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Legend Story
18.08.25
定岡正二
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1974年、夏の甲子園、一人の高校球児の人生が変わった。
鹿児島実業高校のエース・定岡正二。
初戦となった2回戦の佼成学園戦、続く3回戦の高岡商業戦と、2試合連続で1対0の完封勝利。
さらに、184センチの長身と、甘いマスクで女性ファンも急増した。

その人気は、準々決勝の東海大相模戦で決定的なものとなる。
東海大相模は、優勝候補に挙げられ、原貢監督と
1年生ながら「5番・サード」に座っていた原辰徳の“親子鷹”が話題となっていた。
連続完封の定岡と、強打が売りの東海大相模。
注目の対決、先制したのは東海大相模。
一回裏、ツーアウト2、3塁で、打席には、原。
定岡が投げた外角低めのストレートをセンターに弾き返し、2点タイムリー。
2回表、すぐさま鹿児島実業が反撃に出る。
定岡自らツーベースヒットを放つなど、この回3得点で逆転。
その後は、両投手追加点を許さず、鹿児島実業の1点リードのまま9回裏を迎えた。
鹿児島実業の優勝まで、あとアウト3つ。
しかし、定岡は、先頭の原にこの試合3本目のヒットを許すと、ツーアウトからヒットを打たれ、原が生還。
3対3の同点となり、決着は延長戦へともつれ込んだ。
14回表、鹿児島実業が1点を勝ち越すが、その裏再び東海大相模が追いつき4対4。
迎えた15回表、鹿児島実業は、押し出しで1点をもぎ取ると、その裏、定岡が三者凡退に抑えゲームセット。
定岡は、15イニング、213球を投げぬき、鹿児島実業は、鹿児島県勢初の準決勝進出を果たした。
このまま勢いに乗るかと思われたが、定岡は、続く準決勝で3回にホームへヘッドスライディングをした際、キャッチャーと交錯して右手を負傷。マウンドを降りた。
チームは、サヨナラ負けを喫したが、実力とルックス、そして悲運の結末により、定岡の人気は、爆発。
大会前、ほとんど無名だった定岡正二は、夏甲子園で過ごした2週間で「国民的アイドル」となった。


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