今週の「Athlete News」は、かつて石川県・星稜高校の野球部を率いた高校野球界の名将・山下智茂名誉監督にお話を伺いまいした。
山下名誉監督は、1945年、石川県生まれの72歳。
駒澤大学を卒業後、67年に星稜高校に赴任し、野球部の監督に就任。
72年の夏、甲子園初出場、79年には、和歌山県の箕島高校と、延長18回の死闘を繰り広げ、92年には、松井秀喜選手の5打席連続敬遠など、高校野球史に残る名勝負を数多く演じてこられました。
現在は、星稜高校野球部の名誉監督、高校野球の若手指導者の育成など高校野球の発展に大きく寄与しています。
──星稜高校を率いて甲子園に春夏通算25回出場された、山下智茂名誉監督ですが、その中でも特に印象に残る試合を伺いました
僕にとっての人生観を変えてくれたのは、1979年第六十一回の第四試合、箕島高校との3時間50分、延長18回の試合でしたね。
神様が作った試合とよく言われるんですけど、僕にとってはこの試合が宝物ですね。
尾藤監督と対戦しまして、2アウトとってからのホームラン、”勝ったな”と思ったら、また逆転されてと劇的な試合でしたね。
尾藤監督は試合中にずっと笑っているんですね、尾藤監督もう少し真剣にやってほしいと思っていたんですけどね(笑)。
試合を終わってから、悔しくてビデオを何回も見直したんですが、自分の器が小さいんだなという事を発見したんですね。
尾藤監督は「待つ」「信ずる」「許す」ということができる監督だなと、”やっぱり器が違うな”という事から、僕は勝つ野球というのをずっとやってきたんですけど。
それからは、“高校野球”は“人づくり”だなと思って、まず、人をつくるためには自分が勉強しないといけないなと思いました。
これまでは「俺が俺が」と、聞く耳を持たなかったんですけど、人の話を聞くようになって。
あの18回が無かったら、自分はただの監督で終わったんじゃないかなと思うんですけど。
──星稜高校・野球部の監督に就任した直後は、部員がわずか8人。そこから甲子園常連校になるまで、山下名誉監督は、どのようにチームを作り上げたのでしょうか?
当時、バットが5本くらい、ボールも30個くらいしかなくて。毎日、ボールが切れるもんだから、赤い糸を買ってきてボールを縫って。選手に5個くらい持たせて、明日持ってこいという事で(笑)、練習終わってかわいそうだなと思うんですけど。
本当に超スパルタでした。最初のチーム作りをするときに、やっぱり日本一を目標にしてやらなきゃいけないんで、広島に行って、「広島商業」「広陵」それから四国に行って、「松山商業」「土佐高校」「高知商業」「高知高校」とかね。
そういうところに行って「あぁこういう練習しないと日本一になれないんだなぁ」と思いました。
生徒たちの中には倒れたり、気絶したりして、救急車がよく来ていましたね。
だけど、それによくついてきてくれたと思うんですよね、3年目の春、北信越を優勝したんです。
夏は甲子園まであと一勝、でも決勝戦で負けて、負けた日に選手が”来い!”って言うから、トイレにマネージャー連れてくるわけですよね。
“あぁやられるな”と思って歯を食いしばっていたら、みんながワーッときてトイレで胴上げしてくれたんですね。
トイレで胴上げされたのは日本の高校野球の監督の中で僕だけじゃないかなと思うんですけど(笑)。
その時に、俺があれだけ超スパルタで鍛えたのに、こんな事してくれるんかと思って、これは甲子園が近くなったなと思いましたね。
次の年も決勝戦で負けて、甲子園に行くのに5年かかったんですけど。でも、あの時の感動は、夢を大きく膨らませてくれた胴上げでしたね。
──最初はスパルタ指導もありながら、星稜高校野球部を全国屈指の名門校へと育てた山下名誉監督ですが、時代とともにチームの作り方に変化があったといいます
昔は「勝つ、勝つ」という事で勝てばいいと思ってやっていましたが、今は育てる野球で、10、20年後に星稜高校を出て良かったな、山下先生に習って良かったなと言われるような野球をやりたいという事で、やっぱり人づくりですね。
野球の技術的なことじゃなくて、基礎があっての応用ですからね、基礎が一番大事ですから。
「花よりも花を咲かせる土になれ」という事で、選手達と一緒に泥だらけになりながらやっていました。
若い監督さんは、レギュラーの選手だけをチヤホヤしてチーム作りをしますが、その子たちは10、20年後に天狗になってしまうんじゃないかなと思うんですよね。そうじゃなくて、レギュラーは叱る、徹底的に鍛える。
補欠の子たちは「目配り、気配り、心配り」ができるので、そういう子たちを大事にしながらチーム作りをしなきゃいけないと思いますね。野球だけじゃなくて人生でもそうだと思うんですよ。
学校でも大事にしているのが、甲子園や遠征から帰ってきたら事務職員の方にはお土産を買っていきます。それだけ支えてくれている人がいるから我々は仕事ができるのであって。そういう人を大事にしないといけない、僕の考えが選手達に行きわたってくれて、社会に出ても皆さん立派に頑張ってくれていると思います。
プロ野球は17人行きましたし、会社でも社長になっている人もいますし、すごいですよ。
──「花よりも花を咲かせる土になれ」と先ほどおっしゃっていましたが、他にも、山下名誉監督は、選手たちを指導する上でよく言う言葉があるといいます
やっぱり心の良い若者を育てたいなぁと思いますね。
「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」
という事を生徒達に口酸っぱく言っています。
球場の黒板にはそれを書いているので、松井君なんかはそれを読んでいましたし、「心だぞ!」と選手達は言っていましたね。
うちの野球は、そういうモットーで頑張っています。
──誰もが認める高校野球界の名将・山下智茂名誉監督ですが、山下名誉監督が思う「名将」とは、どんな存在なのか伺いました
名将なんていないんじゃないですか?僕は監督って言うのは我慢とロマンだと思うんですよ。
いかに我慢して生徒たちに教えてやるか、高校野球に甲子園が無かったら誰も高校野球をやらないと思います。
それぐらい甲子園っていうのは人を変えてくれるところですよね。
だから、生徒と一生懸命に泥だらけになっている人が、名将になっていくんじゃないかなと思います。
名将って思った事もないし、名将っていう言葉は嫌いですね。やっぱり高校野球の先生、それが一番似合うんじゃないですか?
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!
「
1月6日(土)OA分の放送はこちら」