今週の「Athlete News」は、リオ・パラリンピックの柔道100kg超級で、銅メダルを獲得した正木健人選手にお話を伺いました。
──身長が191センチ、体重はいま何キロですか?
145キロですね。
──「100kg超級」ということは、体重制限がないということですか?
そうですね。100キロ以上あれば何でもOKです。
増量はあるんですけど、減量はないです(笑)。
──100キロを下回ってしまうこともあるんですか?
下回っている選手もいて、試合に合わせて増やす選手もいれば…体格が大きい方が有利ということもあるのでより大きさを求めて、日頃から自分の中では食トレとか、いろいろ言い方はありますけど、増やすことはありますね。
──正木選手は、外国の選手と体格的に引けを取らないと思うんですけど、いかがですか?
今回2番目に大きかったので、逆に、いま体重を減らしていますね。
もうちょっと痩せた方が動けるのかな?っていうのはあるので。
──ちょうどいい体重を見つけるのって難しそうですよね。
大学時代までは135〜40キロで、体格のわりに走れて動けていたので、そこまで落としたいですね。
──小学生の時は何かスポーツをされていたんですか?
今よりまだ視力があったので、唯一できる競技がバスケットで、周りからの勧めで相撲をやっていましたね。
──中学に進んだら、本当はバスケットをしたかったそうですね?
仲の良かった友達がバスケット好きでしたし面白かったので、そのままバスケット部に入ろうと思っていたんですけど。
隣に柔道の練習場があったので「見に来いよ」と言われて、バスケットの練習メニューは走る量が多かったんですよ。
それで妥協したかもしれないですね(笑)、100キロあったので走るのが嫌だったんですよ。
柔道は走らないだろうと思って。
──実際に柔道に入ってみたら?
めっちゃトレーニングがあったんですよ(笑)。
──正木選手は先天的に視力が弱かったそうですが、柔道を始めた時は健常者の方と一緒にやってらっしゃったんですか?
そうですね。僕自身パラリンピックを紹介されるまでは、視覚障害者というのが、どういうものか分かっていなかったんですよ。
そのおかげというか、大学までは視力の壁というのは我慢してやっていました。
──大学中に、パラ柔道に転向されましたが、そのきっかけは?
大学の時に、毎年健康診断があるんですけど。
その時に視力が落ちているっていうのと、就職をどうするかという話で…警察・刑務官になりたかったんですけど、視力検査とかが厳しいのでそれに引っかかって。
先生たちもすごく悩んで、その中で盲学校を紹介してもらったんです。
その盲学校の先生が柔道をされていたので、「一緒にパラリンピックを目指さないか?」と誘われました。
──天理大学では、当時監督だった篠原信一さんの指導を受けていたんですね?
今まで一番練習をつけてくれた先生であって、私生活の部分でも、練習中は厳しいんですけど、一緒に食事をする時は気さくで、距離感を縮めてくれて話してくれるので、すごくコミュニケーションをとってくれました。
──2020年は、東京でパラリンピックが行われます。そこに対する思い、意気込みは?
今回3位決定戦で勝った喜びよりも、準決勝で負けた悔しさが強いので。
準決勝の相手は3戦して3回とも負けている因縁があるので、今のモチベーションとしてはこの選手に勝つことを考えてやっていますね。
今回見つけた修正点、悪いところがいっぱいあったので、それをひとつひとつクリアして万全な状態で、また大きい大会に挑めるようにしたいですね。
──毎回ゲストの方にお気に入りの1曲を伺っています。正木健人選手の忘れられない曲や、心の支えになっている曲がありましたら教えてください
リオのパラリンピックでもテーマソングになっていたんですけど、安室奈美恵さんの「Hero」という曲です。
それは、悔しさを忘れない様にというのと、すごくいい曲なのでよく聴きます。
ロンドンから、リオまでの過程においても後悔することが多かったので、東京が終わった時には後悔しないように、その後に繋げるようにしたいですね。
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