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Legend Story
14.09.06
福原愛

幼少の頃から“天才卓球少女”と注目され、数々の史上最年少記録を塗り替えて15歳でオリンピック代表まで駆け上がった福原愛。
初出場だったアテネオリンピック翌年の2005年からは、自らの技術と精神力を磨くために世界最高峰の中国スーパーリーグに参戦してトップ選手とともに、毎週中国全土を駆け巡るハードな戦いも経験した。

その成果で世界ランキングを9位まで上げてエースとして臨んだ北京オリンピック。
シングルスは4回戦敗退で終わったが、それより悔しかったのは初採用だった団体戦で3位決定戦まで進みながら、韓国に敗れてメダルを逃したことだった。

その後は2010年アジア大会でシングルスとダブルス、混合ダブルスで銅メダルを獲得。
世界に手が届くと実感した福原は、2012年1月の全日本選手権で初優勝も果たして自信をつけた。

4年前の悔しさを晴らすことを最大の目標にした2012年ロンドンオリンピック。
村上恭和(やすかず)監督は、選手たちに「今回のメンバーでメダルを獲れなければ、もうオリンピックで獲ることは出来ない」とまで言い切った。

出場メンバーは世界ランキング6位の石川佳純(かすみ)に、7位で大黒柱の福原。
そして全日本シングルスを5回制し、北京オリンピックでも戦った平野早矢香(さやか)の最強トリオ。
チームランキングも中国に次ぐ2位での挑戦だった。

最初のシングルスで福原は世界ランキング1位の丁寧(ディン・ニン)に敗れたが、準々決勝に進んだ。
そして石川は3位決定戦にまで進出して臨んだ団体戦。
「北京オリンピックの3位決定戦で負けた瞬間の写真を一番大きく伸ばしてもらい、ずっとナショナルトレセンの壁に貼って練習していたし、ロンドンにもそれを携帯で撮って持ってきた」
という福原は、これまで団体戦に勝つことができなかったシンガポールとの準決勝では1番手で登場。
シングルス銅メダリストで世界ランキング8位のフェン・ティアンウェイを3対1で下し、続く石川と平野/石川のダブルスが連勝して銀メダル以上を確定する流れを作った。
そして決勝では王者・中国に0対3で敗退したが、1番手で出場した福原はシングルス金メダリストのリ・シャオシャから1ゲームを奪取する意地を見せた。
「夢が叶った」と納得したロンドン五輪。
「沢山の方の思いが詰まっているメダルは重いと感じた」と話す福原の表情は、全力を出し切った満足感に包まれていた。


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