今週の「Athlete News」は、プロ野球 キャンプインタビュー第二弾! 広島東洋カープ 赤松真人選手です。
赤松真人選手は、現在36歳。京都市出身。
2004年、阪神タイガースに入団。2008年に広島東洋カープへ移籍後、高い走塁技術と守備力で、2016年、広島のリーグ優勝に貢献。
2016年12月に胃がんが発覚。半年間の抗がん剤治療を経て、2017年7月に練習復帰。
リハビリを重ね、2018年3月に実戦復帰を果たしました。
今シーズン、1軍復帰を目指しておられます。
病気をどのようにして乗り越え、今、どのような心境で野球を続けているのか、1軍復帰を目指す赤松選手の挑戦について伺いました。
──2016年、カープが3連覇への足がかりとなる優勝を果たした直後、オフに胃がんが見つかりました。その時はどうされたんですか?
言われた時は何の症状もなかったですから、別に“すぐ治るだろう”と思って、手術をしてみたら病理検査に回して、意外とちょっと悪かったので、抗がん剤をやらなければいけないと言われましたね。
──胃自体もかなり切除されたということですか?
半分を取りましたね。初見で先生が「これは半分は取ります」と、言われました。
──闘病しなきゃいけないということで、選手生命のことはどうお考えになりました?
病気が病気だったので、野球より生きることの方を優先しましたね。
抗がん剤の時も2種類先生から言われまして、野球をするにあたってちょっと痺れが残ると言われたんです。
──身体全身ですか?
手先ですね。もう一つの方は、ちょっと皮膚の色が黒くなるという副作用があるんですけど。
全部、今パーセントで教えてくれるんですよ、この抗がん剤をやれば、これだけの生存率があるとか。全部説明されるんですよ。
そのパーセントで生存率の高い方を選んだんですね。それが、手足にしびれが残る方で、先生は野球するならおすすめはできないかな、みたいな感じったんですけど。
──それでも、生存率を目の前で提示されたら、ご家族のこともありますし。
まずはしっかりとその病気を治すということを目標にしましたので、生存率の高い方を選びました。
──闘病の時は大変だったんじゃないですか?
僕は癌って言われた時より、抗がん剤をやらなきゃいけないって言われた時の方が辛かったんですよね。
──それはどうしてですか?
イメージだと思いますけど、抗がん剤はすごくしんどいってイメージがありますから。
手術自体は、切って治ってしまえば大丈夫かなっていう考えがあったので。抗がん剤っていうのは、長い月日もあるし、迷惑かけるし色々考えて嫌でしたね。
──辛い治療期間中、支えとなったのはご家族、奥様ですか?
そうですね、一番迷惑をかけましたね。1人では何もできないなと思いました。改めて妻がいてくれないと何もできないし、愚痴も聞いてくれないし、逆の立場だったら“俺できるかな?”っていろいろずっと考えましたし。
──そこまで支えてくださったわけですね
僕だけだったらいいんですけど、子供もいますし。僕が夜中、ちょっと戻しそうになってトイレに行くと、その都度起きてくれるので。
僕は寝れるだけ寝れるので、妻は子供のために早く起きなきゃいけないし本当にすごい苦労をかけました。
感謝しかないですね。
ちょっとトライしてみようかなというか、全てにおいて。去年は特に探りながら、“これ以上やったらどうなる? 倒れるんじゃないか?”とかあったのを、ちょっと頑張ってみようとか、常に挑戦して失敗してみようかなっていうのはありますね。