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Athelete News
20.12.12
“最後のマウンド”の舞台裏
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今週の「Athlete News」は、元ヤクルトスワローズで、今シーズン限りで現役を引退された、五十嵐亮太(いがらし・りょうた)さんをゲストにお迎えしました。

五十嵐亮太さんは、1979年、北海道生まれ。
千葉県の敬愛学園高校から、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
最速158キロの速球を武器に中継ぎ、抑えとして大活躍し、2004年には、最優秀救援投手に輝きました。
2010年に海を渡り、メジャーリーグ、ニューヨーク・メッツ入りし、ブルージェイズ、ヤンキースなどでプレー。
2013年からソフトバンクで日本球界に復帰、去年、古巣ヤクルトに移籍され、今シーズン限りで現役を引退。
日米通算906試合、その全てがリリーフ登板で、23年間を走り抜かれました。



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──まずは23年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。引退を決断されたのはいつ頃だったんですか?

シーズンが始まる前から、妻には「今年結果が出せなかったら辞めるつもりでいるから」ということは伝えていて。はっきり決めたのは8月ぐらいですかね。

──奥様は何か仰っていたんですか?

最初は、何回かに分けて…というか、「そろそろ(引退の意思を)球団に伝えようかな」というところから(妻への説得を)始めたんですけど、最初はやっぱり否定的でしたね。「もうちょっと続けられるんじゃない?」という感じが2、3回続いて、でも、なかなか二軍でも結果が出せない時間が続いたので、やっぱり球団に言わないと良くないかなってこともあって、「伝えたい」という話をした時には受け入れてくれましたね。

──奥様以外に相談された方はいらっしゃるんですか?

先輩の古田敦也さんには連絡しましたね。

──それは引退を決断されてからですか?

決断してからです。「今シーズンで辞めることになりました」ということを伝えて。“ここまでやり切った”というのもあるので、古田さんも比較的あっさりと、「そうか。お疲れ!」みたいな感じで(笑)。「じゃあ次、どこかでご飯行こうか」みたいな。それで「仕事何するの?」「まだ決まってないです」というところから、“次の仕事をどうするべきか”という話もけっこうスムーズに進んでいって、それもすごく感謝してますね。

──古田さんは現役時代もすごかったですけれども、今でも色んな面で活躍されてますからね。

そうですね。こういう先輩が近くにいて良かったと思います(笑)。

──復活の道を模索して、サイドスローに挑戦されていた時期もあったんですか?

本当に、最後の最後の悪あがきですよね。妻にも3回か4回に分けて(引退したいと)話していたんですけど、妻もなかなか諦めてくれないので、「もし、最後、サイドスローでうまくいったら頑張るから。もしこれでダメだったら諦めよう」ということで、(サイドスローに)挑戦しました。

──奥様が“辞めてほしくない”という想いが強かったんですね。

強かったと思います。僕から野球を取ったら何もなくなると思ったんじゃないですか?(笑)
でも、お付き合いをしている時から野球選手で、結婚してからもそれがずっと続いて、結果20年以上(野球選手の自分と一緒にいた)なので、それ以外の僕を知らないと言えば知らないじゃないですか。そういう“怖さ”みたいなものもあったんじゃないのかなと思います。

──それで、サイドスローを投げてみた?

自分自身もそうだし、“妻も納得できるところはどこなんだろう?”というところもあって。

──それまで、遊びでサイドスローを投げてみたことはあったんですか?

たまにありました。(サイドスローでいけそうだという)感覚は自分ではあったんですよ。野球選手は(ピッチャー)プレートの所の決まった幅から投げるんですけど、どこから投げてもいんですよ。だから、角度を付けるために三塁側の端っこに立って、サイドスローで左足もクロスしながら投げれば、ものすごい角度が付くじゃないですか。そういったところも試しながら色々やっていました。

──手応えは?

手応えは“見事に無かった”というか、恥ずかしかったですね。自分で投げてる時というのは、変化球も含めてすごくイメージしたボールがいっている感覚だったんです。でもやっぱりバッターと対戦した時に結果が出なかったというのと、その日の試合が終わって、夜に自分の投げている映像を見た時に、ちょっと愕然としましたね。“これは無理だ”と思って。それで“ちょっと無理だな”ということで、次の日ぐらいに、球団の人には「ここまでやったけれどダメでした」ということを伝えました。

──そして10月25日の最後の試合、かつて共に戦った高津(臣吾)監督、そして石井弘寿コーチに見守られてのマウンド。いかがでしたか?

野球選手って、遠征先に行くとホテルに泊まって、ホテルにご飯が用意されているんですけど、別に外出して選手同士でご飯を食べに行ったりするのも大丈夫なんですね。僕は毎晩、高津さんと石井さんと食べに行ってました。そのくらい野球以外のところでも一緒に時間を過ごしていた先輩なので、そんな2人がコーチ・監督をやっているのはまだちょっと違和感はありましたよね。
だから、立場としても監督であったりコーチっていう立場なんですけど、どこか“お世話になった先輩”というか“お兄さん”的な感覚がずっと残っていて、引退試合の最後、投げ終わって高津さんが来た時に“なんでここに高津さんがいるんだろう?”ってちょっと思いました(笑)。

──そこは感激はないんですか?(笑) チームメイトの中でもより仲の良かった人に見守られながら…。

色々感慨深いシーンは過去にいくつかあったんですけど、言われてみれば確かに、一軍のマウンドで監督と話したのは、あれが最初で最後なんですよね。そのシーンというのは覚えていて、かけられた言葉とかもハッキリ覚えているんですけど。

──何て言葉をかけられたんですか?

「お疲れ様」と。「今まで野球楽しかったでしょ?」と言われて、「はい、楽しかったです」と答えたら「これからもっと楽しいから」と言われた時に、“ああ、そうなのか”と。高津監督も、選手を引退された後も色んなことをされて、独立リーグの監督もされましたし、ヤクルトでコーチもされて二軍監督もされて…という方なので、そういった経験をお持ちの方の言葉というのは、ちょっと重かったですね。“これから楽しめるんだ!”と思ってちょっとそこでウキウキしちゃったから、もう引退試合で泣くわけがない!

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──(引退試合での)笑顔がすごく印象的でしたね。
そして、最大の武器と言えばストレートの速球ですけれども、やはりスピードへのこだわりというのはあったんですか?


ありましたね。やっぱり、速いピッチャーへの憧れというのは、小さい頃からあったと思います。昔のファミコンの(野球の)ゲームをやりながら、使っているピッチャーがやっぱり球が速いピッチャーだったんです。多分、“こういうピッチャーになりたいな”というのが、どこかにあったのかなと思います。

──中学までは一塁を守っていらっしゃったとか。

そうなんですよ。その時のピッチャーがすごいピッチャーだったんです。僕は肩だけ強かったんですけど、なんでファーストだったのかな? なんなら外野の方が肩の強さを活かせると思ったんですけど、その時はその時で外野にも良い選手が揃っていて。

──それは(ピッチャーに転向したのは)何か転機があったんですか?

それは高校に入ってからですね。高校の監督がピッチャーをやっていて甲子園に出ている人で、多分、僕が強肩ということでピッチャーにさせてくれて。もちろん、ピッチャーに必要な要素が(自分に)あったということを何となくわかってくれていたのかなと思うんですけど、そこからですね。

──五十嵐選手は“球速以上に球が速いな〜!”というイメージがありましたけれど。

やっぱり“空振りを取るためにはどうしたらいいのか”ということを考えていましたね。当時は150kmを超えるピッチャーもそんなに多くなかったんですよ。例えば、ストライクでカウントを稼ぐためにはファウルを狙ったり空振りを取ったりということをひたすら考えて、そこが活きるための変化球…という感じでやってきたので。こだわりというか、自分が抑えるために(速い球を投げるということは)最短ルートかなというのはありましたね(笑)。

──当時は“最速”(158km/h)ですから。

“当時1番”というのは、いまだにこうして言ってもらえるのは本当にありがたいですよね。もちろん1番を狙ってきたんですけど、でも、それでもやっぱり160kmの壁は高かったですね。

──さあ、この番組では、毎回ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。五十嵐さんの心の支えになっている曲を教えて下さい。

Mr.Childrenさんの「足音 ~Be Strong」とう曲です。
Mr.Childrenが家族で大好きで、コンサートも2日連続で行ったりとかもしていたんですよ。

──ミスチルさんは本当に素敵な歌、ヒット曲が数え切れないほどありますけれども、その中でもこの曲を選ばれた理由は何ですか?

何だろう…試合で勝った後とかに、この曲を球場とかでもよく流していたんですよ。そういう良いイメージもありますし、この(曲が主題歌の)ドラマ(信長協奏曲:フジテレビ系列)にも藤木さんは出演されてましたよね?

──途中からですけれど。

観てました。僕はドラマも好きで、映画ももちろん観に行きました。これ、気を遣って言ったわけじゃないですよ?(笑)

──嬉しいですね。それこそ五十嵐さんは海外、メジャーリーグでの生活もありましたけれども、そういう時こそ余計に日本語歌は聴かれたんじゃないですか?

やっぱり日本語の歌を聴いちゃいますよね。疲れている時にこの桜井さんの声を聴いて、歌詞を聴いて癒されて、ちょっと涙を流す時もあったんじゃないかと思いますし、すごく思い出深いですね。


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