今週の「Athlete News」は、車いすバスケットボール日本代表、香西宏昭(こうざい・ひろあき)選手をゲストにお迎えしました。
香西宏昭選手は、1988年生まれ、千葉県出身。
生まれつき両ひざから下がない香西選手は、12歳の時に体験会に参加したことをきっかけに車いすバスケと出会い、名門「千葉ホークス」で本格的にスタート、高校卒業後単身アメリカに渡り、2年半英語を勉強したのち、車いすバスケの名門・イリノイ大学に編入。
全米大学リーグのシーズンMVPを2年連続で受賞する活躍を見せ、またキャプテンとしてもチームを牽引。
2013年からは、プロとしてドイツのブンデスリーガでプレー。
東京大会で、4大会連続のパラリンピック出場を目指されています。
今回はリモートでお話を伺っていきました。
──新型コロナウイルスの影響で、今年は練習もままならない時間が長かったと思いますが、香西選手はどのように過ごされていましたか?
4月くらいから2ヶ月近く体育館が使えなかったので、ひたすら家で筋トレか、あるいは競技用の車いすに乗ってロードワーク、ちょっと走ったりして、どうにか身体(のコンディションを)を落とさないようにやってましたね。
──試合用の車いすでロードを走れるものなんですか?
走れます。ただ、タイヤが削れちゃったりとかはするんですけど、“もうそんなことは言ってられないな”と思って、“やるしかないな”という感じでやってましたね。
──バスケというと、戦術であったりチームワークが大切な要素じゃないかなと思うんですけれでも、そこでの練習が出来ないというのは、やっぱりもどかしいんじゃないですか?
そうですね。ただ、僕たちも軒並み大会がどんどんキャンセルになっているところなんですね。なので、なかなかクラブチームとしての目標を持つのも難しかったりして…。「あまり焦らずに」というように自分の中では思うようにしてるんですけど、やっぱり皆とチームワークやタイミングを合わせることとかも必要ですし、早く少しずついろんなことが落ち着いて、チームの皆で練習が出来ればいいなと思います。
──香西選手は、幼い頃、車いすバスケと出会う前から、球技が大好きだったんですか?
そうです、はい(笑)。
──それはどんな球技だったんですか?
小学校に入ってからは野球がすごく好きになって。僕は千葉の出身なので、ロッテの球場に行ったりとか、テレビでもよく野球をやっていたので、たくさん観て、友達とも遊んだりしてましたね。
──逆にその時期、バスケというのはどうだったんですか?
全然興味がなかったです(笑)。
──(笑)。では、香西選手は車いすバスケのどんなところに惹かれていったんですか?
何なんでしょうね…。最初は(車いすバスケットボールの)体験会に行ったりしたのがきっかけなんですけど、その時に乗ったバスケット競技用の車いすが、すごく簡単に速く動けたりクルクル回せたりして、それがまず楽しかったっていうのが大きかったですね。
──そして高校時代は日本選手権のMVPに2度輝きました。卒業してからアメリカへと渡ったわけですけれども、どのような思いがあったんですか?
僕が車いすバスケットボールを始めた1年目に、後々僕の恩師になる、マイク・フログリーという「車いすバスケットボール界で史上最高のコーチ」と言われている方がいらして、その方とお会いする機会があったんですね。これもバスケットボールの3日間のクリニックのようなものに参加したのがきっかけだったんですが、その当時マイクさんはイリノイ大学のコーチだったんですけど、マイクさんが13歳の僕に、「イリノイ大学に来ないか?」とか「アメリカには大学リーグがあったりするんだよ」とか色々教えてくださったりして。正直、その当時は“口のうまいおじさんだな”としか思えなかったんですが(笑)、中学高校と少しずつ年齢を重ねるにつれて連絡が増えてきて。
──定期的に、常に連絡をくださっていたんですか。
そうなんです。「中学卒業おめでとう」とか、高校に入ってからは「大学ではどんなことを勉強したいのかな?」とか、どんどん具体的な質問に変わっていって、“あ、本気だったんだな”って、ちょっとずつ思うようになって。
イリノイに行ったのは、やっぱり選手としても人間としても成長したい、その一心で行きました。ただ、めちゃくちゃ不安だったり怖かったりして、出発の日は空港でビィビィ泣いちゃったんですけど(笑)。
──今の香西選手の風貌からはちょっと想像がつかないんですけれども(笑)。でもそこからスタートして、結局そのイリノイ大学でキャプテンを務めてMVPも獲得。卒業された後、ドイツでプロの道を選ばれましたよね。
在学中から、もう既に僕の先輩選手とががヨーロッパで活躍しているのを、SNSとかで見る機会があったんですね。僕も自然に、“ヨーロッパに行ってもっともっとレベルアップすることが当たり前”みたいに思っていたところがあったんですね。結果的に、ハンブルグのチームにお世話になることになりました。
──そして今は帰国されて日本のチームに戻られていますが、これはやはり東京パラリンピックを見据えてのことなんですか?
そうですね。ドイツにいた間は代表合宿に参加出来ないことも多々あったので。それこそ、速い展開の中で細かい動きを合わせるのは何回も繰り返しやっていかないと合わなくなったりするので、帰国して(代表チームと)合わせる時間が増えているというのは良い方に向いているんじゃないかなと思います。
──オリンピックは1年延期になってしまいましたが、その時間をプラスに捉えて、チームワークを磨き上げる時間にしたいですよね。
まさにその通りだと思います。
──さあ、この番組では、毎回ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。香西選手の心の支えになっている曲を教えて下さい。
Mr.Childrenさんの「足音 ~Be Strong」とう曲です。
サビの“夢見てた未来は それほど離れちゃいない”という部分が、今の自分…もうちょっとで東京パラリンピックでメダルを獲れる所にいる僕たちを象徴しているような感じがして、すごく勇気をもらっています。
──確かに、“夢見てた未来は それほど離れちゃいない”と言われると、勇気づけられますよね。
そうですね。キツい練習も頑張ろうって思いますね(笑)。
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