのトークライブや舞台脚本の執筆を手がけ
海外でも個展やライブ活動を行っています。
その西野さんが先日、初のビジネスエッセイ集
「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」を、主婦と生活社より刊行されました。
今夜は、西野さんご自身の生き方や、仕事に対する考え方などに注目して、お話を伺いました。
──エリートコースの先には
茂木:西野さんは、アンチが多いっていうけどちゃんと理由があるんですね。
さんまさんとの絡みとか、すごい面白かったですね。
西野:あ〜、27時間テレビの(笑)。
茂木:あえて、嫌われ役をやっていると?
西野:今は完全に天然で嫌われているんですけど、「はねるのトびら」という番組をやっているときはチームで動いていたので
”誰が変なことを言う人で”、”誰が普通の人で”っていう役割分担はありましたね。
茂木:コンビではツッコミですよね、それ以外にもそういういときには…。
西野:「はねるのトびら」で動くときは、とにかく普通の人です。
茂木:そういう役をやるように言われて、納得してやるんですか?
西野:一応、誰か1人やらないといけないので。
番組ですから、みんながふざけちゃうと、しっちゃかめっちゃかになっちゃうので。
芸人だったら、海があったら本当は落ちたいですけどね(笑)。
茂木:1999年、いわゆるNSCの頃ですね。
梶原さんと出会ってキングコングを結成するじゃないですか?これはどうやって決まったんですか?
西野:僕、コンビを組むつもりなくて1人で入ったんですよ。落語家さんか何かになろうと思って。
茂木:NSCって落語家にもなれるんですか?
西野:なんでもいいんですよ。とりあえず、横並びにどんな人がいるのか見たくて入って。
入ってみると梶原とかがいて…。
茂木:面白かったですか?
西野:あんまり面白くなかったんですよね(笑)。でも、華はありましたよ。
茂木:キングコングを結成した翌年、19歳のときに、「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀賞をとっていますよね、すごいじゃないですか。で、20歳のときに、「はねるのトびら」がスタート。エリートコースですよね。
西野:早かったんですよね。「NHK上方漫才コンテスト」は、養成所の時にとっているんですよ。
茂木:面白かったってことですよね。
西野:めちゃくちゃ面白かった(笑)。
いや、でも、むっちゃやりました!ネタ書いて、稽古して…みたいなことを、ずーっとやっていましたね。
一番やっていたと思います(笑)。
──お笑い界の下克上
茂木:ネタを作るのはどっちですか?
西野:10割、僕です。あいつ何もしないんですよ(笑)。
肌が合ったので、”いいな〜”と思って。
茂木:著書の「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」には、いろいろなことが赤裸々に書かれていますが
「はねるのトびら」でスターを作るはずだった…というのは何だったんですか?
西野:僕は純粋にスターになりたかったんですよ、本当にバカな理由で入ったので(笑)。
あの番組っていうのが、フジテレビが8年に一回スターを出すっていう番組で。
茂木:8年前っていうのは誰だったんですか?
西野:ナインティナインさんです。だから、「めちゃイケ!」なんです。
「とぶくすり」っていう番組が、「めちゃイケ!」になって…っていうのが8年前で。
その16年前が、「夢で逢えたら」という番組で、「ごっつええ感じ」とか、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」なんですよ。
茂木:みんなスターになってるじゃないですか!
西野:そうなんですよ、それの3つ目みたいな位置付けだったんですよね。
茂木:西野さん、スターになってるんじゃ…?
西野:いやいやいや、全然違って。僕が子供の時に見ていたダウンタウンさんとか、ウッチャンナンチャンさんは、やっぱりスターだったんですよ。20代とか、30代頭の方に、間違いなく時代の真ん中にいたし。
「はねるのトびら」が始まるときに、”そこの位置にいけるんだ”と思って、すごい頑張って、番組を深夜からゴールデンに上げて毎週20%とっていたんですよ。
茂木:すごいじゃないですか!
西野:各局で冠番組やって、”25歳の時になりたいところにいったぞ!”と思ったんですけど、知名度も上がったし、生活も良くなったけど、”スターになってないな”と思ったんですよ。
茂木:普通、そんなに冠番組やって、20%超えてたらスターなんじゃないの?
西野:まず芸能界の順番が変わってないというか、それこそ27時間テレビになったらタモリさんがとか、さんまさんがとかなって……。
茂木:タモリさんが、かなり仲良いみたいじゃないですか。抜きたいわけ?(笑)
西野:もちろん、もちろん(笑)。いや、たけしさんも、ダウンタウンさんも、ナインティナインさんも大好きですけど、それと順番を守るっていうのは全然違う話で(笑)。
茂木:お笑い界において下克上ってあるんですか?
西野:あると思ってたんですよ。自分がゴールデンに上がったら、下克上が起こると思ったんですよ。
それが、全然起こってなくて。やっぱり、上にはナインティナインさんがいらっしゃって…。
茂木:光秀と信長みたいなことはないってこと?
西野:結局なかったですね。数字で結果が出るものじゃないじゃないですか。
茂木:俺の方が数字高いから、抜かしたってことでもないの?
西野:視聴率で言ったら、僕、勝ってたと思います。どっちが上っていうのは、それは世間の人のジャッジですから。
それは全然負けていたので。
茂木:お笑い界の序列って、何で決まってるんですか?
西野:そこを知りたくて、変えたくて。でも、なんとなく一つだけ分かったのは
このままいってても、30代、40代、50代、このままずっと順番変わらないままいっちゃうなっていうのは見えたんです。
茂木:本によると、レギュラー番組以外のテレビの仕事は断ったと、吉本はこういうことやって大丈夫なの?
西野:その時は大問題でした(笑)。「なんで、今やめんの!?」って。
「調子いいからやめるんだ」って言って、調子悪ければ、改善して、あーだこーだできるけど。だいぶ調子良くて、それでも突き抜けないっていうことは、やり方間違っているんじゃない?っていう話になったんですよ。
茂木:西野さん、すごい面白いと思うのは、芸人さんってテレビのシステムをここまで書かないんじゃないかなと思って。
西野:そうですよね。でも、芸人に限らず、歌とか、全てのものがガラス張りになっちゃって、お客さんも全部見えてるんですよ。
事務所が下駄履かせてるなっていうのもバレてるし、どうせ中途半端にバレてるなら言っちゃおうと思って。「僕、ここ目指してます」というのとか。
茂木:日本人って、本当は正直者が好きなはずなんだけどね(笑)。
西野:(笑)(笑)(笑)。
●
(Amazon)
「主婦と生活社」オフィシャルサイト
来週も引き続き、キングコング・西野亮廣さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
西野さんは、兵庫県生まれ。
1999年に梶原雄太さんと、「キングコング」を結成。
現在は芸人活動だけでなく、3冊の絵本執筆、ソロのトークライブや舞台脚本の執筆を手がけ
海外でも個展やライブ活動を行っています。
その西野さんが先日、初のビジネスエッセイ集
「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」を、主婦と生活社より刊行されました。
今夜は、西野さんご自身の生き方や、仕事に対する考え方などに注目して、お話を伺いました。
──エリートコースの先には
茂木:西野さんは、アンチが多いっていうけどちゃんと理由があるんですね。
さんまさんとの絡みとか、すごい面白かったですね。
西野:あ〜、27時間テレビの(笑)。
茂木:あえて、嫌われ役をやっていると?
西野:今は完全に天然で嫌われているんですけど、「はねるのトびら」という番組をやっているときはチームで動いていたので
”誰が変なことを言う人で”、”誰が普通の人で”っていう役割分担はありましたね。
茂木:コンビではツッコミですよね、それ以外にもそういういときには…。
西野:「はねるのトびら」で動くときは、とにかく普通の人です。
茂木:そういう役をやるように言われて、納得してやるんですか?
西野:一応、誰か1人やらないといけないので。
番組ですから、みんながふざけちゃうと、しっちゃかめっちゃかになっちゃうので。
芸人だったら、海があったら本当は落ちたいですけどね(笑)。
茂木:1999年、いわゆるNSCの頃ですね。
梶原さんと出会ってキングコングを結成するじゃないですか?これはどうやって決まったんですか?
西野:僕、コンビを組むつもりなくて1人で入ったんですよ。落語家さんか何かになろうと思って。
茂木:NSCって落語家にもなれるんですか?
西野:なんでもいいんですよ。とりあえず、横並びにどんな人がいるのか見たくて入って。
入ってみると梶原とかがいて…。
茂木:面白かったですか?
西野:あんまり面白くなかったんですよね(笑)。でも、華はありましたよ。
茂木:キングコングを結成した翌年、19歳のときに、「NHK上方漫才コンテスト」で最優秀賞をとっていますよね、すごいじゃないですか。で、20歳のときに、「はねるのトびら」がスタート。エリートコースですよね。
西野:早かったんですよね。「NHK上方漫才コンテスト」は、養成所の時にとっているんですよ。
茂木:面白かったってことですよね。
西野:めちゃくちゃ面白かった(笑)。
いや、でも、むっちゃやりました!ネタ書いて、稽古して…みたいなことを、ずーっとやっていましたね。
一番やっていたと思います(笑)。
──お笑い界の下克上
茂木:ネタを作るのはどっちですか?
西野:10割、僕です。あいつ何もしないんですよ(笑)。
肌が合ったので、”いいな〜”と思って。
茂木:著書の「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」には、いろいろなことが赤裸々に書かれていますが
「はねるのトびら」でスターを作るはずだった…というのは何だったんですか?
西野:僕は純粋にスターになりたかったんですよ、本当にバカな理由で入ったので(笑)。
あの番組っていうのが、フジテレビが8年に一回スターを出すっていう番組で。
茂木:8年前っていうのは誰だったんですか?
西野:ナインティナインさんです。だから、「めちゃイケ!」なんです。
「とぶくすり」っていう番組が、「めちゃイケ!」になって…っていうのが8年前で。
その16年前が、「夢で逢えたら」という番組で、「ごっつええ感じ」とか、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」なんですよ。
茂木:みんなスターになってるじゃないですか!
西野:そうなんですよ、それの3つ目みたいな位置付けだったんですよね。
茂木:西野さん、スターになってるんじゃ…?
西野:いやいやいや、全然違って。僕が子供の時に見ていたダウンタウンさんとか、ウッチャンナンチャンさんは、やっぱりスターだったんですよ。20代とか、30代頭の方に、間違いなく時代の真ん中にいたし。
「はねるのトびら」が始まるときに、”そこの位置にいけるんだ”と思って、すごい頑張って、番組を深夜からゴールデンに上げて毎週20%とっていたんですよ。
茂木:すごいじゃないですか!
西野:各局で冠番組やって、”25歳の時になりたいところにいったぞ!”と思ったんですけど、知名度も上がったし、生活も良くなったけど、”スターになってないな”と思ったんですよ。
茂木:普通、そんなに冠番組やって、20%超えてたらスターなんじゃないの?
西野:まず芸能界の順番が変わってないというか、それこそ27時間テレビになったらタモリさんがとか、さんまさんがとかなって……。
茂木:タモリさんが、かなり仲良いみたいじゃないですか。抜きたいわけ?(笑)
西野:もちろん、もちろん(笑)。いや、たけしさんも、ダウンタウンさんも、ナインティナインさんも大好きですけど、それと順番を守るっていうのは全然違う話で(笑)。
茂木:お笑い界において下克上ってあるんですか?
西野:あると思ってたんですよ。自分がゴールデンに上がったら、下克上が起こると思ったんですよ。
それが、全然起こってなくて。やっぱり、上にはナインティナインさんがいらっしゃって…。
茂木:光秀と信長みたいなことはないってこと?
西野:結局なかったですね。数字で結果が出るものじゃないじゃないですか。
茂木:俺の方が数字高いから、抜かしたってことでもないの?
西野:視聴率で言ったら、僕、勝ってたと思います。どっちが上っていうのは、それは世間の人のジャッジですから。
それは全然負けていたので。
茂木:お笑い界の序列って、何で決まってるんですか?
西野:そこを知りたくて、変えたくて。でも、なんとなく一つだけ分かったのは
このままいってても、30代、40代、50代、このままずっと順番変わらないままいっちゃうなっていうのは見えたんです。
茂木:本によると、レギュラー番組以外のテレビの仕事は断ったと、吉本はこういうことやって大丈夫なの?
西野:その時は大問題でした(笑)。「なんで、今やめんの!?」って。
「調子いいからやめるんだ」って言って、調子悪ければ、改善して、あーだこーだできるけど。だいぶ調子良くて、それでも突き抜けないっていうことは、やり方間違っているんじゃない?っていう話になったんですよ。
茂木:西野さん、すごい面白いと思うのは、芸人さんってテレビのシステムをここまで書かないんじゃないかなと思って。
西野:そうですよね。でも、芸人に限らず、歌とか、全てのものがガラス張りになっちゃって、お客さんも全部見えてるんですよ。
事務所が下駄履かせてるなっていうのもバレてるし、どうせ中途半端にバレてるなら言っちゃおうと思って。「僕、ここ目指してます」というのとか。
茂木:日本人って、本当は正直者が好きなはずなんだけどね(笑)。
西野:(笑)(笑)(笑)。
●
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「主婦と生活社」オフィシャルサイト
来週も引き続き、キングコング・西野亮廣さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。