2016年04月03日
今夜、お迎えしたお客様は、プロのヨーヨーパフォーマーとして活動をされている日本人、BLACKさんです。
BLACKさんは、2001年、ヨーヨー歴わずか4年にして、アメリカのフロリダ州で行われた世界大会で優勝。
大学卒業後は、会社員として一般企業に就職するも、ヨーヨーへの情熱を捨てきれず、2007年にプロパフォーマーとして独立をします。
その後 表現力や身体能力を磨き、2009年、シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションに合格。
ヨーヨーパフォーマーとして初の合格者となり、2014年より、シルク・ドゥ・ソレイユの最新ツアーショー『KURIOS(キュリオス)』に出演されました。
ヨーヨーパフォーマーとしての夢を諦めず、果敢に挑戦をし続けたBLACKさんに、お話を伺いました。
──競技としてのヨーヨーとは?
茂木:僕は、2013年のロングビーチ(TED 2013)の時に拝見しました。ヨーヨーがお上手なのは当然ですが、そこに至る情熱の話が印象的に残っています。
2001年の世界大会で優勝したということなんですけど、世界大会って、どういうことをやるんですか?
BLACK:イメージとしては、フィギュアスケートの審査方法に近いんです。技術点、芸術点に分けて採点されるんですね。
3分間の音楽に合わせた自由演技で、ただ難しい技をやればいいわけではなくて、音楽と合っているか、テーマ性があるか、ステージを広く使っているか、など。そういう芸術面も評価されて点数がつけられるんです。
茂木:この当時、ヨーヨー歴4年だったんですね。これは才能があったということですか?
BLACK:ヨーヨー歴4年での優勝は、そんなに珍しいことではなくて。
競技となって歴史が浅いものなので、ヨーヨー歴が短い人でも3年、4年というのは珍しくないですね。
茂木:BLACKという名前はどこからつけたんですか?
BLACK:ヨーヨーの動きだけではなくて、紐の動きも審査員に見せたいという中で、ヨーヨーの紐は白がほとんどなんです。白いTシャツを着ていたらよく見えないですから、そこで黒いシャツを着ていたら目立ちますよね。
それで、僕は大会でいつも黒の衣装を着ていて、そこからBLACKというニックネームがつきました。
茂木:逆に言うと、他の人は黒の衣装を着ていなかったんですか?
BLACK:いまは一般的になって、ほとんどの選手が黒や濃紺、紐の色が目立つような色の衣装を着てます。
茂木:ということは、BLACKさんがパイオニアだったということですね。
BLACK:僕はその一人だったということですね(笑)。
──ヨーヨーへのこだわり
茂木:BLACKさんが使っているヨーヨーのモデルですが、これはプロ仕様ですか?
BLACK:そうですね。僕は特注のものを使っていて、今日もお持ちしているんです。
茂木:普通のヨーヨーに比べて大きいんですね、直径にして1.5倍くらい、素材は何ですか?
BLACK:これはマグネシウムという金属でして、舞台で遠くのお客様からも見えるように大きなヨーヨーを作りたかったんです。
だけど、同じ素材で作ると重く、指への負担になるんです。
マグネシウムは、アルミよりもさらに軽い金属ですね。
茂木:しかも、時計が書いてありますけど、これはどういう事ですか?
BLACK:シルク・ドゥ・ソレイユで、僕が出演していた際に各アーティストに役柄があるんです。
僕の役柄が、「時の支配者」という役柄だったんですね。
なので、こちらのヨーヨーも懐中時計を模したデザインになっています。
茂木:そうなんですか。こういうものを作る、ヨーヨーのメーカーさんがいらっしゃるんですか?
BLACK:僕の場合はヨーヨーメーカーじゃなくて、鳥取の方に旋盤加工を得意とした工場があって、そこへ直接お願いしました。
茂木:どういうご縁で、そこの方と知り合ったんですか?
BLACK:そちらに勤務されている方で、ヨーヨーを趣味でやってる方がいるんです。その方は改造が趣味なんですよ。
茂木:世の中にはヨーヨーの改造が趣味の方がいるんですか?
BLACK:プレイもするけど、自分が旋盤職人で改造ができるものだから、市販のヨーヨーに重りをつけたり、形を変えちゃったりっていう改造を趣味でされていたんです。
本職が旋盤職人で、そこの工場がマグネシウムの加工が得意だということで、個人で数個単位のオーダーをするのは難しいかなと思ったんですけど。
その方も、僕のやりたいこと、シルク・ドゥ・ソレイユとか、TEDに挑戦するのに必要だと理解してくださって、無理を聞いてくださったんですね。
茂木:これは、高いんですか?
BLACK:そうですね……けっこうします(笑)。売り物ではないけど、売り出したら10万は超えますね(笑)。
茂木:さすがプロが使うものですね。これを持って世界中に行くわけですからね。
ヨーヨーって、誰でも一度はやったことあると思うんですよ。BLACKさんも、子供の頃からされていたんですか?
BLACK:僕が初めてヨーヨーを持ったのは14歳の時ですね。
茂木:意外と遅いですね。
BLACK:当時、ハイパーヨーヨーがブームで、その時に手に取ったのがきっかけでした。
茂木:当時から、かなり上手かったんですか?
BLACK:当時は全然ダメですね(笑)。もともと手先が不器用だったんです、説明書を見ると、さも5分、10分で出来るかのように、基本の技が載っているんですね。やってみると、案の定出来なくて……。毎日練習したら1週間くらいで出来て、それが非常に嬉しかったんです。
それまでは、僕は何をやってもダメだったんです。だけど、ヨーヨーは習得は早くないけど、きちんと手順を踏んで、時間をかければ努力が報われるものかもしれない、という感覚を感じました。
──『”おれ、ヨーヨーの世界チャンピオンなのに、普通に就職活動するの?”って自問自答したんですね』
茂木:14歳で初めてヨーヨーを手に取られたところから、いきなり世界大会優勝。どう繋がると、こうなるのかなと思うんですけど。
ヨーヨーへの情熱を捨てきれずに会社を辞められたと伺ってるんですけど、よく思い切りましたよね。
BLACK:思い切りはしたんですが、僕は大学1年で世界チャンピオンになったんですね。
そのあと2年、3年になって、就職活動の時期が来たんです。
茂木:そこでは、会社員になろうとは思ったんですね。
BLACK:イヤイヤではあったんですけど、就職活動の時期に、周りの同級生が就職活動始まっていきますよね。
”自分はどうするか?”となったときに、”おれ、ヨーヨーの世界チャンピオンなのに、普通に就職活動するの?”って自問自答したんですね。
当時、ヨーヨーを仕事として生計を立てていくのは難しいと判断して、就職活動をして、一般企業に就職したんですけど、その業務内容に熱意があったとか、”絶対にこの仕事をしたいんだ”という気持ちがあって選んだ就職先ではなかったので。
茂木:どんな業界ですか?
BLACK:システムエンジニアでした。
茂木:え!? 全く違う分野の仕事をされてて、その間もヨーヨーはやっていたんですか?
BLACK:趣味として続けていましたけど、仕事の方が激務で、毎日終電で帰って、家に帰る頃には日をまたいでいたりとか…練習時間がとれなくなっていったので、ヨーヨーも出来てない、業務内容には熱意がなかったので、すごくダメ社員だったんですよね。
茂木:それは辛かったでしょうね。
BLACK:仕事もできない、会社のためにもなってない、自分も嫌だと、”自分には生きる価値がないな”と、強く思ったんですね。
でも、せっかく生きてるんだから、死んだも同然の生活を送るんじゃなくて、きちんと生きてる生活をしたいというか……。
茂木:それで思い立って?
BLACK:まずは、この環境から離れないといけない、と思って。会社を辞めるということを先に決めました。
”じゃあ、辞めて何するんだ?”となったときに、やはりヨーヨーだなと思ったんですね。世界チャンピオンになっても、社会的評価が伴わない方って、僕だけじゃなかったんですね。そういう環境を変えたいと思ったんですね。
僕が会社を辞めて、プロのパフォーマーになって、社会的評価が伴うステージ…例えばシルク・ドゥ・ソレイユに、もしヨーヨーで出演することができたら、世間からのヨーヨーのイメージが変わると思ったんですね。
それを目指して、プロパフォーマーになりました。
茂木:ヨーヨーのパフォーマーの服装を黒にしたのもBLACKさんだし、プロパフォーマーとして生きて行くという道もパイオニアだから、すごいよね。最初にやってるんだね。
BLACK:必ずしも最初ではないですけど、最初の方ですね(笑)。
茂木:どうして、そういうことが出来てるんだと思いますか?
BLACK:自分の人生を、真剣に考えたからだと思います。
「会社を辞めるって、すごく勇気のある決断ですね」とか、「怖いと思ったりしなかったんですか?」と聞かれるんですよ。でも、会社員だった頃って、死んでるも同然の生活をしていて、死んでる状態より下ってないと思うんですよ。
だから、僕は上がることはあっても下がることはない。
自分がどう生きるかっていうことを真剣に考えたら、おのずと道は見えてきて、それが端から見たら極端な選択に見えても、自分としては納得のいく選択に見えたので、そんなにすごい決断をしてきたという自覚はないんですよね。
茂木:プロになって、最初、どんなところが苦労しましたか?
BLACK:仕事がないということですかね(笑)。
「パフォーマーです」と言うのは、誰でもできる。じゃあ、それでどう仕事をするか、という話で。一番簡単な道は大道芸だったんですね。でも、僕は絶対にやりたくないと思ったんです。
茂木:なるほど。
BLACK:プロパフォーマーになったのは、ヨーヨーの評価を上げるというのが一番の目的だったので。
もし、チャンピオンが道端で無許可なんかでやっていたら、”世界チャンピオンでも、無許可で違法行為でやるしかないのね” ”ヨーヨーって、まだ、そんなもんなのね”っていうネガティブなイメージを広める可能性があるので、僕は絶対にやりたくなかったんです。
なので、デビューしたての新人のくせに、出演する場所も選んでいたんですね。そんなことしたら、大して仕事もないんですよね(笑)。
出演料はあまり気にしていなくて、それよりも場所ですね。お客様から見て、”ヨーヨーの人って、こんなに立派なところでもやるのね”っていうイメージがつく場所でやりたいですね。
茂木:セルフプロデュース力がすごいですね。どんなところでやっていたんですか?
BLACK:一番頻繁にやっていたのは、イクスピアリという商業施設で定期的にパフォーマンスさせていただいてました。
茂木:華やかな舞台ですよね。それが最初のきっかけで、そこからだんだんステップアップしていったんだと思うんですけど、アメリカに移されたのはいつくらいですか?
BLACK:2年前ですね、それまでは日本と海外の活動が半々、2年前にシルク・ドゥ・ソレイユのショーに、レギュラーメンバーとして出演することが決まったんです。
●『ヨーヨー世界チャンピオン BLACK(ブラック) Official Website』
来週も引き続き、BLACKさんをお迎えして、お話をうかがっていきます。
どうぞお楽しみに。
BLACKさんは、2001年、ヨーヨー歴わずか4年にして、アメリカのフロリダ州で行われた世界大会で優勝。
大学卒業後は、会社員として一般企業に就職するも、ヨーヨーへの情熱を捨てきれず、2007年にプロパフォーマーとして独立をします。
その後 表現力や身体能力を磨き、2009年、シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションに合格。
ヨーヨーパフォーマーとして初の合格者となり、2014年より、シルク・ドゥ・ソレイユの最新ツアーショー『KURIOS(キュリオス)』に出演されました。
ヨーヨーパフォーマーとしての夢を諦めず、果敢に挑戦をし続けたBLACKさんに、お話を伺いました。
──競技としてのヨーヨーとは?
茂木:僕は、2013年のロングビーチ(TED 2013)の時に拝見しました。ヨーヨーがお上手なのは当然ですが、そこに至る情熱の話が印象的に残っています。
2001年の世界大会で優勝したということなんですけど、世界大会って、どういうことをやるんですか?
BLACK:イメージとしては、フィギュアスケートの審査方法に近いんです。技術点、芸術点に分けて採点されるんですね。
3分間の音楽に合わせた自由演技で、ただ難しい技をやればいいわけではなくて、音楽と合っているか、テーマ性があるか、ステージを広く使っているか、など。そういう芸術面も評価されて点数がつけられるんです。
茂木:この当時、ヨーヨー歴4年だったんですね。これは才能があったということですか?
BLACK:ヨーヨー歴4年での優勝は、そんなに珍しいことではなくて。
競技となって歴史が浅いものなので、ヨーヨー歴が短い人でも3年、4年というのは珍しくないですね。
茂木:BLACKという名前はどこからつけたんですか?
BLACK:ヨーヨーの動きだけではなくて、紐の動きも審査員に見せたいという中で、ヨーヨーの紐は白がほとんどなんです。白いTシャツを着ていたらよく見えないですから、そこで黒いシャツを着ていたら目立ちますよね。
それで、僕は大会でいつも黒の衣装を着ていて、そこからBLACKというニックネームがつきました。
茂木:逆に言うと、他の人は黒の衣装を着ていなかったんですか?
BLACK:いまは一般的になって、ほとんどの選手が黒や濃紺、紐の色が目立つような色の衣装を着てます。
茂木:ということは、BLACKさんがパイオニアだったということですね。
BLACK:僕はその一人だったということですね(笑)。
──ヨーヨーへのこだわり
茂木:BLACKさんが使っているヨーヨーのモデルですが、これはプロ仕様ですか?
BLACK:そうですね。僕は特注のものを使っていて、今日もお持ちしているんです。
茂木:普通のヨーヨーに比べて大きいんですね、直径にして1.5倍くらい、素材は何ですか?
BLACK:これはマグネシウムという金属でして、舞台で遠くのお客様からも見えるように大きなヨーヨーを作りたかったんです。
だけど、同じ素材で作ると重く、指への負担になるんです。
マグネシウムは、アルミよりもさらに軽い金属ですね。
茂木:しかも、時計が書いてありますけど、これはどういう事ですか?
BLACK:シルク・ドゥ・ソレイユで、僕が出演していた際に各アーティストに役柄があるんです。
僕の役柄が、「時の支配者」という役柄だったんですね。
なので、こちらのヨーヨーも懐中時計を模したデザインになっています。
茂木:そうなんですか。こういうものを作る、ヨーヨーのメーカーさんがいらっしゃるんですか?
BLACK:僕の場合はヨーヨーメーカーじゃなくて、鳥取の方に旋盤加工を得意とした工場があって、そこへ直接お願いしました。
茂木:どういうご縁で、そこの方と知り合ったんですか?
BLACK:そちらに勤務されている方で、ヨーヨーを趣味でやってる方がいるんです。その方は改造が趣味なんですよ。
茂木:世の中にはヨーヨーの改造が趣味の方がいるんですか?
BLACK:プレイもするけど、自分が旋盤職人で改造ができるものだから、市販のヨーヨーに重りをつけたり、形を変えちゃったりっていう改造を趣味でされていたんです。
本職が旋盤職人で、そこの工場がマグネシウムの加工が得意だということで、個人で数個単位のオーダーをするのは難しいかなと思ったんですけど。
その方も、僕のやりたいこと、シルク・ドゥ・ソレイユとか、TEDに挑戦するのに必要だと理解してくださって、無理を聞いてくださったんですね。
茂木:これは、高いんですか?
BLACK:そうですね……けっこうします(笑)。売り物ではないけど、売り出したら10万は超えますね(笑)。
茂木:さすがプロが使うものですね。これを持って世界中に行くわけですからね。
ヨーヨーって、誰でも一度はやったことあると思うんですよ。BLACKさんも、子供の頃からされていたんですか?
BLACK:僕が初めてヨーヨーを持ったのは14歳の時ですね。
茂木:意外と遅いですね。
BLACK:当時、ハイパーヨーヨーがブームで、その時に手に取ったのがきっかけでした。
茂木:当時から、かなり上手かったんですか?
BLACK:当時は全然ダメですね(笑)。もともと手先が不器用だったんです、説明書を見ると、さも5分、10分で出来るかのように、基本の技が載っているんですね。やってみると、案の定出来なくて……。毎日練習したら1週間くらいで出来て、それが非常に嬉しかったんです。
それまでは、僕は何をやってもダメだったんです。だけど、ヨーヨーは習得は早くないけど、きちんと手順を踏んで、時間をかければ努力が報われるものかもしれない、という感覚を感じました。
──『”おれ、ヨーヨーの世界チャンピオンなのに、普通に就職活動するの?”って自問自答したんですね』
茂木:14歳で初めてヨーヨーを手に取られたところから、いきなり世界大会優勝。どう繋がると、こうなるのかなと思うんですけど。
ヨーヨーへの情熱を捨てきれずに会社を辞められたと伺ってるんですけど、よく思い切りましたよね。
BLACK:思い切りはしたんですが、僕は大学1年で世界チャンピオンになったんですね。
そのあと2年、3年になって、就職活動の時期が来たんです。
茂木:そこでは、会社員になろうとは思ったんですね。
BLACK:イヤイヤではあったんですけど、就職活動の時期に、周りの同級生が就職活動始まっていきますよね。
”自分はどうするか?”となったときに、”おれ、ヨーヨーの世界チャンピオンなのに、普通に就職活動するの?”って自問自答したんですね。
当時、ヨーヨーを仕事として生計を立てていくのは難しいと判断して、就職活動をして、一般企業に就職したんですけど、その業務内容に熱意があったとか、”絶対にこの仕事をしたいんだ”という気持ちがあって選んだ就職先ではなかったので。
茂木:どんな業界ですか?
BLACK:システムエンジニアでした。
茂木:え!? 全く違う分野の仕事をされてて、その間もヨーヨーはやっていたんですか?
BLACK:趣味として続けていましたけど、仕事の方が激務で、毎日終電で帰って、家に帰る頃には日をまたいでいたりとか…練習時間がとれなくなっていったので、ヨーヨーも出来てない、業務内容には熱意がなかったので、すごくダメ社員だったんですよね。
茂木:それは辛かったでしょうね。
BLACK:仕事もできない、会社のためにもなってない、自分も嫌だと、”自分には生きる価値がないな”と、強く思ったんですね。
でも、せっかく生きてるんだから、死んだも同然の生活を送るんじゃなくて、きちんと生きてる生活をしたいというか……。
茂木:それで思い立って?
BLACK:まずは、この環境から離れないといけない、と思って。会社を辞めるということを先に決めました。
”じゃあ、辞めて何するんだ?”となったときに、やはりヨーヨーだなと思ったんですね。世界チャンピオンになっても、社会的評価が伴わない方って、僕だけじゃなかったんですね。そういう環境を変えたいと思ったんですね。
僕が会社を辞めて、プロのパフォーマーになって、社会的評価が伴うステージ…例えばシルク・ドゥ・ソレイユに、もしヨーヨーで出演することができたら、世間からのヨーヨーのイメージが変わると思ったんですね。
それを目指して、プロパフォーマーになりました。
茂木:ヨーヨーのパフォーマーの服装を黒にしたのもBLACKさんだし、プロパフォーマーとして生きて行くという道もパイオニアだから、すごいよね。最初にやってるんだね。
BLACK:必ずしも最初ではないですけど、最初の方ですね(笑)。
茂木:どうして、そういうことが出来てるんだと思いますか?
BLACK:自分の人生を、真剣に考えたからだと思います。
「会社を辞めるって、すごく勇気のある決断ですね」とか、「怖いと思ったりしなかったんですか?」と聞かれるんですよ。でも、会社員だった頃って、死んでるも同然の生活をしていて、死んでる状態より下ってないと思うんですよ。
だから、僕は上がることはあっても下がることはない。
自分がどう生きるかっていうことを真剣に考えたら、おのずと道は見えてきて、それが端から見たら極端な選択に見えても、自分としては納得のいく選択に見えたので、そんなにすごい決断をしてきたという自覚はないんですよね。
茂木:プロになって、最初、どんなところが苦労しましたか?
BLACK:仕事がないということですかね(笑)。
「パフォーマーです」と言うのは、誰でもできる。じゃあ、それでどう仕事をするか、という話で。一番簡単な道は大道芸だったんですね。でも、僕は絶対にやりたくないと思ったんです。
茂木:なるほど。
BLACK:プロパフォーマーになったのは、ヨーヨーの評価を上げるというのが一番の目的だったので。
もし、チャンピオンが道端で無許可なんかでやっていたら、”世界チャンピオンでも、無許可で違法行為でやるしかないのね” ”ヨーヨーって、まだ、そんなもんなのね”っていうネガティブなイメージを広める可能性があるので、僕は絶対にやりたくなかったんです。
なので、デビューしたての新人のくせに、出演する場所も選んでいたんですね。そんなことしたら、大して仕事もないんですよね(笑)。
出演料はあまり気にしていなくて、それよりも場所ですね。お客様から見て、”ヨーヨーの人って、こんなに立派なところでもやるのね”っていうイメージがつく場所でやりたいですね。
茂木:セルフプロデュース力がすごいですね。どんなところでやっていたんですか?
BLACK:一番頻繁にやっていたのは、イクスピアリという商業施設で定期的にパフォーマンスさせていただいてました。
茂木:華やかな舞台ですよね。それが最初のきっかけで、そこからだんだんステップアップしていったんだと思うんですけど、アメリカに移されたのはいつくらいですか?
BLACK:2年前ですね、それまでは日本と海外の活動が半々、2年前にシルク・ドゥ・ソレイユのショーに、レギュラーメンバーとして出演することが決まったんです。
●『ヨーヨー世界チャンピオン BLACK(ブラック) Official Website』
来週も引き続き、BLACKさんをお迎えして、お話をうかがっていきます。
どうぞお楽しみに。