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Legend Story
14.07.19
鈴木大地

惨敗の危機だった1988年ソウル五輪の日本競泳を救った男子100m背泳ぎ・鈴木大地の金メダル。それは鈴木と彼を指導する鈴木陽二が、4年かけてたどり着いたものだった。
 
早くから資質の高さを注目された鈴木大地が初めて世界の舞台に立ったのは、1984年ロス五輪。結果は100mで総合11位。
優勝した世界記録保持者のリック・ケアリーとは2秒51の大差がついた。
しかし鈴木陽二は、持ち前の柔らかい足首を活かしたバサロキックで25mまでの潜水泳法で勝負する鈴木大地が、前半の50mではケアリーに負けていなかったことに注目した。

「身体を鍛えれば4年後は勝てる、この戦い方で勝負しよう」と。
 
ソウル五輪、予選、バサロキックでの潜水距離を鈴木よりも5m長い30mまで伸ばしてきたライバル、デビット・バーコフが、54秒15の世界記録を樹立。鈴木は1秒49差をつけられた。
 
当時の運動生理学の定説は、無酸素系のエネルギーで行けるのは12秒ほど。
鈴木の場合は21回のバサロキックで25mまで潜り、24ストロークで折り返せすのがベストだと考えていた。
だが予選の結果を見た鈴木陽二は、折り返しでバーコフトの差を身体半分に抑えなければ勝負の捲くりも届かないと判断した。
そこで午後の決勝では、27回のキックで潜水を30mまで伸ばすという決断をした。

直前で過去に一度もやったことの無い戦い方への変更。
それは大きな賭けでもあった。
その賭は当たった。自分と同じ30mまで潜ってきた鈴木を見て、バーコフは動揺した。
50m折り返しは予選の差を0秒12縮める0秒24差。
思惑通りに身体半分の差に抑えた。
75m過ぎから追い上げを開始した鈴木はラスト5mで並びかけると、
最後は何度も練習してきた指先を壁に突き刺すようなタッチでゴール板に手を伸ばし、予選よりタイムを落としたバーコフを0秒13抑えた。
 
日本競泳3大会ぶりの金メダル獲得。
それを確認した鈴木大地は静かに右腕を突き上げると、
コースロープの上へ満足気に横たわった。


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