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Legend Story
15.09.12
高橋尚子

2000年9月24日、午前9時。
オーストラリア・シドニーは、曇り空の下、風がそよいでいた。

スタートラインに立つ53選手、号砲一発。
シドニーオリンピック女子マラソン、42・195キロのドラマが始まった。

その5時間前、午前4時に目覚めた高橋尚子。
彼女は、走りたくても走れない悔しさを強さに変え、ここまで辿り着いた。

オリンピックの前年に行われた世界選手権では、左足付け根外側のじん帯を故障、「どうしても出たい」と涙ながらに小出監督に直訴したが、監督は、首を縦に振らなかった。
「今回は諦めよう。その代わり、どんなことをしてでもオリンピックに連れて行ってやる。」
高橋は、こぼれ落ちる涙を何度も手で拭った。

世界選手権の2か月後にはハーフマラソンで転倒し、手首を骨折。
絶望的な状況から何度もはい上がって、高橋はシドニーの舞台に立った。

レースは、27キロ過ぎからルーマニアのシモンと一騎打ち。
そして、35キロ手前で高橋が仕掛けた。
父親と兄が声援を送る場所で、おもむろにサングラスを捨てると、ピッチを上げスパート。
粘り強いシモン選手もたまらず、じわじわと後退。

大歓声のオリンピックスタジアムに、トップで姿を現したのは高橋。
最後の直線で二度後ろを振り返り、シモンとの差を確認。
残る力を振り絞り、栄光のフィニッシュ!
両手を天に突き上げながら、ゴールテープを切った。
 
2時間23分14秒のオリンピック新記録で、日本女子として陸上で初めての金メダルを獲得。

ゴール後、監督から「よくやった」と声を掛けられた瞬間、高橋の瞳から大粒の涙がこぼれた。

幼い頃からかけっこが大好きだった女の子と40年以上、走ることにこだわり続けてきた“おやじ”が掴んだ、オリンピックでの金メダル。

「すごく楽しい42キロでした」。
高橋尚子の笑顔がシドニーで輝いた。

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Circle of Friendsや藤木直人さん、高見侑里さんへのメッセージはこちらから。あなたのスポーツ体験と気分を盛り上げるためには欠かせないリクエスト曲をお待ちしています。