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Athelete News
19.11.30
東京パラリンピックにかける想い
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今週の「Athlete News」は、パラ水泳界の第一人者!江島大佑選手をゲストにお迎えしました。

江島大佑選手は、1986年1月13日生まれ。現在33歳。京都府のご出身。
3歳で水泳を始め、オリンピック出場を夢見るも13歳の時に脳梗塞で倒れ、
左半身にまひが残ります。
テレビでシドニーパラリンピックを見て、パラ水泳の道に進むことを決意。
立命館大学進学後、2004年アテネ大会に出場、銀メダルを獲得。
2006年には50メートル背泳ぎで世界記録を樹立。
2008年北京、2012年ロンドンと3回のパラリンピックに出場。
13年以降は株式会社シグマクシスに所属して、競技に取り組んでいらっしゃいます。


──いよいよ、東京2020パラリンピックが、来年に迫りました!
現在の心境はいかがですか?


いよいよ来たなという感じです。特別な想いが強いですね。

──残念ながら、前回大会のリオパラリンピックは切符を手にしながらも、2ヶ月前に体調を崩し、出場果たせませんでした。
しかし、2018年のアジア大会100メートル背泳ぎ「S7」で金メダルを獲得。これは大きな金メダルだったんではないでしょうか


そうですね。内定していたんですけど、9月にリオパラリンピックの本番があったので、その前のゴールデンウィークあたりにかなり追い込みをしていた時期があって。
最後の追い込みで、いよいよ本番会場に行くという時に突然倒れてしまったんです。疲労などが重なったからだと思うんですけど、半年ぐらい休んだ時期があって、それからもう1回チャレンジしてみようという思いではいたのですが、やはり一抹の不安もあって。
本当に復帰できるのか、結果を残せるのかっていう不安があったんですけど、ベストに近いタイムで金メダルを取ることができました。

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──江島選手が選手としてこだわっていること、信念などはありますか?

一番は“楽しむ”っていうことですね。
障害を負って辛いこともあったんですけど、やっぱり泳ぐとやっぱり楽しいというか。本当に心の底から水泳が好きなんだなぁと思います。
今では結果結果ということになりがちなんですけど、それ以上に“楽しむ”っていうことを重きにおいて取り組んでます。

──東京2020パラリンピックで4回目の出場となりますが、目的や考え方などは変わってきましたか?

そうですね。アテネで初めてメダルを取ったんですけど、そのときはリレーでメダルを取ったんです。
初めてのパラリンピックの大会で銀メダルっていうのはすごく嬉しかったんですけど、当時の監督に「リレーは四人で取ったメダルだから、お前一人の力で取ったメダルじゃない。次の北京は、自分の力だけで取りなさい」って言われて、なるほどなと思いました。
それじゃあ次は個人種目で取りたいという思いに変わりましたね。

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──チーム力で勝ち取ったメダルというのもすごく価値があるものですけれどね。
江島選手は16歳で日本代表に選ばれましたが、その頃からパラ水泳界はどのような成長を遂げていますか?


僕が初めて日本代表に入ったときは、まだ左下半身麻痺の選手は誰一人いなくて。
目標とする選手が全くいなかったんですよ。世界には2、3人ぐらいいたんですけど、誰を目標にして練習すればいいのか分からなくて、ちょっと悩んでいた時期もありました。
だけど、それなら自分が先駆者というか、そういう風になるしかないなと思ったんです。
今までアテネ・北京・ロンドンとやってきましたけども、実際にパラ水泳界っていうのはずっと成長してきていて、もちろん自分も活躍してきたんですけど、実際に僕の泳ぎを見た同じ障害の選手たちが「僕も江島さんみたいにパラリンピック目指したい!」っていう想いで実際にパラの日本代表になってる選手もいます。
そんなとき、やっててよかったなと思いますね。僕がやっていなかったら次へ繋がってないなと思うので、そういう意味では成長したのかなと思います。

──そして、これまでの競技人生の中で大切な出来事があると伺ったんですけれども、それはなんでしょう?

高校に入ってからパラリンピックという道を目指し始めたんですけれども、前例がない中、果たして成功するのかどうか、意味があるのかどうか、あるいは全く意味のないことをしているのではないか、と考えたりして大丈夫なのかなと思っていたんですけど、
そのとき、コーチに「特別扱いはしない」と言われたんです。みんなと同じように練習させるし、みんなと同じように試合に出させると。
それが今の普通の生活に繋がってきているので、その言葉がなかったら自信をもって練習もできないですし、モヤモヤしていた気持ちがふっと晴れたきっかけになりました。

──特別扱いをされないということは、ご苦労もあったんじゃないですか?
普通のみんなと混じって試合に出る大変さもあったと思います。


そうですね。正直、最初はめちゃくちゃ嫌でした。
当然、他の子は速いじゃないですか。でも、自分は一生懸命泳いでも遅い。だけど、その理由を観客達は知らない。
「なんであの人あんなに遅いの? 変な泳ぎ方もしてる」って実際には言わないんですけど、目が訴えてるんです。
一度、高校のコーチに「もう嫌です。出たくありません」って言ったらダメだ、最後まで出ろって言われて気づいたんですけど、実際に選手たちは障害者だから遅いとは全然思っていなくて、自分自身で差別していたんです。

──そして番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。江島選手の心の支えになっている曲を教えて下さい

B'zの「ねがい」です。
B’zの曲は中学校から聴いていて全部好きなんですけど、何故これを選んだかっていうと、サビの一つ前の歌詞に「いつのまにかじゃない 自分で選んで歩いてきた この迷路」っていう歌詞があるんです。
その部分が自分の人生とそっくりなんです。僕の人生で言うとたまたま水泳をしていて、突然障害者になって、そこからパラリンピックというのを知って。
その瞬間からは自分で歩いてきた道じゃないですか。“いつのまにかじゃない 自分で選んで歩いてきた”っていうのは、まさに自分の人生と重なり合うなと思って選びました。

──来年に迫った東京2020パラリンピック、世界にとってどんな大会であってほしいですか?

私がパラリンピックを知ったきっかけは、テレビでシドニーパラリンピックの放送をやっていて、まだ当時は全然パラリンピックっていうのが認知されてなくて、一部のテレビでしか放送されてなかったんですけど、
そのときにパラリンピックの存在を知って、水泳はやっていたけれども障害を負って半ば諦めかけて腐りかけてたときでした。でも、この舞台に立てばもう一回輝けるかもと思った大会なので、やっぱりパラリンピックは特別な大会です。

来年の東京2020は、おそらく最後の大会になると思います。
自分が初めてパラリンピックを知ったおかげで今があると思うのでそこに感謝して、パラリンピックに僕が出ることで未来の子達、障害を持ってる子や、落ち込んでる人を元気づけられたらなと思います。


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