2016年06月05日
今夜も、ピアニストで作曲家の島健さんをお迎えしました。
島さんはサザンオールスターズをはじめ、GLAY、JUJU、森山良子、加藤登紀子など
幅広いジャンルのアーティストのアレンジ、プロデュースを手掛けられ、
編曲を担当されたサザンオールスターズの「TSUNAMI」、浜崎あゆみの「Voyage」では、レコード大賞を受賞されました。
さらにはミュージカルや映画、テレビドラマ等の音楽も担当されて、日本の音楽シーンの第一線で活躍されています。
6月6日に66歳を迎えられる島健さんの音楽人生を振り返りながら、どのようにして夢を叶えてきたのか?
また、”これからの島健さんの夢とは、何なのか?”を伺いました。
──『ものすごい緊張してたんですけど、後で考えると、すごく気持ちよくて”無”の状態になってるんですよ』
茂木:島さんは、今年66歳になるということですが、音楽活動となると何年やってらっしゃるんですか?
島:プロという意味でいうと、初めてレコーディングしたのが18歳の時でした。
茂木:早いですね、それはどういう曲でしたか?
島:僕は子供の頃からいろいろやっていまして、ギターとかサックス、ドラムとか…今は、ピアノ以外はやってないですけど。
18歳のときにエレキブームが来て、ギターでバンドをやってましてた。
仲間内で、のちのポプコンとなる「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出たところ、東京大会で優勝してしまいまして。
茂木:すごいですね!
島:周りがベンチャーズ、ビートルズをやっている中で、僕らは「月の砂漠」をジャズにアレンジしたものを演奏したんですよ。そしたら、審査員の方に驚かれて「レコーディングしないか?」という話になりました。
茂木:それはリリースされたんですか?
島:リリースされました。僕らのバンドのっていうことではなくて、ある歌手の方のバックを僕らのバンドがやったんですけど。そこから数えると何年でしょうね(笑)。
茂木:じゃあ、デビューはロケットスタートってことですよね。それからいろいろ活動されて、1978年、アメリカの学校に行くまでの10年間はどうだったんですか?
島:24歳くらいのときに、ミッキー・カーチスさんと出会いまして。当時ミッキーさんは、日本で、いわゆる音楽プロデューサーの草分けなんですね。それまでは、日本に音楽のプロデューサーっていなかったんですよ。
プロデュースシステムを始めたのがミッキー・カーチスさんで、たまたま紹介で出会って、ミッキーさんに可愛がっていただいて。
彼のバンドでピアノも弾いていたんですけど、ミッキーさんがプロデュースするレコーディングにも使っていただいて、あるときミッキーさんが「島ちゃん、プロデュースやアレンジをやるべきだよ」と言ってくださって。
茂木:それから、何年かしてアメリカへの留学のきっかけは何だったんですか?
島:それも、実は最初はミッキーさんがきっかけで。彼が”アメリカで仕事をしたい”となって、まずはミッキーカーチスさんが、ご家族で行かれたんです。
それで、半年くらいして「島ちゃん、来て」と言われて(笑)。
茂木:じゃあ、仕事で行かれたんですね。
島:いくつかデモテープを作って、あちらの有名なアル・シュミットというプロデューサーの方に「面白い」と言っていただいて、レコーディングするという話になったんですよ。
茂木:島さんの人生って、そういうこと多いですね(笑)。
島:そうですね(笑)。当時、ビザとかないですし、演奏はできないと思っていたんです。
打ち合わせをしてる時に、スティーヴ・ガッドとか、デイヴィッド・T・ウォーカーとか、トム・スコットとか、すごい人たちの名前が出てるんですよ(笑)。
こんな人たちに、僕のアレンジを演奏してもらえるんだと思って、「ピアノは?」と言った時に、アル・シュミットさんが「おまえが弾けばいいじゃん」って(笑)。
28歳でいきなりですよ?ものすごいレジェンド的なミュージシャン達とレコーディングする事になっちゃったんですよ。レコーディングの前の日なんか、ほとんど一睡もできなかったですね。
茂木:実際にレコーディングはどうでしたか?
島:ものすごい緊張してたんですけど、後で考えると、すごく気持ちよくて”無”の状態になってるんですよ。音楽に包まれて、自然に弾かされちゃう、なんのストレスもなくて。音楽のグルーヴにのせられてしまったという経験がすごいなと思って。
茂木:音楽の神様が降りてきたんですね。
島:”僕はアメリカにいるしかない”と、その時に思ったんですね。
茂木:今の話を伺ってたら、”こいついい!”と思うと、関係なく受け入れちゃうんですね。
島:今思うと、なんであんな事ができたんだろうと、すごく不思議です(笑)。
──『お互いにすごく信頼感があって、2人で一緒に音楽をやることに関しては信頼しきってやっています』
茂木:6月6日、いよいよ、66歳の誕生日ですよ!『The SOUND of SHIMAKEN 66th Anniversary Concert on 6.6』が行われますけど、コンサートを前にしてどういうお気持ちですか?
島:期待と不安ですね(笑)。
茂木:今までの音楽人生を振り返ると、いかがですか?
島:子供の頃から自然に音楽と親しんでいて、何も考えずに18歳でレコーディングすることになり……。
茂木:アメリカに行ってもレコーディングをしてね(笑)。
島:なんとなく、アレンジとかプロデュースをやりたいなと思ったのは18歳くらいの時に思っていましたね。
茂木:帰国されるきっかけはなんだったんですか?
島:それは単純にビザの関係で、帰国したいと思って帰国したわけではなくて。
それまでレコード会社と契約してバンドをやっていたんですけど、バンドが解散してしまって、ワーキングビザのスポンサーがいなくなってしまったので。
グリーンカードを申請するために帰ってきたんですけど、グリーンカードを取れるまでに3年かかってしまって、その間に日本で忙しくなり、結局、日本に残りましたね。
茂木:オリジナルの楽曲を聴かせていただいて、すごくメロディラインが美しいなと思いました。ご自身の音楽性について、どのように思ってらっしゃるんですか?
島:聴いていただいた「Forest Rain」という曲の、ピアノと弦でロマンチックな感じは自分の中で得意な分野というか、島健のサウンドはそういうところにあるのかなと思っています。
茂木:音楽って、人柄も出る感じがしていて。そういう意味では素敵な方で……怒ったりされることってあるんですか?
島:あんまりないですね(笑)。内弁慶で、女房には強かったりするんですよ(笑)。
茂木:あら!でも、奥様も強そうな感じですけど?
島:うちでは完全に僕が威張ってたりしますけどね(笑)。
茂木:今回、奥様の島田歌穂さんとコンサートを一緒にされるじゃないですか、お2人のコラボしている音楽を拝聴すると、すごく合っていますよね。
島:お互いにすごく信頼感があって、2人で一緒に音楽をやることに関しては信頼しきってやっています。
茂木:まだまだこれから、音楽の世界でこういう事をやりたいという夢がありましたら、聞かせてください。
島:今まで、アレンジやプロデューサーとして、縁の下の力持ち的な仕事が多かったし、それに喜びを感じていたんですけど。
今回のコンサートをきっかけに、自分の音楽を出していきたいかなと思います。
オーケストラとやるのは、アレンジャーとしても非常に大きな喜びなので、できれば、こういうコンサートを続けていきたいなと思いますね。
●「島健 オフィシャルサイト」
来週は、メンタリストのDaiGoさんをお迎えします。
どうぞ、お聴き逃しなく!
島さんはサザンオールスターズをはじめ、GLAY、JUJU、森山良子、加藤登紀子など
幅広いジャンルのアーティストのアレンジ、プロデュースを手掛けられ、
編曲を担当されたサザンオールスターズの「TSUNAMI」、浜崎あゆみの「Voyage」では、レコード大賞を受賞されました。
さらにはミュージカルや映画、テレビドラマ等の音楽も担当されて、日本の音楽シーンの第一線で活躍されています。
6月6日に66歳を迎えられる島健さんの音楽人生を振り返りながら、どのようにして夢を叶えてきたのか?
また、”これからの島健さんの夢とは、何なのか?”を伺いました。
──『ものすごい緊張してたんですけど、後で考えると、すごく気持ちよくて”無”の状態になってるんですよ』
茂木:島さんは、今年66歳になるということですが、音楽活動となると何年やってらっしゃるんですか?
島:プロという意味でいうと、初めてレコーディングしたのが18歳の時でした。
茂木:早いですね、それはどういう曲でしたか?
島:僕は子供の頃からいろいろやっていまして、ギターとかサックス、ドラムとか…今は、ピアノ以外はやってないですけど。
18歳のときにエレキブームが来て、ギターでバンドをやってましてた。
仲間内で、のちのポプコンとなる「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出たところ、東京大会で優勝してしまいまして。
茂木:すごいですね!
島:周りがベンチャーズ、ビートルズをやっている中で、僕らは「月の砂漠」をジャズにアレンジしたものを演奏したんですよ。そしたら、審査員の方に驚かれて「レコーディングしないか?」という話になりました。
茂木:それはリリースされたんですか?
島:リリースされました。僕らのバンドのっていうことではなくて、ある歌手の方のバックを僕らのバンドがやったんですけど。そこから数えると何年でしょうね(笑)。
茂木:じゃあ、デビューはロケットスタートってことですよね。それからいろいろ活動されて、1978年、アメリカの学校に行くまでの10年間はどうだったんですか?
島:24歳くらいのときに、ミッキー・カーチスさんと出会いまして。当時ミッキーさんは、日本で、いわゆる音楽プロデューサーの草分けなんですね。それまでは、日本に音楽のプロデューサーっていなかったんですよ。
プロデュースシステムを始めたのがミッキー・カーチスさんで、たまたま紹介で出会って、ミッキーさんに可愛がっていただいて。
彼のバンドでピアノも弾いていたんですけど、ミッキーさんがプロデュースするレコーディングにも使っていただいて、あるときミッキーさんが「島ちゃん、プロデュースやアレンジをやるべきだよ」と言ってくださって。
茂木:それから、何年かしてアメリカへの留学のきっかけは何だったんですか?
島:それも、実は最初はミッキーさんがきっかけで。彼が”アメリカで仕事をしたい”となって、まずはミッキーカーチスさんが、ご家族で行かれたんです。
それで、半年くらいして「島ちゃん、来て」と言われて(笑)。
茂木:じゃあ、仕事で行かれたんですね。
島:いくつかデモテープを作って、あちらの有名なアル・シュミットというプロデューサーの方に「面白い」と言っていただいて、レコーディングするという話になったんですよ。
茂木:島さんの人生って、そういうこと多いですね(笑)。
島:そうですね(笑)。当時、ビザとかないですし、演奏はできないと思っていたんです。
打ち合わせをしてる時に、スティーヴ・ガッドとか、デイヴィッド・T・ウォーカーとか、トム・スコットとか、すごい人たちの名前が出てるんですよ(笑)。
こんな人たちに、僕のアレンジを演奏してもらえるんだと思って、「ピアノは?」と言った時に、アル・シュミットさんが「おまえが弾けばいいじゃん」って(笑)。
28歳でいきなりですよ?ものすごいレジェンド的なミュージシャン達とレコーディングする事になっちゃったんですよ。レコーディングの前の日なんか、ほとんど一睡もできなかったですね。
茂木:実際にレコーディングはどうでしたか?
島:ものすごい緊張してたんですけど、後で考えると、すごく気持ちよくて”無”の状態になってるんですよ。音楽に包まれて、自然に弾かされちゃう、なんのストレスもなくて。音楽のグルーヴにのせられてしまったという経験がすごいなと思って。
茂木:音楽の神様が降りてきたんですね。
島:”僕はアメリカにいるしかない”と、その時に思ったんですね。
茂木:今の話を伺ってたら、”こいついい!”と思うと、関係なく受け入れちゃうんですね。
島:今思うと、なんであんな事ができたんだろうと、すごく不思議です(笑)。
──『お互いにすごく信頼感があって、2人で一緒に音楽をやることに関しては信頼しきってやっています』
茂木:6月6日、いよいよ、66歳の誕生日ですよ!『The SOUND of SHIMAKEN 66th Anniversary Concert on 6.6』が行われますけど、コンサートを前にしてどういうお気持ちですか?
島:期待と不安ですね(笑)。
茂木:今までの音楽人生を振り返ると、いかがですか?
島:子供の頃から自然に音楽と親しんでいて、何も考えずに18歳でレコーディングすることになり……。
茂木:アメリカに行ってもレコーディングをしてね(笑)。
島:なんとなく、アレンジとかプロデュースをやりたいなと思ったのは18歳くらいの時に思っていましたね。
茂木:帰国されるきっかけはなんだったんですか?
島:それは単純にビザの関係で、帰国したいと思って帰国したわけではなくて。
それまでレコード会社と契約してバンドをやっていたんですけど、バンドが解散してしまって、ワーキングビザのスポンサーがいなくなってしまったので。
グリーンカードを申請するために帰ってきたんですけど、グリーンカードを取れるまでに3年かかってしまって、その間に日本で忙しくなり、結局、日本に残りましたね。
茂木:オリジナルの楽曲を聴かせていただいて、すごくメロディラインが美しいなと思いました。ご自身の音楽性について、どのように思ってらっしゃるんですか?
島:聴いていただいた「Forest Rain」という曲の、ピアノと弦でロマンチックな感じは自分の中で得意な分野というか、島健のサウンドはそういうところにあるのかなと思っています。
茂木:音楽って、人柄も出る感じがしていて。そういう意味では素敵な方で……怒ったりされることってあるんですか?
島:あんまりないですね(笑)。内弁慶で、女房には強かったりするんですよ(笑)。
茂木:あら!でも、奥様も強そうな感じですけど?
島:うちでは完全に僕が威張ってたりしますけどね(笑)。
茂木:今回、奥様の島田歌穂さんとコンサートを一緒にされるじゃないですか、お2人のコラボしている音楽を拝聴すると、すごく合っていますよね。
島:お互いにすごく信頼感があって、2人で一緒に音楽をやることに関しては信頼しきってやっています。
茂木:まだまだこれから、音楽の世界でこういう事をやりたいという夢がありましたら、聞かせてください。
島:今まで、アレンジやプロデューサーとして、縁の下の力持ち的な仕事が多かったし、それに喜びを感じていたんですけど。
今回のコンサートをきっかけに、自分の音楽を出していきたいかなと思います。
オーケストラとやるのは、アレンジャーとしても非常に大きな喜びなので、できれば、こういうコンサートを続けていきたいなと思いますね。
●「島健 オフィシャルサイト」
来週は、メンタリストのDaiGoさんをお迎えします。
どうぞ、お聴き逃しなく!