• mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
  • TOKYO FM
  • TOYOTA
Home>Athlete News
Athelete News
15.12.12
生涯を通して”真剣になれるもの”
今週の「ATHLETE NEWS」は、オリンピック柔道で史上初の3大会連続金メダルを獲得、今年8月に現役を引退した、野村忠宏さんをお迎えしてお話を伺いました。


──8月31日に引退会見を開かれて、引退を決意した理由は怪我というのが大きかったですか?

怪我したプラス、長年の酷使による消耗で体がどうしようもなくなって、現役というのは勝つためにやるものだから、勝つための積み重ねができなくなってしまって、限界かなと思いました。

──最後の試合を終えた瞬間はどういうお気持ちでしたか?

1回戦一本勝ちして、2回戦で一本勝ちして、3回戦で一本負けして、投げられた瞬間”くそっ!”と思いましたよ(笑)。それと、”弱くなったな〜”と思った自分がいました。
負けた後に、会場中から拍手とともに「お疲れさま」や「ありがとう」という言葉をいただいて、負けたけどハッピーな気分というか、”ここまでやってきて良かったな”と心の底から思いました。

──オリンピックのプレッシャー、緊張感はすごいものですか?

緊張感は半端じゃないですね。3回出ても慣れることはなかったです。恐怖心、プレッシャーしかないですね。
一番怖いのは試合の前日なんですよ。前日から当日の一回戦が終わるまで、前日は寝たか、寝てないかわからない状態で、興奮もあるし、恐怖もあるし…。その気持ちを引きずって当日試合の畳に上がると負けるんですよ。だから、弱い自分と決別しないといけないんですよね。

──どこかで、スイッチを入れないといけないんですね

僕の場合は、試合直前にトイレ行って、冷たい水で顔を洗って、鏡で自分の目を見ながら、この日を迎えるにあたって自分が何をしてきたかを思い返すんですよ。最後にもう一度、自分の強い目を見て”よし!”と切り替えて畳に上がります。

──野村さんは「天才的」と称されることが多いですが、ご自身はどう思いますか?

どっちでも良かったです(笑)、自分は弱い時代が長かったので。実家が道場をやっていたので、3歳から柔道を始めたんですよ。小学校の時は楽しくやっていたので、弱かったんです。
中学校に入って、本格的に部活動として、”これからは強くなるんだ!”と、競技者としての柔道をスタートしたんですよ。

──その頃は強かったんですか?

その時も弱かった。中学校に入った時は、32キロしかなかったんですよ。女の子の柔道選手に負けたこともあったし、高校に入る頃で、やっと48キロくらい。
柔道の一番小さいクラスが60キロ以下級だから、高校生になれば、63〜65キロから減量してくるんですよ。その中で自分は、50キロちょっとしかないから、一番小さいクラスの中でも二回りくらい小さかったし、弱かったんですよ。
高校の柔道の先生をやっていた親父にも「無理して柔道せんで、ええぞ」と言われるくらい弱い選手だったんですよ。

──それでも続けた理由は何だったんですか?

やっぱり強くなりたかったし、柔道が一番真剣になれたんです。柔道を通して自分が輝ける場所が欲しかったんですよ。
当時から背負い投げが好きだったから、”今は弱いけど、この背負い投げを磨いた先の、未来の自分に期待してやっていこう”と続けていたら、大学くらいから急にぐっと強くなって…。

──若かりし頃から、背負い投げでいくと決めていたんですね

弱かったから、背負い投げだけが自分の支えだったんですよ。

──逆に体格差があると、背負い投げは難しそうですよね

難しいですけど、小さい時に自分より大きい選手とがむしゃらにやったけど、それを繰り返すことによって、大きな選手をコントロールできるだけの力が付いたんですよ。
大学に入って技も磨かれて、柔道選手としての体もできあがってきたんです。練習の方法も変えて、そういうのが揃ったときに、急激に強くなったんですよね。外国人のパワフルな選手と組み合っても、柔道に関しては力で負けることはなかったんですよ。
篠原先輩と、たまにおふざけで組み合うこともあったんですけど、一番びっくりされたのが、「おまえ、どんだけ力強いねん!」って言われたんですよ(笑)。
ただ、握力は40キロくらいしかないし、背負い投げ以外にも技のバリエーションがあって、よく外国の選手からは「どこから、どんな技が出てくるかわからない、その恐怖感がすごい」と言われていました。

──バリエーションがあればあるほど、警戒することが多くなって、技が決まりやすくなるんですね

それは、背負い投げという一つの軸があったからこそなんですよね。
全てが80点で、幅だけ広くてもきかないんですよ。自分は120点の背負い投げというのがあるから、80点という他の技が、それ以上の効果が出てくるんですよね。だから、時間をかけて背負い投げという、ひとつの技を磨き続けたのが良かったんです。

──毎回、ゲストの方にお気に入りの一曲を伺っています。野村さんが現役時代によく聴いていた曲や、心の支えになっている曲があったら教えてください

TUBEの「Second Chance」という歌です。2009年に発売された曲なんですけど、私自身2007年に、初めて右膝の靭帯断裂という大きな怪我をして、靭帯が切れた状態で2008年の北京オリンピックの4連覇を目指してやってきたんですよ。
結局、オリンピックの代表にはなれずに、その後手術をしてゼロからリハビリのスタートを切った時に、もともと親交のあったTUBEの前田さんが贈ってくれた曲なんですよ。

──初めて聴いたときはどうでしたか?

いま聴いても、自分の柔道への思いとか、取り組んできたものがバーッと頭の中に走って、ウルっとくる曲ですね。

──野村さんの自叙伝「戦う理由」を出されましたね

3歳から柔道を始めて、引退する前に書き上げた本なので、実際の引退試合のことは書かれてないんですよ。自分がどういう思いで柔道に向き合ってきたのか、乗り越えてきたもの、読んでもらえば、ちょっと熱くなってもらえるのかなと思います。

Message

Circle of Friendsや藤木直人さん、高見侑里さんへのメッセージはこちらから。あなたのスポーツ体験と気分を盛り上げるためには欠かせないリクエスト曲をお待ちしています。