今週の「Athlete News」は、車いすバスケットボール界のスーパースター パトリック・アンダーソン選手です。
パトリック選手は、1979年カナダのエドモントン生まれ。9歳の時に飲酒運転の車にはねられ、両足の膝から下を失いました。
車いすバスケットボールを始め、1997年にカナダ代表入りを果たし、中心選手としてカナダ黄金時代を築き上げます。
パラリンピックでは、シドニー、アテネ、ロンドンの3大会で金メダル、北京では銀メダルを獲得。ロンドン・パラリンピック後に現役を引退しましたが、今年、2020年の東京パラリンピックに向けて現役復帰されました。
先月25日に東京ミッドタウンで、パラスポーツの楽しみ方や理解を深めることを目指して開催された「IMPOSSIBLE CHALLENGE FIELD」で伊藤さんが取材をしてきました。
パトリック・アンダーソン選手も、このイベントに参加されました。
──パトリック選手は、このイベントにどのような気持ちで参加されたのか伺いました
カナダでは今回のように健常者が車椅子に乗って車椅子バスケをやったりするんですけど、今回そういうチャンスがあるところは見どころですし、あと若手の選手達も彼らがどれだけ強いのか、どんなプレーをするのか見たいし。
車椅子バスケって、言葉で説明しにくいもので、見て分かってもらうのが大事なんです。
今回、日本人の若手選手たちも世界レベルのプレーができる選手達で、僕自身もまだ世界レベルだといいんだけどっていう言い方もしてたんですけど(笑)。
そういう世界レベルの選手が戦う凄さを感じ取って見てほしいなと思います。それが東京の室内で出来るのは素晴らしい事だと思います。
──今や、“生きる伝説”と呼ばれるパトリック選手ですが、9歳で交通事故にあわれて、車椅子バスケで活躍されるまで、つらい時期をどのように乗り越えて来たのかを伺いました
よく言うのが1つの悪い事の後ろには1000個の素晴らしい事が隠れている、そういう考え方があって。
自分が乗り越えたのは1人の力ではなくて、そこに自分を支えてくれた家族やコミュニティ、たくさんの人に支えられました。
また、カナダのお国柄で、ヘルスケアのシステムがすごく良くて、そういうサポートもあって、今の自分があるのは自分1人の力ではなくて、本当に恵まれた環境で、支えがあってここに来たと強く思います。
──パトリック選手、実はミュージシャンとしても活動しているんです。お気に入りの一曲を聞いてみました。
本当は控えめに他のアーティストを言いたいんですけど、自分にとって音楽というのは、奥さんのアンナと2人で分かち合う時間であって、音楽を通して、一緒にパフォーマンスをしたり、詩を書いたり、クリエイティブになってみたり、2人の間でとても大切な絆になっているんです。
バスケットと同じように、プレーを通して相手の気持ちが分かるように、僕たちの間では、音楽を通して2人の気持ちが通じ合うとか、自分の気持ちを外に出すというのはプレーと同じで、音楽でも似ているのかなと思います。
やっぱり好きなのは、自分たちのグループ名The Lay Awakes。そして、一番最初に奥さんと2人で作った曲が「Great Divide」です。この曲は彼女と出会った頃を思い出すので、やっぱりそれが一番心に響く曲です。
──最後に、2020年の東京パラリンピックへの思いを伺いました
もちろん、金メダルがすごく欲しい。でも2000年に最初に金メダルを獲った時よりも、ゲームがすごく進化していて強い選手がどんどん出てきている。そういう部分で考えると、簡単に金メダルが獲れるとは思えない。
メダルだったら何色でもいいな、というぐらいレベルが高くなっているのが事実です。
自分は41歳になって、どういうプレーができるかわからないけど、それでもチームにとって戦力でありたいし、チームに貢献できるプレーヤーでありたい。そういう自分を見せたいし、いいゲームを見せたい。
また、パラリンピックを見に来る人たちにとって、ベストな素晴らしいゲームも見れるし、カナダのチームっていうのは、プレー的にも素晴らしいし、エンターテイメントの部分でも面白いプレーをしっかりします。
そこも、僕たちは自身を持って見せれる。もちろん勝てたらいいけど、何かメダルを獲りたいというのが素直な気持ちです。
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