今週の「Athlete News」は、元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんをゲストにお迎えしました。
刈屋富士雄(かりや・ふじお)さんは、1960年、静岡県生まれ。
早稲田大学を卒業後、1983年にNHKに入局。
スポーツアナウンサーとして、様々な競技の実況を担当され、オリンピックは、92年のバルセロナから2010年のバンクーバーまで8大会で現地から実況、熱戦を伝えられました。
アテネ大会の体操男子団体決勝での「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」という言葉は、スポーツ実況史上に残る名実況として人々の記憶に残っています。
去年、NHKを定年退職され、現在は、立飛ホールディングス執行役員スポーツプロデューサーを務めていらっしゃいます。
──早稲田大学時代は、バリバリの体育会系だったとか?
そうですね(笑)。ボート部だったんですよ。隅田川で“早慶レガッタ”も出てましたよ。
──大学時代の時に、“そのままアスリートとして…”とは思わなかったんですか?
思わなかったですね。やっぱり世界との差がかなり大きいということと、“スポーツの、特にオリンピックの報道をしたい”という夢をずっと持っていたんです。
小学校の時に観たメキシコオリンピック…その衝撃というのがかなりあって。1番衝撃を受けたのが、男子陸上の200mで金メダルと銅メダルを獲った、(トミー・)スミスと(ジョン・)カーロスという選手<※どちらもアメリカ>が、1番栄光を称えられるはずの、国家が流れて星条旗が揚る時に、(下を向いて)無視したんですよね。そして黒い手袋(をした握り拳を突き上げて)で抗議をしたんです。「人種差別に反対だ、無くそう」ということを世界にアピールしたんですよ。
“アメリカではもうそういう人種差別はなくなって、自由で平等だ”というようなことを、1960年代にアメリカはずっと外に向けて宣伝していたんですけれども、でも実際は、アメリカの国内ではまだ人種差別がひどかったと。それを黒人の選手たちが“世界に向けてアピールしよう”と言ってやってきて、そして金と銅を獲って、そして絶対にカットされない、国家が流れるところでやったんですよね。
もちろんオリンピックの政治利用というのは禁止されてますから、その後スポーツ界から追放されてしまうんですけれども、でもそれを観た時に、子供心ながら“オリンピックというのは、そこから世界が見えるし、時代が見えるし、追い込まれた人間の本質が見えるんだな”と思って、それで“オリンピックの報道をしたい”という夢が高校ぐらいの頃からもう固まって。
──夢だったオリンピックの実況を1番最初にした時は、感動だったんじゃないですか?
感動しましたね。1番最初は1992年のバルセロナオリンピックなんですが、でも、実況をしていて本当に“夢が叶ったな”と思ったのは2004年のアテネオリンピックで、体操の男子団体決勝で金メダルが決まる瞬間を「栄光への架け橋だ!」と実況した時ですね。放送が終わって、大きな体育館の天井をボケーっと見上げながら、“ああ、夢が叶ったな…”と思いました。
──その後日本に帰って来てから、あまりの反響の大きさに驚いたんじゃないですか?
驚きました。帰って来てすぐに受けた質問が、「いつ(実況のセリフを)考えたの?」という質問で。もう17年経ちますけど、ずっとその質問ばっかり。だから僕は何百回何千回とそれに答えてるんです。
──今日も聞こうと思ってたんですけれども(笑)。
(笑)。僕は、フレーズとか言葉っていうのは考えないんですよ。
──でも、「栄光の架橋」はNHKさんのアテネオリンピックの公式テーマソングだったわけですよね?
「だからそれを考えていたんじゃないか」って言われますけど、全然違うんですよ。確かに「栄光の架橋」はNHKのアテネオリンピックの応援ソングだったんですけれども、歌詞は“栄光を称える歌”ではなくて、“とんでもない挫折を味わってそこから復活していく歌”なんですよ。だから、体操の選手たちをずっと取材で追っていても、みんなやっぱりかなり苦しい目に合って、そこから復活してきてるんですよね。だから、あの歌詞と選手たちはダブるんですよ。そのダブった記憶というのが僕の中にあるんです。
それから、冨田(洋之)選手が鉄棒から降りるところを、僕は下から、首を右から左に振るような形で何度も見てたんです。それが“これは何か橋みたいだな”という記憶。そして予選が終わった後に、決勝で米田(功)、鹿島(丈博)、冨田で最後の演技者になると考えた時に、“もし銅メダルを獲った時には「復活」という言葉が使えるのかな”っていうのをずっと考えていて。「体操ニッポン」は、過去20年間ずっと王座だったんですよ。それを(モスクワオリンピックの)ボイコットによって失って、それが取り返せないでずっと来たという経緯がある。
体操関係者に「銅メダルだったら(復活と言えるか?)」と聞いたら、みんな「そんなの(銅メダル)では復活とは言えない」って言うし、でも他のスポーツ関係者は「2大会でメダルを失ってるわけで、しかも2大会前は惨敗を喫している。だから銅メダルは“復活”じゃないの?」ということで、これはもう1日悩んだんですよ。“勝ち判断”のラインをどこに引くかってことさえ決まれば、あとは取材してきた事とか現場の雰囲気とかで…僕は40代だったので、その頃は言葉が星のように降ってきましたよね。特に自分が10年ぐらい取材しているものは、次々と言葉が浮かんできていて。
そういうことが断片的にある中で、奇跡が3つ起きるんですよ。まず、絶対的に金メダル候補だった中国が脱落する。次に、最後の種目で競っていたルーマニアの鉄棒のエースが落下する。そしてアメリカの絶対的なエースが大きなミスをする…と。それらが重なって、最後の冨田のところで「8.962」という数字を見たんですよ。
──なるほど。それ以上の点数を出せばメダルだという。
その前の、鹿島の前の時に、前の日に考えていた「復活」っていう言葉が浮かんできて。“これは冨田が降りる時にはもうメダルは間違いないから、「復活の架け橋」って言えるな”っていうのが頭に降ってきました。
そして最後の冨田の時の「8.962」という数字を見た時に、“勝った!”と思って(笑)。
──“金メダルいくぞ!”と。
“これは、演技の途中で決まる”と。当時は、加点していってそこからの減点なので、もし9.8まで加点して降りれば、着地で大失敗しても9.1か9.2なんですよ。だから8.962は超えるので、“これはもう、コールマンをとった時点で金だ!”と。一応、マイクを切って小西(裕之)さんに「これをとったら金ですよね?」って聞いたら、小西さんが「そうそうそう!」って(笑)。
だから、“「栄光への架け橋」にしよう”と思ったのは、「8.962」という数字を見た時です。そしてコールマンが決まったら絶対に言おうと。
ですから、「日本のみなさん、金メダルを獲りましたよ!」という、そういう想いであのタイミングで言ったんですよ。「点数が出ていないのに何を言ってるんだ!」って人たちもいっぱいいましたけど、でも計算上ではあそこで金は確実なんですよね。だからあえてああいう風に言ったので、点数が出ないとわからなかったり、あるいは点差が「9.2」だったら言ってないです。
──それこそ、用意していた言葉だったらハマらなかった状況ですよね。
ハマらないと思いますね。1つ1つの選手の動きで、会場の空気が動くんですよ。それぐらい濃密な中で、やっぱりその瞬間瞬間の言葉じゃないと、無理ですね。あてはまらない。だから、点数が出た後に言える言葉はあてはまるんですよ。“金だったらこういうことを言おう”と。
だから僕は、「体操ニッポン、日はまた昇りました」という言葉だけ用意してたんです。
──そうやって事前に用意している言葉もある。
用意することはあまりないんですけれども、なぜこれは用意していたのかと言うと、(アテネオリンピックの)8年前、アトランタで惨敗した時に、旧ソビエトのコーチが、僕の日本のメディアというIDを見て、「体操ニッポンの日は完全に沈んだ」って言ったんですよ。
──わざわざ!?
わざわざ! 僕の前を通り過ぎて行く時に。それ以来、“もし日本が金メダルを取り戻す時には「体操ニッポン、日はまた昇りました」と言おう”と思って。8年間(笑)。
──(笑)。ずっと心の中に秘めて。
温めてたんです(笑)。だから、それだけは付箋に書いて忘れないようにしていました。
でもあれは、冨田選手が着地をピタッと止めてくれてくれたから伝わった言葉で。あそこでもし着地で乱れていたら、多分、僕が言ったコメントは誰も聞いてないと思います。テレビとかラジオで“伝わる”っていうのは、そういうことだと思うんですよね。タイミングです。
──本当に大変なご苦労があったわけですね。
さあそして、この番組では、毎回ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。刈屋さんの心の支えになっている曲を教えて下さい。
やっぱり、ゆずの「栄光の架橋」ですね(笑)。
──(笑)。ゆずさんには、その後お会いしてその話をする機会というのはあったんですか?
何度かありました。最初はやっぱり「僕たちの歌が影響してますよね?」って言われて(笑)。「それはもちろんですよ!」と(笑)。
──カラオケに行ったら“「栄光の架橋」を歌ってよ”みたいな、そういう振りはないんですか?
ありますけど、僕は歌わないですね。やっぱり(キーが)高いところは出づらいので、高いキーが得意な人に歌ってもらいます(笑)。僕は前振りを付けるぐらいですね。
──前振り!? これはイントロを流しながら、曲振りをお願いしてもいいですか?
いいですよ(笑)。
──それでは、曲紹介をお願いします!
オリンピックは、平和への架け橋。そして、歌は心の架け橋。
ゆずの2人は路上ライブからスタートしまして、みなさんの心にダイレクトに語りかけていきます。
ゆずの「栄光の架橋」。
──いきなり無茶振りでお願いしたんですけれども、素晴らしいですね…! プロの言葉ってこういうことなんだなと。来週も宜しくお願いします!
今週のゲスト、刈屋富士雄さんのサイン色紙を1名様にプレゼントします!
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