今週の「Athlete News」は、先週に引き続き、元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんをゲストにお迎えしました。
刈屋富士雄(かりや・ふじお)さんは、1960年、静岡県生まれ。
早稲田大学を卒業後、1983年にNHKに入局。
スポーツアナウンサーとして、様々な競技の実況を担当され、オリンピックは、92年のバルセロナから2010年のバンクーバーまで8大会で現地から実況、熱戦を伝えられました。
アテネ大会の体操男子団体決勝での「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」という言葉は、スポーツ実況史上に残る名実況として人々の記憶に残っています。
去年、NHKを定年退職され、現在は、立飛ホールディングス執行役員スポーツプロデューサーを務めていらっしゃいます。
──8大会のオリンピックで実況を務められたわけですけれども、スポーツ実況で刈屋さんが大事にしてきたこととは何でしょうか?
やっぱり、“伝える”ということが一番だと思うんです。“喋る”ということではなくて、伝わるかどうか。例えば、面白い話を綺麗に話しても笑われないのに、つっかえつっかえでコメントがひっくり返っても、面白い時は面白いじゃないですか。
だから、“伝わる”ということがどういうことなのか、あるいはどうしたら伝わるのかということを日々考えてましたね。
──“流暢に話す”ことじゃないんですよね。“いかに伝わるか”というところなんですね。
そうなんです。だから、NHKに入って20年ぐらい経ってからはもう、“綺麗に伝えよう”とか“どういう風に思われたい”とかあまり考えなくなって(笑)。“伝えてやろう!”という気持ち、これが一番。
そのきっかけになったのは、フィギュアスケートの(エフゲニー・)プルシェンコという、羽生結弦選手も憧れていたレジェンドがいるんですけど、そのプルシェンコが(来日して)代々木で初めて東京のファンの前に登場した時に、僕が中継をしたんですよ。
ビデオなどでは何度も観ていたんですけど、初めて生中継した時に改めて“すごいな!”と思ったんです。スピードといい、音楽表現といい、ジャンプのキレといい、緩急といい。“これまで観ていたものと別次元だな”と思いながら中継をしていて、その別次元のすごさを伝えたかったんですが…。
フィギュアスケートの場合、フィニッシュの時など、テレビを観ている人にコメントが伝わる瞬間があるんです。パッと(動きが)止まった瞬間。それで“(プルシェンコの演技の)フィニッシュの瞬間に一言で何か表現してやろう”と思って、ずっと動きを追いながら“これ、どうやって表現しようかなぁ”と考えていたら、フィニッシュがパッときて、「ん〜〜〜! …プルシェンコ」って言っちゃったんです(笑)。
(一同爆笑)
言葉が降りてこなかったんです。浮かばなかったし、湧いてもこなかった。「ん〜〜〜!」って数秒粘ったんですが、「ん〜〜〜! …プルシェンコ」(笑)。
そうしたら、フィギュアのファンからけっこう褒められて。
──褒められたんですか!?
褒められたんです。なぜかと言うと、観ている人が勝手に同調してくれる。
──同じ気持ちで、「ん〜〜〜! …プルシェンコ」って思ったんですね(笑)。
それぞれが、例えば“すごいダンスね”と思った人もいれば、“すごいスピードね”と思った人も、“すごい技術ね”と思った人もいるし、そういうことを思っていた人たちがみんな、(最終的には)「そうよね。“プルシェンコ”」となる(笑)。
──みんなで共通するキーワードは“プルシェンコ”だったという(笑)。
そうなんです。だからそれ以来、“伝わる”ということが何よりも大事だなと思って。我々の仕事を考えてみたら、“伝わるかどうか”なんですよね。アナウンサーというのは、特にスポーツアナウンサーは、伝わるかどうか。
「私はちゃんと説明しました」「私はちゃんと言うことは言いました」「ちゃんとコメントしました」って言っても、「伝わらないじゃん! この人は何を言いたかったの?」って言われたら、その時点で“伝えてない”んです。喋り手なのかもしれないけれど、一番の役割は“伝え手”なんですよね。そこで起こっていることをどう伝えるか。そこで恥をかこうが、“コイツは未熟者”と思われようが、未熟でも伝わった方がいいんです。“その(伝わる)為にはどうするか”ということを考えて、その後の20年間ずっとやってきたようなものですね。
だから、NHKのアナウンサーの中でも「邪道」と言われましたけどね(笑)。
──そして先週は名実況の誕生秘話について伺いまして、大変恐縮なんですが、刈屋さんに架空実況をお願いしたいということで。実際に画がない、行われていない競技でも、叩き台のようなものがあったら実況できるものなんですか?
そうですね。その叩き台みたいなものを元に、僕が勝手に映像を頭に浮かべて、そしてそこに実況をつける、みたいな感じで。
──では、お願いしてよろしいですか?
僕が思い浮かべた想像と同じようなものが目に浮かんでくるかどうか、みなさんも目を閉じて聴いてください。
(※ここからはぜひ
radikoのタイムフリーでお聴きください!)
『猛暑の札幌周回コース、激しいサバイバルレース。
残り500m、最後の直線に入りました!
38km地点でスパートした、日本の藤木直人が先頭で帰ってきました!
後続との差は80m、迫っている2人も日本の選手だ!
メダル独占の可能性が膨らんできた!
あの1972年…1972年と言うのは藤木直人が生まれた年であります! その年の札幌オリンピック、ジャンプで日の丸飛行隊が金銀銅表彰台を独占した夢が、再び札幌の地で見られそうだ!
残り300m、藤木直人さらにスピードを上げた! ピンクのシューズが軽快にリズムを刻んでいく!
残り200m、大通り公園の仮設スタンド! 満員の仮設スタンドがスタンディングオベーションで藤木を迎えます!
藤木直人サングラスを取った! 笑いました、笑った! 勝利を確信しました!
残り100m、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、思うような練習ができませんでした。その中でもドラマの撮影、舞台の稽古、ルービックキューブの練習と、地道に日々の努力を積み重ねてきました。その成果が今、大きく花開こうとしている!
残り2m、夢が叶う瞬間、藤木直人フィニッシュ、金メダル!!!
日本男子マラソン界、悲願の金メダルを獲得しました!』
──今の録音をのちのち僕の孫とかに聞かせて、「おじいちゃんオリンピックで金メダルを獲ったんだぞ!」って嘘をつきます(笑)。もう本当に土下座させていただきます! ありがとうございます!
いえいえ(笑)。
──いや〜、素晴らしいですね…!
高見侑里さんバージョンもいきますか?
──いいんですか!? 嬉しいです!
じゃあ、目を瞑って。
『有明の体育館、女子団体の最終演技者、日本の高見侑里が床に登場しました。
ここで最高難度の技、「180度開脚」に成功すれば、日本は逆転の金メダルを手にします!
過去「180度開脚」に成功した人は、世界で10億人。しかし、その年齢と宣言してから達成するまでの時間というのは、世界新記録! 逆転に向けて大きなポイントになります!
さあ、160度から入りました。スラリと伸びた脚が綺麗に開いていきます。
…170度。表情も芸術点で加点されていきます。
静かな表情からわずかに微笑みました。
土曜日の朝、めざましテレビで見せている表情というよりも、ミス立教を決めた時の表情に近いのか。
177度まできた。さあ、あと3度をどう魅せながら開くのか。
おっと、何かフランス語で呟いた! 幼い頃ベルギーに住んでいた、その頃の習慣が勝負どころで出てきたのか!?
179度、最後の1度! 最後の1度をゆっくりと開きました!
まさに日本の勝利の女神、高見侑里! 見事180度開脚に成功!
日本、大逆転の金メダルです!!!』
──(拍手)うわぁ〜! 嬉しいです、ありがとうございます!(笑)
さあそして、この番組では、毎回ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。今週も刈屋さんの心の支えになっている曲を教えて下さい。
トワ・エ・モワの、「虹と雪のバラード」。これは1972年の札幌オリンピックの時のテーマソングだったんですけれども、やっぱりあの時代は純粋にオリンピックへの憧れというものがあったんですよね。それがまさに歌で表現されていますので、ぜひ聴いていただきたいですね。
──今週もまたまた、無茶振りをお願いしてしまっても宜しいですか?(笑)
何を言おうかな(笑)。
オリンピックに大きな夢を抱いていた頃…その想いを歌にのせました。
トワ・エ・モワの、「虹と雪のバラード」。
今週のゲスト、刈屋富士雄さんのサイン色紙を1名様にプレゼントします!
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