• mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
  • TOKYO FM
  • TOYOTA
Home>Legend Story
Legend Story
18.07.21
荒木大輔
null

1980年の夏、甲子園のマウンドに立った、1年生エースが、一大旋風を巻き起こした。
早稲田実業の背番号「11」、荒木大輔。
    
一回戦の大阪代表・北陽との試合が荒木の人生を大きく変えた。
北陽は、地方予選のチーム打率が3割7分4厘。
この大会の、甲子園出場校のなかで最も高く、強打がウリのチーム。
ノーマークの1年生エースと、激戦区を勝ち抜いてきた強豪校、大方の予想は北陽の勝利だった。
しかし、荒木は、北陽打線につけ入る隙を与えず、スコアボードは、ゼロ行進。
ストレートは130キロ後半と特別速くはなかったが、ナチュラルにシュート回転していたボールはバットの芯を微妙にずらし、凡打の山を築いた。
5回まではノーヒットノーラン。
結局、許したヒットは内野安打1本のみで6対0で完封勝利。
1年生らしからぬ落ち着いたマウンドさばきと甘いマスク、1戦ごとにその注目度は高まり、早実の宿舎や選手を乗せたバスには、多くの女性ファンが押し寄せ、その様子は「大ちゃんフィーバー」と呼ばれた。

1年生エースとして準決勝まで5試合を投げ、4完封という快投ぶり。
決勝の相手は、エース・愛甲猛を擁する横浜高校。
1回裏、荒木はボークなどもあり、いきなり2失点、その後も立て直せず、3回5失点で途中降板。
チームも、4対6で敗れ、準優勝に終わったが、その活躍ぶりから一躍時の人となった。
高校3年の夏の甲子園では、準々決勝まで勝ち進み、徳島県の池田高校と対戦。
当時、超攻撃的で「やまびこ打線」と呼ばれた池田高校に打ち込まれ、早実は2対14で大敗。
これが荒木の甲子園最後の試合となった。

春夏合わせて5回出場した甲子園で、準優勝が1回、ベスト8が2回。
日本一には届かなかったが、荒木大輔は甲子園の歴史に一時代を築き、高校野球ファンの記憶に今もなお残っている。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!

7月21日(土)OA分の放送はこちら

Message

Circle of Friendsや藤木直人さん、高見侑里さんへのメッセージはこちらから。あなたのスポーツ体験と気分を盛り上げるためには欠かせないリクエスト曲をお待ちしています。