2010年06月07日
つむがれるもの
こんにちは、古賀涼子です。
先日、5月27日はZARD 坂井泉水さんの命日でした。
私は追悼コンサートの司会をさせて頂いた身ですが、
未だに、坂井さんが亡くなった事実をうまく飲みこめていません。
実は、日記に書いていいものか、しばらく悩んでいたことがあります。
坂井さんが亡くなった事実を飲みこめていない理由、でもある話です。
3年という月日を機に、日記に書かせていただこうと思いました。
あくまで個人的な体験・思い出として読んでいただけると嬉しいです。
2008年5月27日。
坂井さんの一周忌に当たる日の追悼コンサートで
私は司会を務めさせて頂きました。
場所は、代々木第一体育館。
本番前、会場は1万人近い方で埋め尽くされていると聞き、
人前でマイクを握るのに慣れている私も、控え室で極度の緊張状態でした。
当時、その控え室には私とTOKYO FMの先輩社員、
コンサートに携わっていたエフエム大阪社員のFさんの3人が。
部屋には扉が2つあって、ひとつは楽屋が連なる廊下に通じるもの、
もうひとつは、ステージへと直接移動できるものです。
扉は専ら、廊下側を使用し、
その部屋の中央にある椅子に座って、3人とも無言でコンサートの開始を待っていました。
その時の私は、緊張を通り越して、失敗したら・・・との不安・恐怖心で
正直、逃げ出したいような思いに駆られていました。
恐い!!
その時。
がちゃっ。
大きな音を立てて、ステージへ通じる扉が、開いたんです。
・・・そこには、誰もいません。
でも、意思を持って、扉が半分、開きました。
!?
私たち3人は、顔を見合わせました。
『さっき、こっちから一度出入りしたから・・・きちんと閉まってなかったんかな・・・』
確かに、エフエム大阪Fさんが5分くらい前に一度、そちらから出入りしました。
でも、半開きだったら、扉はすうっと静かに開くはずです。
それが、明確にドアノブを回す音とともに、開いたんです。
なぜ!?
『・・・もしかしたら、坂井さんがご挨拶に来て下さったんかもしれんなぁ・・・』
Fさんが言った言葉に、鳥肌が立つのを止められませんでした。
私も、きっとそうだ、と思いました。
私のあまりの緊張ぶりを不安に思った坂井さんが、
大丈夫だよと背中を押しに来て下さったのでは、と。
そう思うと、ふっと緊張が解けていきました。
そして、もうひとつ。
この日、私はセミロングの髪のサイド部分を耳にかけていたんですが、
ふと『邪魔かな・・・結びたいな・・・』と思ったんです。
そこで、近くのコンビニに購入しに行っていいか、エフエム大阪Fさんに相談したところ、
『ほんなら、誰か女性スタッフに持っとるか聞いたるわ』とのこと。
2人で楽屋を出ると、すぐ目の前にショートカットの女性スタッフがいました。
その方がどなたか、2人とも知りませんでしたが、Fさんは早速お声をかけて。
『ああ・・・でもその方はショートカットだから、持ってる訳ありませんよ、Fさん・・・』
私がそう思っていると。
その女性が、目を丸くして、一瞬息を飲んだように思えました。
?
そして・・・
ご自分が首からかけていた透明のスタッフ証ケースをくるりとひっくり返しました。
するとそこには、髪を結ぶためのゴムの輪が3つ・・・
え?
結ぶ長さではない髪型なのに、何故? しかも、3つも??
色々と不思議に思いながらも、新品に見えるそのゴムを1つお借りして
後でお返ししますとお声掛けすると、『大丈夫です、差し上げます』とのこと。
一発でゴムを持ってる人に出会えた、とFさんは笑顔です。
そんな彼が、血相を変えて私のところに小走りでやってきたのは、コンサートの後でした。
なんと。
ゴムくださった女性は、いつも坂井さんの身の回りのお世話をされていた、
付き人さんのようなお立場の方だったそうです。
と言うことは・・・このゴムは・・・
もちろん、私の憶測にしか過ぎません。
でも、でも。
あまりに、信じたいことが多すぎました。
坂井さんが確かにここにいるんだ、ということを。
これが、坂井さんが亡くなったという事実を私がうまく飲みこめていない理由です。
繰り返し記載しますが、これはあくまで私の個人的な体験です。
誰かに何かを訴える意図も、アピールする意図もありません。
ただの思い出です。
この記事が何かの波紋を呼んでしまうことだけは避けたいです。
ですが、坂井さんが亡くなって3年ということをきっかけに、
私とFさんがあの舞台裏で遭遇した体験を
ZARDファンの方に少しでもお伝えできればと思いました。
最後に、坂井さんがつむいで下さったと感じるご縁がもうひとつ。
以前の記事で、群馬県・草津温泉に旅行したときに泊まったペンションの話を書きました。
2010年2月10日付の記事での『セガワペンション』さんの話です。
旅行情報サイトを参考に、自分で選んだ宿泊先でしたが、
前回の記事でこんな表現をしました。
セガワペンションのオーナーご夫妻と私、
実は以前、想像だにしない出会い方をしていたのです!!!
実は・・・ご夫妻は大のZARDファンで、
私が司会をさせて頂いた2008年の横浜での追悼コンサートにも、
お2人で遠路、いらしていたそうなんです!
宿帳に書かせて頂いた私の名前をご夫妻がご覧になって、
あれ・・・もしかして・・・? と。
2泊3日の宿泊だったんですが、2泊目の夜に奥様から声をかけて頂きました。
飛び上がるくらいに、本当に嬉しかったです。
ここでも、坂井さんが縁をつむいでくださったんだと、また鳥肌が立ちました。
セガワペンションのみなさま、本当にありがとうございました。
そして、ここまで話を引っ張ってしまい申し訳ありません。
このタイミングで書かせて頂きたかったので、どうぞお許しください。
つむがれる縁。
この5月に大阪と東京では追悼フィルムコンサートが行なわれましたが、
秋から年明けにかけては、全国各地を巡るとも伺っています。
坂井さんの生きた/生きている証に、そして縁に
私もまた、触れに行きたいと思っています。
長い文章、大変失礼致しました。
先日、5月27日はZARD 坂井泉水さんの命日でした。
私は追悼コンサートの司会をさせて頂いた身ですが、
未だに、坂井さんが亡くなった事実をうまく飲みこめていません。
実は、日記に書いていいものか、しばらく悩んでいたことがあります。
坂井さんが亡くなった事実を飲みこめていない理由、でもある話です。
3年という月日を機に、日記に書かせていただこうと思いました。
あくまで個人的な体験・思い出として読んでいただけると嬉しいです。
2008年5月27日。
坂井さんの一周忌に当たる日の追悼コンサートで
私は司会を務めさせて頂きました。
場所は、代々木第一体育館。
本番前、会場は1万人近い方で埋め尽くされていると聞き、
人前でマイクを握るのに慣れている私も、控え室で極度の緊張状態でした。
当時、その控え室には私とTOKYO FMの先輩社員、
コンサートに携わっていたエフエム大阪社員のFさんの3人が。
部屋には扉が2つあって、ひとつは楽屋が連なる廊下に通じるもの、
もうひとつは、ステージへと直接移動できるものです。
扉は専ら、廊下側を使用し、
その部屋の中央にある椅子に座って、3人とも無言でコンサートの開始を待っていました。
その時の私は、緊張を通り越して、失敗したら・・・との不安・恐怖心で
正直、逃げ出したいような思いに駆られていました。
恐い!!
その時。
がちゃっ。
大きな音を立てて、ステージへ通じる扉が、開いたんです。
・・・そこには、誰もいません。
でも、意思を持って、扉が半分、開きました。
!?
私たち3人は、顔を見合わせました。
『さっき、こっちから一度出入りしたから・・・きちんと閉まってなかったんかな・・・』
確かに、エフエム大阪Fさんが5分くらい前に一度、そちらから出入りしました。
でも、半開きだったら、扉はすうっと静かに開くはずです。
それが、明確にドアノブを回す音とともに、開いたんです。
なぜ!?
『・・・もしかしたら、坂井さんがご挨拶に来て下さったんかもしれんなぁ・・・』
Fさんが言った言葉に、鳥肌が立つのを止められませんでした。
私も、きっとそうだ、と思いました。
私のあまりの緊張ぶりを不安に思った坂井さんが、
大丈夫だよと背中を押しに来て下さったのでは、と。
そう思うと、ふっと緊張が解けていきました。
そして、もうひとつ。
この日、私はセミロングの髪のサイド部分を耳にかけていたんですが、
ふと『邪魔かな・・・結びたいな・・・』と思ったんです。
そこで、近くのコンビニに購入しに行っていいか、エフエム大阪Fさんに相談したところ、
『ほんなら、誰か女性スタッフに持っとるか聞いたるわ』とのこと。
2人で楽屋を出ると、すぐ目の前にショートカットの女性スタッフがいました。
その方がどなたか、2人とも知りませんでしたが、Fさんは早速お声をかけて。
『ああ・・・でもその方はショートカットだから、持ってる訳ありませんよ、Fさん・・・』
私がそう思っていると。
その女性が、目を丸くして、一瞬息を飲んだように思えました。
?
そして・・・
ご自分が首からかけていた透明のスタッフ証ケースをくるりとひっくり返しました。
するとそこには、髪を結ぶためのゴムの輪が3つ・・・
え?
結ぶ長さではない髪型なのに、何故? しかも、3つも??
色々と不思議に思いながらも、新品に見えるそのゴムを1つお借りして
後でお返ししますとお声掛けすると、『大丈夫です、差し上げます』とのこと。
一発でゴムを持ってる人に出会えた、とFさんは笑顔です。
そんな彼が、血相を変えて私のところに小走りでやってきたのは、コンサートの後でした。
なんと。
ゴムくださった女性は、いつも坂井さんの身の回りのお世話をされていた、
付き人さんのようなお立場の方だったそうです。
と言うことは・・・このゴムは・・・
もちろん、私の憶測にしか過ぎません。
でも、でも。
あまりに、信じたいことが多すぎました。
坂井さんが確かにここにいるんだ、ということを。
これが、坂井さんが亡くなったという事実を私がうまく飲みこめていない理由です。
繰り返し記載しますが、これはあくまで私の個人的な体験です。
誰かに何かを訴える意図も、アピールする意図もありません。
ただの思い出です。
この記事が何かの波紋を呼んでしまうことだけは避けたいです。
ですが、坂井さんが亡くなって3年ということをきっかけに、
私とFさんがあの舞台裏で遭遇した体験を
ZARDファンの方に少しでもお伝えできればと思いました。
最後に、坂井さんがつむいで下さったと感じるご縁がもうひとつ。
以前の記事で、群馬県・草津温泉に旅行したときに泊まったペンションの話を書きました。
2010年2月10日付の記事での『セガワペンション』さんの話です。
旅行情報サイトを参考に、自分で選んだ宿泊先でしたが、
前回の記事でこんな表現をしました。
セガワペンションのオーナーご夫妻と私、
実は以前、想像だにしない出会い方をしていたのです!!!
実は・・・ご夫妻は大のZARDファンで、
私が司会をさせて頂いた2008年の横浜での追悼コンサートにも、
お2人で遠路、いらしていたそうなんです!
宿帳に書かせて頂いた私の名前をご夫妻がご覧になって、
あれ・・・もしかして・・・? と。
2泊3日の宿泊だったんですが、2泊目の夜に奥様から声をかけて頂きました。
飛び上がるくらいに、本当に嬉しかったです。
ここでも、坂井さんが縁をつむいでくださったんだと、また鳥肌が立ちました。
セガワペンションのみなさま、本当にありがとうございました。
そして、ここまで話を引っ張ってしまい申し訳ありません。
このタイミングで書かせて頂きたかったので、どうぞお許しください。
つむがれる縁。
この5月に大阪と東京では追悼フィルムコンサートが行なわれましたが、
秋から年明けにかけては、全国各地を巡るとも伺っています。
坂井さんの生きた/生きている証に、そして縁に
私もまた、触れに行きたいと思っています。
長い文章、大変失礼致しました。
投稿者: 古賀涼子
コメント
きっと、想いが通じて、そっと・・・、だったのでしょう。
素敵な出来事ですね(*^^*)
坂井さんが、励ましてくれたんだと思いますよ♪
不思議だけど、とても暖かい気持ちになりますね(^_^)
そんなことがあるんですね。
縁というのは、相手のことを強く想うことによって繋がっていくものなんですかね。古賀さんたちの強い想いが、坂井さんの想いに触れて、負けないで!と目に見えない応援をしてくれたんでしょうね。
古賀さんはお仕事がら坂井さんの想いのこもった縁奏を多くの方に届けてください。
鳥肌ものでしたが、自分ではあじわったことない素敵な体験をお聞かせ頂きありがとうございました。
ZARD・・・坂井泉水ちゃんの大ファンで
今でもその想いは変わらないニンゲンです。
とあるとこで、古賀さんのブログの事をお聞きし
早速こちらへ伺いました。
文章を読みながら・・・
鳥肌が立ち、涙目になってきました。
それと共に私のアタマの中には
ZARDの曲「かけがえのないもの」が流れてきました。
歌を詩を大事にされた坂井泉水ちゃんの、この曲の中で
「あの頃の想い出が 今甦ってきたよ」
そんなフレーズが有りますが
読みながら、想い出が甦ってきました。
2008年5月27日、確かにそこ(代々木)に
坂井泉水ちゃんがいらっしゃったんだと私も
思います。
ライブでは、ちゃんと楽屋もステージも用意されて
いらっしゃいますので・・・
ホントに、良い話、嬉しい話をありがとうございました<(_ _)>
古賀さんの想いが伝わる素敵なお話ですね!!
人間にのみ備わった崇高な心は「お別れしてもなお偲び、弔いつつ、その方の存在を感じつつ、明日の一歩に変えていくこと」だと思います。
この「心模様」は他のどんな動物にも備わっていないもので、その崇高さゆえに何よりも尊く、あったかくて、聞く人の心を打つのだと思います。
自分も職業柄、こうした話はよくうかがいますし、そこに故人への想いを感じて心を揺さぶられることがよくあります。
しかし、科学文明の恩恵に浴する私達は何事も「科学の証拠」を求める悪い癖があるように思います。
この「崇高な心模様」を「死んだらそれで終わり」とか「科学的に立証できないことはあり得ない、気のせいだ。」と片付ける人もいるかもしれません。
しかし、古賀さん方が感じられた坂井さんの存在は間違いないものだと思います。
なぜなら、この話を読んで私もそう思うからです。
霊魂とか、科学とか、霊能力者とか・・・そういった言葉の説明を抜きにして、単純に「そう思うから」です。
偶然と片付けることができないこのエピソードを坂井さんへのあふれんばかりの想いとリンクさせて「坂井さんからの応援、後押し」と受け止めることができたなら、まさに坂井さんの本望ではないでしょうか。
あれほど私達を応援する、心ゆさぶる曲をつむぎ続けた人ですから、きっと喜んでおられることでしょう。
『私達が亡き人を想う時 亡き人も私達を想っているのだ』
という言葉があります。坂井さんの想いを不思議なエピソードを通して古賀さんは受信できたのですから、二人の心は通じ合ったのでしょうね。
今回の話はそんなあたたかくも、確かなつながりを感じさせてくれます。
本当に不思議な、素敵な体験でしたね。
合掌
そしてそして・・・よくここまで公表せずに我慢できましたね〜!(驚)いっちばん伝わるタイミングで公表するなんて!俺なら我慢できなくて言うわぁ〜!九州オンナは九州男児よりもキモがすわっとるけんが!!(笑)尊敬ばすったい!!
貴重なお話ありがとうございます。
そのゴムは…泉水さんの為に用意されていたものです。
以前、その付き人の方がTVかなにかで仰っていたのを見たことがあります。
ほんとうに不思議な出来事ですが、私も坂井さんが手を差しのべて応援してくれたんだと思います。古賀さんがZARD坂井泉水さんの追悼ライブ、しかもファイナルの司会という大役をしてくれているので、坂井さんも古賀さんのために何かしなきゃ・・・って、思われて助けてくれたのだと思います。坂井さんは、そういう優しさを持ち備えた素敵な方ですから(笑)。坂井さん、古賀さんがお互いに助け合ったんだと思います。
追伸:私も2008、2009年、両方とも追悼ライブには参加させていただきました。古賀さんの司会はとっても聞き心地が良く、印象に残っています。坂井さんの歌声と一緒ですね。先日のZARD Screen Harmony 町田公演にも参加させていただきました。秋から全国各地を巡るフィルムコンサート、古賀さんもぜひ、参加してくださいね。そして、ZARD坂井さんに逢いにいきましょう。
正直、私も泉水さんが亡くなったことを
未だ受け入れられずにいましたが、
古賀さんのエピソードを知り、たった今ですが、
「泉水さんは姿を変え、より多くの人を見守れる
存在に昇華されたんだ」
と思えるようになりました。
本当にありがとうございました。
私からは司会されている方が、そんなに緊張されているとは思いもよらないことでした。
私達とは別世界の人かと思っていましたが、同じなんですね〜
色々な不思議な出来事は坂井さんが古賀さんを応援していたんですよ〜
これからも、我々に素敵な声を届けてくださいね
私もあの代々木第一体育館の一周忌追悼コンサートには参加させていただきました。
ブルーのサイリュームがとても幻想的で美しかったことを憶えています…。
実は私もあの衝撃的だった訃報の日と翌日に古賀さんと同じような体験をしているんです。
ただ、それを客観的に証明するすべもなく、妄想とか思い込みと言われることが嫌だったので誰にも話していません…。
きっと坂井泉水さんは、こちらのことがいろいろと気になってメッセージを伝えてくれているのでしょうね。(笑)
今回のお話も見えない部分での繋がりを感じさせる内容だと思います。
そんな体験をされた古賀さんはきっと坂井さんに守られていると思いますよ。
坂井さんも緊張屋さんのタイプと伺っておりますので、きっと本番前の古賀さんの極限の波長がリンクして、「ready go!」のエールを示してくれたんではないでしょうか?
生前、スタジオにいる時でもスタッフが外線に出られない時には、何の躊躇もせず出ておられたという事も聞きますし、そんな驕りの無い、気配り、気が付く方ですから、新顔さんへのお礼も示したかったんでしょう。
今年で3年目を迎えましたが、私は年毎に彼女の存在の意義が重くなっています。古賀さんの言われるように”つむがれる縁(5月)”が今後も続く事を願ってやまないですね。
私は「what a beautiful memory 2009 」最終日の日本武道館で始めて古賀さん知りました、。だからZARD=古賀涼子と云う連立方程式がINPUTされてしまいました。来年はデビュー20周年公演も宣言されましたし、また坂井さんと古賀涼子さんに会えればと願っております。^^
坂井さんも緊張屋さんのタイプと伺っておりますので、きっと本番前の古賀さんの極限の波長がリンクして、「ready go!」のエールを示してくれたんではないでしょうか?
生前、スタジオにいる時に外線電話が来て、スタッフがに出られない時には、よく何の躊躇もせず出ておられたという事も聞きますし、そんな驕りの無い、気配り、気が付く方ですから、その当時新顔さんだった古河さんへのお礼も示したかったんでしょう。
今年で3年目を迎えましたが、私は年毎に彼女の存在の意義が重くなっています。古賀さんの言われるように”つむがれる縁(5月)”が今後も続く事を願ってやまないですね。
私は「what a beautiful memory 2009 」最終日の日本武道館で始めて古賀さん知りました。私としては、その様な場所への初めての参加でも有り、特別な意味の有る一時でした。だからZARD=古賀涼子と云う連立方程式がINPUTされてしまいました。来年はデビュー20周年公演も宣言されましたし、また坂井さんと古賀涼子さんに会えればと願っております。^^
イラストのブログをしています。坂井さんもいます。一度覗いて下されば幸いです。^^
http://pixiv.cc/95112/
プロのアナウンサーの方でも本番前はこんなに緊張されるんだと思って、何だかホッとしてしまいました。♥(笑)
私も古賀さんがMCをご担当されたパシフィコ横浜、代々木第一体育館、そして昨年の日本武道館の追悼コンサートに参加させて頂きました。
実は私も「パシフィコ横浜」で今でも鮮明に憶えている絶対に忘れられない出来事があります。
それは開場10分前頃だったでしょうか、歩道橋に並んでいた(寒かったですね。笑)私の目に会場建物の窓から外を眺めている水色っぽいカーディガンに白いブラウス(だったと思います。)の割とコンサバっぽくて清楚なファッションの長い黒髪の女性のシルエットがブラインド越しにハッキリと映ったんです。
「その方」は、窓枠に両手をついてブラインド越しにボーっと外の景色を見つめている雰囲気でした。
言葉で表現すると、「エー、こんなに大勢の人が来ちゃって…。」といった雰囲気だったでしょうか。
開場直前の一番慌しい時間帯にのんびり外を眺めているなんて誰だろう??とあまり気にも留めませんでしたが、私の周囲で入場を待っているファンの誰も気付かないのがちょっと意外でした。
そして大盛況だったコンサート終演後に改めて気付いて驚いたのは、外を眺めていた「その方」と古賀さんも含めた当日のコンサート出演者の女性の方とは髪の長さや色、そしてヘアースタイルが明らかに違っていて、どなたとも一致しないんです!!
ましてや、開場直前にコンサートスタッフがのんびりと窓から外を眺めているなんて考えられません。
そう、あの髪の長さとヘアースタイルのシルエットは、見間違えようもない「あの方」だけ…。
ちなみに「その方」は、当日のパシフィコ横浜で初披露された映像「あの微笑みを忘れないで」での優しい雰囲気とルックスそのままでした。
そしてさらに衝撃的だったのは翌日、インターネットで調べた「パシフィコ横浜」フロアー図面でシルエットが映った窓の位置を念のため確認してみたら、なんとそこには「特別控室(楽屋)」の文字が…。
そうなのです。その場所はファンクラブ会報でも有名になった彼女の楽屋、大好きな海の見える特別控室だったのですね。
これは実際にあった出来事を書いているだけで決して妄想などではありませんし、誰かに何かを分かって欲しいという意図もまったくありません。
私も古賀さんと同様、興味本位の波紋や間違った誤解を招いてしまう話をしてしまって良いのかどうか、正直悩みましたが、古賀さんのお話を伺って彼女を偲ぶためにも、この話を打ち明けさせて頂きます。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。(長い文章となってしまい大変失礼しました。)
本当に感謝の気持ちに尽きません。お話して下さってありがとうございました!!
追伸:2008年の代々木・・・私も参加させていただきました。あの時、古賀さんが私たちと泉水さんを結んでくれた“キューピット”のような存在に感じました。あの時のことも・・・お礼が遅くなってしまいましたが・・・本当にありがとうございました。
2011年に、また古賀アナのMCで(デビュー20年)コンサートを聴けたら素晴らしいです。
ZARDファンクラブ会員-?032…。
2011年に、また古賀アナのMCで(デビュー20年)コンサートを聴けたら素晴らしいです。
ZARDファンクラブ会員-?032…。
大変貴重な体験を読ませていただきありがとうございました。
ワタシもZARD/坂井泉水さんのファンで生前のライブから追悼ライブと行かせていただきました。
もちろん、古賀さんの司会のライブも…。
その舞台裏でそんな素敵な「出会い」があったなんて…。
ワタシは未だに夢でさえ坂井さんには“再会”していませんが、歌でいつも勇気をもらってます。
いつか“出会えた”らその感謝の気持ちを伝えたいです。
また坂井さんに“再会”できるといいですね…。
今日は、たまたま見つけた書き込みから、あなたのブログに参りました。しっても・・・、とってもいいお話をありがとう。どなたかもおっしゃっておりましたが、読んでるうちに涙・・・・です。
ぼくも古賀さんの言われるように、まったく飲み込めません。事実は事実として・・・と考えもしますが、いいですよね、誰に迷惑がかかるわけでもないし。あなたが経験した幾つかの事象は、ぼくもそのまま飲み込みます。(^ー^* )フフ♪5月27日以来、どうしていいか切ない気持で過ごしてましたが、あなたのお話を聞けて、パァ〜っと明るくなったように思います。ぼくの心の中の泉水さんは、いつも動き続けてますから・・・。
チョットばかし、落ち込んでた今日を、あなたに救ってもらいました。(*^^)v