今週の「Athlete News」は、南スーダンの選手たちを通訳ボランティアとして支えてきた松村文雄さんをゲストにお迎えしました。
松村文雄さんは、1948 年、群馬県前橋市生まれ。
大学卒業後、社会人10年目で休職し、JICA青年海外協力隊に参加。
ケニアで建築家として学校、病院などの設計、施工指導を行われました。
その後も、JICA シニアボランティアとしてケニア、ガーナ、セネガルなどに派遣。
東京オリンピック、パラリンピックでは、前橋市で1年9か月に及ぶ合宿を続ける南スーダンの選手たちを、通訳ボランティアとしてサポートされました。
──東京オリンピック、パラリンピックは、松村さんとって特別なものになったんじゃないですか?
そうですね。選手だけでなく、市の職員やコーチなど色々な関係者との交流で、たくさんのことを学びました。そしてやはり、人種や地域、そして貧富の差などの違いを感じないで選手と密に付き合えたということをすごく幸せに思ってます。
──南スーダンの選手は、かなり早い時点で日本にいらしてたわけですよね。
はい。一昨年(2019年)の11月に来ていました。
──そこから世界中がコロナ禍に巻き込まれてしまって、東京オリンピック、パラリンピックも1年延期ということで、思わぬ長期間に渡って、ずっと関わりがあったわけですよね。
当初の9ヶ月ぐらい(の滞在)であれば、ここまで親密な関係になってなかったと思うんですね。逆に、コロナ禍で延長したことによって、もっと家族のようになれたという気がしております。
──早く来日したというのは、何か理由があったわけですか?
まず、南スーダンには普通のトラックのような練習場がなく、彼らは土の上で練習をしているような状況でした。裸足で走っていたり、靴を履いてる人も半分ぐらい、という状況ですね。
──だから、いち早く環境の良い日本に来てもらって、オリンピック、パラリンピックに向けて準備してもらおうということですね。
そういうことですね。(選手団の受け入れについては)まずJICAの方へ話が行きまして、JICAの方から(受け入れ先の)前橋市の方へ打診があって、すぐに「welcome!」ということになったわけです。
──選手のみなさんとっては、日本の文化って親しみがないでしょうし、最初はそういうギャップみたいなものもあったんじゃないですか?
まずすごくびっくりしたのは、(南スーダンの選手は)運動で言えば「スキップ」ができないんですよ。
──えっ! オリンピック選手ですよね!?
我々の国には運動会がありますよね。体育の授業がありますよね。でも、世界で体育の授業がある国って、そんなにないんです。
幼稚園や学校でも、勉強というのは「書く」とか「読む」とかだけで、体育とか音楽というものがないんです。
──ちなみに、松村さんは、(選手たちと)お話をする時は、何語をお話をされているんですか?
英語が90%以上です。ただ、「出かけるよ」とか「来い」とか「ご苦労さん」とか「ありがとう」とか、そういった言葉は、アラビア語だったりスワヒリ語だったりします。
──選手たちは、日本への滞在が長くなって当然ホームシックになっただろうし、そこで言葉が理解してもらえる、さらに馴染みのある言葉を松村さんからかけてもらえるっていうのは、相当心強かったんじゃないですか?
そういう点では、やっぱり(なるべく)アラビア語とかスワヒリ語で声をかけてあげる。英語だけだと、お互いに一生懸命英語で喋ろうとしている部分があるので、距離が縮まらない時もあるので。
──やっぱり陸上競技ということで、専門用語みたいなものも出てくる?
その通りです。僕自身は、スポーツについて専門的には勉強をしていないんです。スポーツ用語だけではなくて、練習とか道具の用語とか、また体調の管理(についての通訳)もやらなきゃいけないんですね。ものすごく難儀しましてね。次の言葉がコーチから出てくる前になんとか喋ろうとしますから、もう体を使って「ここ」とか「あそこ」とか(笑)。特に「サッと走れ」とか「注意して流すんだ」とか、こういう言葉を英語で説明するのにスッと(直訳が)出てこなかったりするので、(そういう時は)「何パーセントでの力で走る」とか、「注意してゆっくり走れ」「風のように走れ」とか、そんな感じで通訳していましたね。
──ジェスチャーは世界共通ですけれども…。
本当に、“彼らが何がわからないのかを理解する”ことが先でしたね。先ほどのスキップも同じですし。
──そのスキップは、選手のみなさんはできるようになったんですか?
もちろん、なりました!
──運動能力は高いですからね。
そうなんです。だから、ウォームアップの時に何度も何度も繰り返しやると、1週間とは言わないですけど、10日〜2週間ぐらいでできるようになります。また、コーチの方々が指導して行うウォームアップ、クールダウンも真似できるようになって、帰国までには(ウォームアップやクールダウンの方法を)身につけていましたね。
──そういうトレーニング方法などを身につけて持ち帰って、南スーダンやアフリカのいろんな所で(技術が)底上げされていってほしいですよね。
その通りですね。やはり戻った時に、指導者として(技術を伝えてほしい)。また、(南スーダンは)部族間の紛争がまだ絶えていないんです。この紛争を止める垣根を低くするには、やっぱり共通のスポーツ。「オリンピックに出た」とか、「一番になった」という人はすごくリスペクトされますので、そういった意味で、スポーツが、その部族の中の、また国同士の垣根を低くすることができる。そういう点においては、JICAや私が同じ気持ちであったことで、こういうことができたと思っています。
──1年9ヶ月という長い期間に及ぶ合宿を続けてきた、南スーダンの選手たち。松村さんとっては、どのような存在になりましたか?
年齢的に考えたら、「子供」というよりも「孫」なんですね。ただ、孫でありながら、やはり…そうですね、やっぱりお友達の孫ぐらいですかね(笑)。
僕がケニアに(シニアボランティアで)滞在した時には、現地の人たちの親身な支援があって、向こうで活動ができたわけですね。(オリンピック・パラリンピックでの通訳ボランティアは)その恩返しと思っていましたので、家族のような付き合いをしていこうということで、上手く絆が作れたかなと思っております。そして、来た時よりも成長して帰国できたかなと思っております。
──やっぱり、助け合いというのは大切なことですよね。
これからも、前橋市では選手を受け入れていくわけですよね?
はい。10月からと思っていたんですが、今、コロナのこともありまして、人の移動が難しいということを聞いております。なので、来年ぐらいから年に2人(受け入れる)ということを聞いておりますが、詳細はまだわかりませんけれども、「パリ・オリンピックまでの間は受け入れよう」と聞いております。その時はまた、私もボランティアをやりたいなと思っています。
──さて、この番組ではゲストの方にcheer up songを伺っています。松村さんの心の支えになってる曲を教えてください。
Harry Belafonte & Miriam Makebaの「マライカ(My Angel)」です。「マライカ」は、ケニア・タンザニアの言葉のスワヒリ語で、「天使」を意味します。この愛する天使に、若者が「お金がないので結婚できない」と言う、嘆きの歌です。
──これはやはり、アフリカの現状を歌った歌ということですか?
そうですね。やはり貧富の差はかなりありますし、アフリカ自体が、国によってはすごく栄えている所もありますけど、多くはなかなか生活しづらい所だと思います。
──アフリカの方の身体能力の高さから考えると、みんなが整った環境でトレーニングをしたら一体どれだけすごい選手が現れるんだろうと思いますよね。
そうですね。
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