今週の「Athlete News」は、先週に引き続き、元ヤクルトスワローズで、今シーズン限りで現役を引退された、五十嵐亮太(いがらし・りょうた)さんをゲストにお迎えしました。
五十嵐亮太さんは、1979年、北海道生まれ。
千葉県の敬愛学園高校から、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
最速158キロの速球を武器に中継ぎ、抑えとして大活躍し、2004年には、最優秀救援投手に輝きました。
2010年に海を渡り、メジャーリーグ、ニューヨーク・メッツ入りし、ブルージェイズ、ヤンキースなどでプレー。
2013年からソフトバンクで日本球界に復帰、去年、古巣ヤクルトに移籍され、今シーズン限りで現役を引退。
日米通算906試合、その全てがリリーフ登板で、23年間を走り抜かれました。
──五十嵐さんと言えば“甘いルックス”で、デビュー当時は「木村拓哉さん似」と話題になりましたけれども。
めちゃめちゃ笑ってないですか? めちゃめちゃ笑ってるじゃないですか!(笑)
──いえいえ、逆に思ってましたもん。学生時代からもう「似てるよね?」みたいに言われてました?
これ、「似てる」って言うと“五十嵐何言ってんだ”ってなっちゃうからちょっと恥ずかしくて言えないんですけど、中学校の時に1回あったんですよ。クラスの女の子に言われたんですよ。で、ちょっと調子に乗ってますよね。なんか「今、こうやって言われるから恥ずかしい」とか言いながらも、写真見たらちょっと寄せてますからね(笑)。寄せにいってます、確実に(笑)。
──奥様とお出かけをされている時に言われたことがあるとか?
スーパーで一緒にお買い物をしている時に、スーパーって、よく試食をさせてくれるコーナーがあるじゃないですか。あそこの人がバーって食べ物を持ってきて、パッと僕を見て奥さんを見た時に、「工藤静香じゃない!」って言ったんですよ(笑)。まあ、ありがたいですよね。
──さあ、そして23年間のプロ野球生活、どうでしたか?
良い時間でしたよね。もちろん良いことばかりじゃなくて、そうじゃない時間の方が長かったような気がするんですけど、それが今の僕の人生観などに役立ってくれていると思うので、野球を通じていろんなことを感じることができましたし、面白い野球人生だったなと思います。
──23年間の現役生活で“忘れられない対決”はありますか?
やっぱり松井(秀喜)さんの50号の時(2002年10月10日 対巨人戦)が、勝負をしていて非常に楽しませてもらいました。それも僕の中で、“(松井さんが)アメリカに行っちゃうんじゃないか、これが最後の対決になるんじゃないか”っていうのがあって。松井さんももちろん(シーズン)50号がかかってたんですけれども、それよりも僕自身が、“やっぱり最後、真っ直ぐで三振を取って終わりたいな”っていう気持ちが強くて。
──全部ストレートで勝負していった?
そうなんですよ。まあ、結果的にホームランに終わったんですけれども、非常に印象に残る良い勝負をさせてもらったなという気持ちが強いです。
──アメリカではマイナー生活も経験されました。よく、(マイナーリーグの食事は)“ハンバーガーが並べてあって…”みたいな、そういう環境だと聞くんですけれども。
ハンバーガーは良い方ですよ。バナナ1本あるかないかとか、パンも、大きい食パンがあってその上にピーナツバターとかをつけて食べるんですけど、そのパンすらも若い子がどんどん食べちゃうから、もうなかったりして。だから、僕は近くのテイクアウトできる所で買って…っていう感じでしたね。
マイナー生活で一番辛かったのは、家族はニューヨークに住んでいて、そのニューヨーク(州)もけっこう広いんですよ。僕がバッファロー(NY州北西部の都市)っていう、ナイアガラの滝がすごく近い、カナダとの国の境目ぐらいの所のマイナーでやっている時に、たまたま自分の家を通り過ぎてボストンの方まで移動することがあったんです。もう1ヶ月とか2ヶ月会えなくて、自分の家が近いフリーウェイのEXIT(出口)を見た時に、その横を通り過ぎた時に、泣きたくなりましたね。“ここに僕の家があるのに! それを通り過ぎてボストンまで上がって行かなきゃいけないんだ”っていう、あの辛さはね…。本当にこのまま飛び降りて家に帰ろうかと思いましたよ(笑)。子供も小さかったですし、こんなに会えない、辛い思いしてまで、ましてやマイナーでやるなんて…っていう自分への悔しさと、家が近いのに(高速道路を)下りれない、会えないという辛さがありました。
──そして五十嵐さんは絵もお上手とか。
上手というか、好きでやっていることで。それこそアメリカにいる時に、日本だと外にご飯を食べに行って…とか時間をつぶすことができるんですけど、アメリカではなかなかそういう時間がなくて。それで、部屋に帰って1人でお酒を呑みながら絵を描いたりとか。オフの間も僕は日本に帰らないでずっとアメリカにいたので、クレヨンを使って絵を描いたりしてました。
──ゴッホの自画像の絵が、本当にクオリティが高すぎて! 驚きました。
ありがとうございます。でも、1週間ぐらい時間がかかったのかな。楽しかったです。
──アメリカに行ってから絵を描くことを始めたんですか? それともその前から絵はお上手だったんですか?
絵を描くのはもともと好きだったんですよ。でも、自分で描くことってそんなになかったですね。シーズン中に、お酒を飲みながら、自分の呑んでるグラスをホテルにあるメモにボールペンで描いたりとか。その紙を持って帰って“こんな絵を描いて、俺、寂しかったんだな”みたいに振り返ったり(笑)。家族と離れて寂しいんですから、ほんと!
──さあ、この番組では、毎回ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。今週も五十嵐さんの心の支えになっている曲を教えて下さい。
Prince Royceの「El Amor Que Perdimos」という曲です。彼の歌っている声であったり、これはバチャータだと思うんですけど、このリズムが大好き。
これは、ウィンターリーグでドミニカに参加した時に、もちろん球場でもかかってましたし、選手同士で外に呑みに行った時に、クラブとかでドミニカの女性にダンスを教えてもらったんですけど、その時にかかっていたこういうリズムなんかがすごく思い出に残っていて。それからこういうジャンルの音楽を聴くようになりました。
──ラテンな音楽を、現地で、本場で聴くっていうのはすごく良い経験ですね。
良かったです。でもやっぱり、日本ってあんまりダンスをする文化がないじゃないですか。僕は現地の人に色々教えてもらったんですけど、まあ下手くそなんですよ。ステップもそうですし、腰のウネウネする柔らかさとか。だから、(ヤクルトの)チームメイトにもベネズエラ出身の選手とかもいるので、彼らに「(ラテンのダンスを)思い出したいから教えろ!」って言って。ホームパーティの時とかにも、彼らが遊びに来てうちの娘と踊ってくれたり。
──めちゃめちゃ楽しいじゃないですか!
楽しいです。彼らは小さい頃からダンスをやってるから、身体の使い方が上手いんですよ。僕は(ダンスが)“野球に活かされてるなぁ”と思ったこともあって。彼らは股関節の柔らかさとかタイミングの取り方とか独特のものがあって、“これはダンスからきてるんじゃないか”って思ったことがあります。
──考え方とか教え方もあるんでしょうね。バッティングなども、日本では理想のフォームとかを教え込むけど、それこそメジャーリーグだと“こんなフォームで打つのか!”みたいな。
本当におっしゃる通り。だから僕が行った時に、“こんな投げ方でも大丈夫なんだ!”とか“こんな打ち方でもこんなにできるんだ”とか、自分の中での“当たり前”の幅が極端に広がりましたよ。
日本の場合だと、正しいフォームというかその時代の一流プレイヤーに近づけようとする傾向があるんだけど、(海外では)そうじゃなくて。個人の持った能力、長所をどれだけ伸ばすかっていうところを考えたら、中心に寄せるよりは、もちろん極端に下手くそな選手もいるんですけど、極端に出てくる選手もいるから、すごく面白いなと思いましたね。
──これから、やはり指導者としての道というのも考えていらっしゃる?
こればかりは、チームが必要としてくれなければ。
でも、魅力的な仕事だと思います。やっぱりコーチの話を聞いていても、「若い選手が一軍に行った時はすごく嬉しい」という話をよく聞くので、やっぱり自分が見ていた選手が活躍するのを見た時というのは本当に幸せなのかなと思いますね。
──ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
改めまして、本当に23年間応援いただきありがとうございました。ここから僕も新たな夢に向かって明るく元気にやっていきたいと思いますので、これからも応援宜しくお願いします。
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