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Legend Story
15.07.04
バルセロナ・オリンピック柔道男子 古賀稔彦 吉田秀彦

1992年バルセロナオリンピック。
日本が獲得した金メダルは3つ。一つは、水泳の岩崎恭子。
残る2つは、柔道男子の古賀稔彦と吉田秀彦。

2人はバルセロナ入りした後、すぐさま一緒に練習。
しかし、この時まさかの事故が起きた。
 
一本背負いにいった古賀の右足が滑り、左足に2人分の体重がのしかかる。
激痛に、うなり声を上げる古賀。
左ひざのじん帯を損傷し、まともに歩くことすら出来ない状態、全治2カ月。試合までは、あと十日…。

古賀は、その後一切練習せず、毎日一人選手村に残って治療に専念。
顔面蒼白の吉田に対しては、「心配するな」と気遣った。

試合順は、吉田が先で、翌日に古賀。
吉田は、6試合すべて一本勝ちで金メダルを獲得したが、それでも笑顔はなかった。
日本柔道が吉田選手の金メダルに沸いた翌日、古賀は、痛み止めの注射を何本も打ち、テーピングでひざを固めて出陣。

試合場へ向かう古賀の背中を、吉田はポンと叩き送り出した。
古賀は、怪我している左足をかばって、右足でのともえ投げや、得意の背負い投げも何度となく繰り出したが、いつものキレがない。
3回戦、4回戦は判定勝ち。
再び痛み止めの注射を打ち挑んだ準決勝は、背負い投げで一本勝ち。

決勝は、前年の世界選手権準決勝で勝っているハンガリーのハトシュ。
”掛け逃げ”に近い形で先手先手と技を繰り出すハトシュにやりにくそうな古賀。

小内刈り、一本背負いと踏ん張れない状態ながら攻めたが、決め手がなく勝負のゆくえは判定へ…。
赤旗を上げてくれと祈る古賀。
一瞬の静寂……そして…サッと赤旗が3本!

古賀は、畳の上で必死に涙をこらえながら、高々とこぶしを上げた。
その姿を見守っていた吉田は、人目もはばからず大泣き。
自身の優勝で見せなかった涙が、この日は止まらない。

そして、畳を降りた古賀は、吉田と抱き合って喜びを爆発させた。
吉田秀彦、古賀稔彦、2人が追い求めた「柔の道」は、バルセロナの地で金色に輝いた。



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