パラリンピックの水泳で、金メダル15個を含む通算20個のメダルを獲得し、“水の女王”と呼ばれる成田真由美。
1996年のアトランタ大会から、シドニー、アテネ、2008年の北京大会まで、4大会連続で出場。
北京大会後、一度は第一線を退いたが、2013年、オリンピック・パラリンピックの東京招致が決まったのをきっかけに競技復帰。
6年のブランクをものともせず、リオ大会出場を果たした。
幼いころから活発で、男の子と一緒に野球をしていたという成田。
中学校では、バスケットボール部にスカウトされたが、入学して間もなく、片方のひざに痛みを感じた。
病名は、横断性脊髄炎、車いす生活となった。
その後、車いすバスケットボールなどをやっていたが、23歳になった1994年、通っていたスポーツセンターで仲間から水泳の大会に誘われ競技をスタート。
もともと泳ぐのが苦手で、大会まではわずか一か月しかなかったが、成田は、猛練習を積んで出場し、25m自由形と50m自由形で大会新記録を出して優勝。
泳ぐことの楽しさと、真剣勝負の醍醐味も味わった。
しかし、大会の帰り道、成田は不運に見舞われる。
追突事故に遭い頸椎を損傷、後遺症で左手には麻痺が残った。
それでも、仲間の励ましと、一度知った水泳の魅力が忘れられずプールへと戻った成田。
もともとの運動能力の高さと負けん気の強さを武器に、日本代表をつかみ取り、アトランタ・パラリンピックに出場。
そこから多くのメダルを獲得し「パラリンピックの申し子」とも呼ばれるようになった。
現在50歳の成田真由美は、6度目のパラリンピックとなる東京大会に向けて泳ぎ続ける。
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