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Legend Story
18.08.11
木内監督
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「高校野球史上、最強のチーム」はどこか?
その候補に必ず挙げられるのが桑田真澄と清原和博、超高校級の“KKコンビ”を擁したPL学園。
1年の夏から3年の夏まで5回連続で出場し、優勝2回、準優勝2回という桁外れの強さを示した。
そんなPL学園を甲子園の決勝で倒し、世間をあっと驚かせたチームがある。
茨城県の取手二高。監督は、後に名将と呼ばれる木内幸男。

木内が取手二高の監督に就任したのは1957年。
当時のチームは県内でも弱小だったが、木内は、限られた戦力でなんとか格上のチームを倒そうと試行錯誤。
カウント途中での代打やワンポイントでのリリーフなど、大胆な選手起用と型破りな采配をふるった。
そんな木内の独特の指導法は、1984年の夏の甲子園で花開く。

決勝の取手二高 対 PL学園。4対3、取手二高の1点リードで迎えた9回裏。
アウトをあと3つ取れば優勝というところで、PLの先頭バッターに痛恨の同点ホームランを浴びた。
マウンドのエース・石田は、これに動揺したのか、次のバッターにデドボールを与え、ノーアウト一塁。
球場は、一気に“逆転のPL”ムードに包まれた。
バッターは、左の3番、鈴木。ここで木内が動く。
左の柏葉をリリーフに送り、石田をライトの守備につかせた。
送りバント失敗で、1アウト1塁になると、木内は、ライトの石田を再びマウンドへ。
石田は、4番・清原を三振、5番桑田をサードゴロに打ち取り、勝負は延長戦へもつれ込んだ。
10回、取手二高は、3ランホームランなどで一挙4点を挙げ、8対4で勝利。
監督就任から27年目で、ついに全国制覇を成し遂げた。
その翌年、木内は常総学院の監督に就任。
2001年の選抜で優勝、2003年夏の甲子園・決勝では、東北高校のダルビッシュを小細工無しの真っ向勝負で打ち崩し、4対2で勝利。
深紅の大優勝旗を持ち帰った。
木内幸男は、「木内マジック」で高校野球ファンを魅了し、高校野球界屈指の名将となった。

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