今週の「Athlete News」は、リオ・オリンピックのカヌー・スラローム銅メダリスト 羽根田卓也選手にお話を伺いました。
──銅メダル獲得おめでとうございます! アジア初の快挙ということで、やはり嬉しかったですか?
嬉しいっていう気持ちもそうですけど、”夢を叶えた”っていう気持ちと、これくらいしないと目標は達成できないんだなと思いました。
日本人、アジア人がこの競技でメダルを獲るということは、なかなかの事だったと思うので。
18歳でスロバキアに行って、それ以前に自分の努力があって、いろんな選択があったので夢を叶える厳しさを感じました。
──体格差は出るスポーツなんですか?
体格で言うと、僕は一番小柄なタイプなんですよね。
”体格差を技術で埋めたり”ということを常に感じています。
──高校を卒業して、単独でスロバキアに行かれたんですよね? 不安はなかったですか?
行く不安よりも、日本人に居続けて競技者として芽が出ない不安の方が大きかったので。
とにかく”日本にいちゃいけない”という危機感を持っていました。
──お父様に資金面で支えていただいていたと伺いました
18歳でスロバキアに渡った時は、まだ成績も出せていませんでしたし、スポンサーが付くとか、そういった支援もなかった状態だったので父の支援が一番の支えでした。
最初に切り出したのは18歳の夏、ヨーロッパに海外遠征に行っている時に父に手紙を書いたんです。
海外遠征の大会で悔しい思いをして、”このままでは成功しない! ヨーロッパに行くしかない”と思って、父に手紙を書きました。
”なぜ、どこに行きたいか?”という旨を書いて、帰国して改めて話して、「行って来い」と二つ返事で言ってくれましたね。
──将来、メダルも含めて羽根田選手を信じてということですか?
手紙の中に、「メダルをかけます」という台詞を入れたんですけど、父に言わせると”何がメダルだ”と思ったそうなんですね。
それくらい、当時の日本はメダルを獲るのは難しいと考えられていたので。でも、「まぁ、やらせてみるか」という感じだったみたいです。
──カヌーを始めたきっかけはお父様ですか?
兄と一緒に、父に連れられながら始めました。最初は無理やり連れて行かれてましたね(笑)。
カヌーを始める前は器械体操をやっていたんですけど、器械体操をやめたら強制的にカヌーの方に連れられて。
楽しい場面もあったんですけど、選手としても父親はやらせていたので、辛い練習、寒い日のカヌーが子供の頃は辛くて、なかなか好きになれなかったですね。
一番好きになれなかった理由は激流が怖かったんですよ。激流は本当に怖いものなので、この怖さを克服するまで好きになれなかったですね。
克服してからは逆に激流が魅力的になって、自分から激流を求めていくようになりました。
──リオ・オリンピックでは、コースを見た時にどう思ったんですか?
最初に発表されたコースが、デモンストレーターが誰一人通過できないような難しいコースで、いろんなチームから抗議が上がりました。
結局、ちょっと優しくなったんですけど。
──羽根田選手は、”こういうセッティングが得意”というのはあるんですか?
僕はパワーやスピードでガンガン押していくタイプではなくて、細かな技術を武器にしているので、ゲートの感覚が狭い、テクニカルなゲートセットが好きですね。
リオ・オリンピックの時は、水の流れ自体も複雑でテクニカルな流れだったので、全部が僕に合っていたんじゃないかと思います。
──羽根田選手のお気に入りの1曲を伺いたいと思います。羽根田選手が試合前に聞いている曲や、心の支えになっている曲を教えてください
B’zさんの「ねがい」という曲です。
自分に重なるような歌詞があって好きですね。
僕としても、いろんな難しい選択をしてきて、先輩でメダルをとってる人がいなくて…迷路のような中やってきた10年、15年間なので歌詞に感銘を受けました。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!
「
1月7日(土)OA分の放送はこちら」